移民の子どもたち

移民の子どもたち

ヨーロッパに大量に到着している移民はその後どう過ごしているのか?

パリの児童保護施設から

2018年には4万人、外国から身寄りのない未成年が到着している。居住目的の移民全体では同年25万5500人である。
未成年で家族がいない場合は即日保護され、翌日から学校に通うことができる。フランス人の未成年と同じ権利が与えられるということである。

パリ市で児童相談所が管轄する施設・里親・アパートで暮らしている未成年(18歳未満)は4900人、その33%(1350人)も海外から単身渡仏した未成年が占めている。

移民と言っても、実際福祉施設で出会う子どもの多くが紛争地出身ではない。コンゴ、コートジボワール、ギニアなどフランスの旧植民地から来ている。子どもたちに話を聞いてみると、自国での将来像が描けない、家族に酷使されている、学費が有料で通えないというケースと、家族がお金を出し合って一番優秀な子どもをフランスに送り、その子が成功して家族を呼び寄せてくれることを期待しているケースと主にふた通りある。いずれにしてもフランス語の国から来ているので移住先はフランス以外考えなかったと言う。帝国主義の招いた結果である。

施設で出会った少女を二人紹介する。

マニュエラ 15歳 コードジボワール出身

「継母に家政婦のような生活を強いられていたので、知り合いのおばさんに誘われて家のお金を全部持って逃げてきました。学校が有料なので13歳までしか行けていなかったです。銀行がないので家の金を全て持って出た。すぐにそのおばさんに渡したからいくらあったかは知らない。8月に現地を出て、陸路で何度も車を乗り換えブルキナファソ、リビア、それから船に乗って11月にイタリア経由でパリに到着しました。陸路はすごくすごくすごく危ない。二度としたくない。パリに行く電車の中で知らないおじさんが警察署に行けばいいと教えてくれて、警察署まで連れて行ってくれた。その日のうちにこの施設に連れてこられた。翌日は語学の学校に連れて行ってもらって、今フランス語をすごくすごく上手になるように勉強している。クリスマス過ぎたらテストをして普通の学校に入る予定。寒いけど、学校に行ってしたい仕事を選ぶのが楽しみです」

ディアン 14歳 コンゴ出身

「学校から帰ると、叔父が家にいて、父が逮捕されてもう学校に行くお金が払えなくなったのでフランスに行けと言われました。私も高校まで出たかったので同意しました。母や他の家族にお別れを言うこともできないまま迎えに来た人と飛行機に乗りました。その人はパリ郊外の路上で「あそこが警察署だからあそこに行きなさい」と言って別れました。警察署で、一人で来て誰の連絡先も知らないと言うと、一時間後に児童相談所の人が迎えに来てここの保護所に連れて来てくれました。もうすぐ長く住める施設に移動するので近々見学に行きます。裁判では、18歳までは生活費や学費は出るから、それまでにその後自分でやっていけるように準備するように言われました。ここに到着して翌日から学校には行っていました。ちゃんと仕事をして母や家族を呼び寄せます。フランスの学校は英語もスペイン語も勉強できますし気に入っています」

日本にいる難民の子どもについて、国連子どもの権利委員会から指摘を受けていて、「保護者のいない難民の子どもをケアする機構が確立されていない」「犯罪の疑いが存在しない場合でさえ収容する慣行が広く行われている」とし、「庇護希望者の子どもへの宿泊、ケア、教育へのアクセスを提供するための正式な機構の確立」が求められている。フランスでは、海外から来た未成年にも、身分証明書やパスポートなどの書類もない時点からフランスの子どもと同じ権利を保障している。パリ市の場合は予防児童保護セクションの中に「自立と職業訓練」セクションがあり、「単身未成年教育部門」が設けられている。

施設の中での移民

「移民 子ども」などとインターネット検索するとすぐに児童相談所の一覧などが出てきて、誰でもアクセスできるようになっている。

彼らは、なるべく同郷の人がいない施設に入れられる。早くフランス人としての生活に慣れることができるためである。私の調査した施設では未成年単身移民は奪い合いの状態であった。職員会議で次に受け入れたい子どもを選ぶのだが、フランスで育ち虐待を受けてきた子どもたちに比べ、移民の子どもは志が高く優秀な場合が多く、決して学業や職業訓練を疎かにすることがないので大歓迎なのだ。多くの場合父権制の強い、大家族で育ってきているので決して職員に歯向かったり失礼な態度をとることがないことを強調する職員もいた。

施設で出会う16-17歳の子どもたちにインタビューしても「フランスに来てどうですか?」と聞くと「エッフェル塔が美しくて感動しました!コンゴではあんなに美しい建造物は見たことがありませんでした」「学校で毎日勉強できるのが幸せです」などと屈託がない。同じ施設にもう4年調査で通っているのだが、一言もフランス語が話せなかった子どもが4ヶ月もすれば話せるようになり、二年で学年トップに名前を連ねるようになるなど、目を見張るものがある。最初は発音をバカにされるなどと言っていても、学年トップになって周りの生徒の尊敬を集めている。彼らの成長と、美術館見学や遠足などどのような機会も感激して参加するので彼らのエネルギーに職員は元気づけられ、彼らの歩みの壮絶さとパワーにフランス出身の施設の子どもたちは刺激を受けているところもあった。

実際、一般の家庭の子どもの学力の平均と、施設の子どもの平均はほぼ同じで、その理由は大半であるフランスの家庭で育って虐待などの理由で施設に来ている子どもは平均が低いのだが、少数である単身移民の子どもたちがとても好成績なので平均を大きく引き上げているということである。

児童相談所での保護は18歳までなのだが、学業や職業訓練中の際は21歳まで引き延ばすことができる。ただ、17歳くらいで到着すると保護の期間が長く残っているわけではないので、かなり早い段階で「空調整備士コース」など普通高校ではなく職業高校の、職業にすぐに結びつく実地研修の多いコースを割り当てられていることが多かった。早い時期にフランスに到着しないと医師や司法関係など年数のいる学問は選択しにくいと言われている。

移民二世、三世

しかし全ての移民が成功するわけではない。実際パリやサン・ドニ県の施設で出会うフランスで生まれ育った子どもは移民二世、三世である場合がとても多い。一世が成功しないと、母国の家族との関係が悪くなり帰りづらくなり、フランスの同郷の人たちにも境遇を隠すようになり、フランス社会に適応できず孤立する。そして子どもに過度な期待をしたり依存したりしてしまう中で子どもに負荷がかかり、保護されてきていた。

ある15歳の女の子は母が離婚した後精神的に不安定で外が怖く自宅に引きこもり、下界への不信感から学校にも通わせず家に置いていたことで保護された。

現在移民一世と二世だけで人口の21%であると言う。移民集団は1914年から来ているのでもう四世、五世になっている計算で、彼らも含めるとどれだけ人数がいるか計り知れない。現場の職員たちは数々の移民の子孫たちを支援してきているので、なんとか一世が成功できるよう、力を入れて支えている。

そして、家庭内異文化(親子の文化的背景の違い)を専門としている心理士もいる。例えば中国で生まれ育った親と、フランスで生まれ育った二世の子どもでは価値観や考え方が違い、葛藤が生まれたり親子の意見の相違の原因になったりする。最初は訪れた人をケアし、続いて家族セラピーとして他のメンバーも参加し家庭内の循環を改善するケアもおこなわれる。

パリ市の職員は言う。「滞在許可があるかどうか、収入があるかどうか関係なく、母はホームレスで道に暮らしていても滞在許可がなくても子どもは学校に行くことができ、そこからその家族のサポートにつながるのです。社会が全ての人に「存在する」ことを認めて対応することです。」

「移民については100年の歴史があり、その結果を目の当たりにしているので、未来の投資としての教育やケアの必要性については国民全体に共通認識があると言っていいと思います。」

自分の住む国に来た以上、その人たちの人生を支える覚悟で取り組んでいることを感じさせる言葉である。