福祉職員の負うリスク

福祉職員の負うリスク

日本で働いていたとき、福祉職員は十分守られていないと感じていた。

野田市虐待死事件で心愛ちゃんを担当した心理士も、裁判の証言で

「女児に心的外傷後ストレス障害の疑いがあると診断された」と伝えると、被告(虐待した父)から身分証の職員番号を書き取られ「児相ではなく職員個人として訴える」などと脅された。「私が殺されてもいいから止めたかった。今でも夢に見る」と泣きながら当時を振り返った。

とされている。職員がここまで矢面に出なければならないのはおかしい。

仕事なのに個人が負う身の危険、社会的危険

生活保護のソーシャルワーカーとして働いていたとき、受給者からさまざまな脅しを受けいてた。私の働いている席の後ろの壁には弾痕があり、以前拳銃を持って撃とうとした人がいるということだった。個人的にも、自宅訪問をするのだが、アルコール中毒の人の家で殴られそうになったこと、「そのうち刺されるよ、夜道に気をつけな」と言われたことなどがある。受給者がアルバイトを隠れてしていても、見つかると保護費から減額しなければならないことになっているので、それに対して怒った受給者に怒鳴られることなどしょっちゅうであった。その頃、他の県では全職員に防弾チョッキを支給するところなどがあり、私の部署では警察署から相手の攻撃を交わし押さえつける技術の講習があったが普段訓練しないととてもその場でできるようには思えなかった。

先輩職員には、受給者の家族から訴えられて裁判沙汰になっている職員もいるから、よくよく気をつけるようにと再三注意を受けていた。例えば精神的に脆い人が自殺し、福祉職員の名前が遺書にあって遺族に訴えられた人がいるから、十分記録には防衛線を張っておいた方がいい、といったことである。

仕事でしていることで個人がそこまで危険にさらされるのはおかしい。訴えられたり刺されたりするのは全く割に合わないのでこの仕事を続けたくないと思うようになった。

職員が守られ、大義名分を掲げて仕事をすることができる環境

フランスに来て、職員が1人危険にさらされたり、受給者から狙われたり恨まれたりしない仕組みにしているということがとても大きな違いだと思った。

児童保護は裁判所命令

児童福祉分野では、保護という判断に親が反対しているか協力的ではない場合は裁判所で決定がされる。実際保護される子どもの9割は裁判所命令による。

施設は裁判所命令で子どもを支援している立場、児童相談所は裁判所命令で親を支援する立場として堂々と活動することができる。

児童相談所職員による家庭での親教育支援の初回訪問に立ち会ったときも、子どもを叩いたことのある父親、止められなかった母親に対し、「私たちはあなたたちを助けるために来ました。これから一緒に、子どもたちと再び暮らせるように、父として母としてどのように成長していったらいいか考え話し合い、取り組んでいきましょう」と自己紹介していた。親は裁判所命令である以上児相職員に悪態をつくわけにもいかず、また、児相職員に悪い評価がつけられれば子どもを取り戻すのは先延ばしになってしまうので、提案されるプログラムに応じざるを得ない。

子どもの学校や施設についても、裁判所が許可した範囲を超えて親が近づくことなどがあれば、接近禁止命令が出たり、さらに子どもの居場所が親に秘密にされたりするので、学校や施設が危険な目にあうこともない。

そして、職員たちは親から脅迫メールがきたり、子どもに暴力をふるわれたり物を壊されたり盗まれたりする度に警察に被害届を出した上、裁判所に報告する。そのため、それらは全てその後の親と子どもへの更なるケアの必要性の証拠となっていく。

金銭に関することは全て会議で決めている

例えば、18歳以上で保護を継続して受けたい場合は、もう未成年ではないので裁判所で児童保護の判断は出ないため、本人の申請に応じて住居・生活費・教育支援が受けられるかどうか決まる。本人が申請し、担当ワーカーが調書を書くが、担当ワーカーが決めるわけではなく会議にかけられる。それも、部外者も招いた会議である。若者就労支援機関、地区のソーシャルワーカー、司法機関、精神衛生に関する機関なども参加した会議で決める。結果に不服がある場合は書面による申し出、もしくは裁判所への申し出のみ受け付けると明記している。なので、もし却下されたとしても、担当した個人を恨む構図にはならない。

職員が個人で対応を抱えることにはならないという職員自身の安全と働きやすさはもちろんのことだが、支援を受ける側にとっても、担当者によって対応が左右されることなく公平性があるというメリットがある。

また、日本では親の反対を心配して必要な支援が行き届いていないのが大きな問題だ。

2018年に起きた虐待死結愛ちゃんの件で児相職員が子どもに会えていないにも関わらず裁判所や警察の介入を望まなかったことを 「介入的な関わりよりも実母との関係性構築を優先する支援的な関わりが必要と判断した」 というのはこの一つの例だと思う。

職員が職務を遂行するにあたって安全は最低限必要なものである。

相手を支援するためにも相手の安全も守られる仕組みが必要である。


こちらの記事を読んだ現役で日本の福祉職についている方がメッセージをくれたので紹介したい。

「残念ながら日本は今も変わらない。

誰も守ってくれないよ。児相担当の頃は、係長が面接に同席してフォローしてくれることもあったけど、訴えるとなれば市ではなく、僕個人が訴えられることは有り得る。そうなれば、僕が弁護士費用を出さないといけなくなるらしい。そのために、訴えられた時の保険が出来たけど、任意で保険料は自分持ち…

生活保護担当にいた時は、毎日怒鳴っている人がいて、しまいには、包丁持ったまま執務スペースに入ってきたり、女性が首を絞められたり色々ありました。そんなことがあっても1ヶ月位勾留されて出てきちゃう。」