目次
[心配がなくても利用できる在宅支援と、心配がある子どもの在宅教育支援] 1
[ 分離じゃなくて在宅でいいのか?支援者がいたら遺棄は減らせるのか?エデュケーターの役割 ] 5
[ ソーシャルワークが家庭の中に入っていくことができるようになった理由 ] 11
[ パボと安發にとって日本語版の企画はどう持ち上がったか ] 13
[ 日本の子ども家庭支援をより良いものにしたい人たちを繋ぐ ] 14
[心配がなくても利用できる在宅支援と、心配がある子どもの在宅教育支援]
質問者:
安發さんの書かれた論文とかも見させていただいていますが、エデュケーターが関わる支援として、困難のある家庭に対しての在宅教育支援と、困難のない家庭であっても誰でも利用できる在宅支援と2つ書かれてたと思うんですが、困難のない家庭でも利用できる在宅支援というのはだいたいどれぐらいの割合の家庭が利用していますか。
安發:
在宅教育支援も、親自身が望んだら利用することはできますが、困難がなくても利用できる在宅支援の方は、社会家庭専門員というこれも国家資格のある人が派遣されるんですけれども、1%ぐらいです。
1年単位で計画を立てるわけではなく、必要な時に利用するので、3歳までの間に一度でも利用したことのある子どもは3%から5%と国の報告書には出ています。
私自身が妊娠した時にも受けましたが、身体面だけでなく、社会面心理面でも心配がないか、支援が必要ではないか、という妊娠初期面談が義務化されています。病院の産科でお医者さんが「妊娠してますね」「赤ちゃんの状況はいいみたいですよ」と言った後、妊娠初期面談が義務ですので、「待っててください」と。お医者さんがいなくなると、産科には必ずソーシャルワーカーと心理士が専属でいるので、ソーシャルワーカーが入れ替わりで診察室に入る。
私の場合は日本人同士なので、社会的に孤立するリスクがありますねとか、助けてくれる親族がフランスにないんですねとか、夫がサービス業で土日は赤ちゃんと2人きりってそれはすごく大変ですよとか。その時に勧められたのが在宅支援。
在宅支援の人はソーシャルワーカーですが、家事支援育児支援、そして家庭支援とソーシャルワークを担うことになっています。病院から派遣された場合は病院のソーシャルワーカーと連携しながら、例えば週3回2時間ずつ家庭に入って私の状況について、家事や育児を手伝いながらソーシャルワーク面でも支えるというような仕組みです。健康保険から支払われていて、2時間200円とか。日本の場合家庭に定期的に手伝いに来るのはソーシャルワーカーではなく、有資格者でもないことが多いのですが、フランスでは国家資格者で、プレスクリプトしたソーシャルワーカーと同時並行で家庭を見守ります。私が言われたのは「必要がなかったとしても赤ちゃんのことを2時間抱っこしてもらってその間あなたが好きなことをやりなさい」「お母さん自身が疲れてなくて自分のやりたいことをやってるってことが赤ちゃんにとってすごく大事なんだよ」と言われました。必要になってから支援を求めるのではなくて自分がいい状況で子育てをできるために支援を使えるんだと知りました。
困難がある家庭、日本でいう要支援を対象とするのが在宅教育支援で児童保護、障害、成人の自立支援を学んでいるエデュケーターが家庭に入りますが、社会家庭専門員も同時並行で使われることが多いです。例えば子どもが遅刻しがちな場合に、毎日朝7時から8時半までに朝起こして朝ごはん食べさせて学校に連れて行くということまでがその社会家庭専門員の在宅支援。そして週3回夕方に在宅教育支援のエデュケーターが来て、宿題を見ながらお母さんの書類の整理を手伝ったり一人の子を歯医者に連れていく間に他の子どもたちをみたりそんな感じで同時並行で使うことがあります。
[ 申請しなくても提案される支援と保育 ]
質問者:
朝食に付き合ったり、宿題も見てくれたりだとかすごくいいなと思うんです。やっぱり生まれたばかりの時っていうのもそうだと思いますが、実際自分自身の経験とかも鑑みてみると、やっぱり就学してからのそういういわゆる問題が起きる前の予防的支援ってすごくあるとありがたいなと思うんですよ。その割には、今お聞きして3から 5%っていう数字が意外と少ないかなとも思ったんですけれど、認知がまだ十分に至ってないという感じなのか、そこまで必要としない状況の方がむしろあるっていうことなのかどうなのかなと。
安發:
全ての妊娠中の女性と子どもに関わる機関には児童保護の専門職が配置されてるんです。なので産科にもソーシャルワーカーと心理士がいるので、その人たちが支援をすることができる。例えばそこが民間も含めた支援の手続きをし、数回そこで調整するくらいで済む場合は家庭内まで入ってくる必要はないわけじゃないですか。
産んだ直後もですね、保健所の小児看護師とか助産師が心配ある家庭に、例えば1日おきに家に来ることで状況が良くなる家庭はある。民間の機関に子どもを連れていって相談できる、たまに子どもを預けられるくらいで十分という家庭もある。だけど、さらにプラスでやっぱり週3回2時間ずつ家事育児を支援する必要があるよっていう場合、お母さんが病気か障害があったり、精神疾患があったり、双子だったり三つ子だったり、何もなかったとしてもいいんですけれど、そういう場合は在宅支援の契約を結ぶ。
なのでまず基本として児童保護の専門職がどの機関にもいて、すでに家庭内にかなり関わってるというのがあります。例えば生後2 ヶ月半からの保育は両親の所得の1割で利用できるんです。収入が少なかったり、働いてなかったとしても利用することができるんです。保育園に心理士さんがいて、児童保護専門医が毎週1回来て、そして保育園も保育士だけではなくて、医療面を見る小児看護補助資格の人、あとは幼児エデュケーターと児童指導員、最低でも3種類の職業の人が入ってるんです。さまざまな視点から色んなことを言ってくれるので、私自身も保育園の心理士からいろいろ言われることがあったりした。学校に入ってからも健康診断で健康面だけではなくて 心理面学習面でもチェックしなければいけないってことになってる、子どもの福祉が行き届いているか見ることを担当する人がいる。プラスで必要がある場合の在宅教育支援です。
質問者:
予防を考えると、困難のない家庭についても同様に結構関わっているものなんですか、エデュケーターの人たちっていうのは。それともそれは利用したいっていう風に言われたことによって関わるものなんですか。
安發:
エデュケーターっていうのは児童保護分野とか、障害とかになるのでなので、まず最初のニーズがあるかどうかをキャッチするのはソーシャルワーカーだったり学校の心理士だったりすることが多いです。
質問者:
分かってから登場するのがニーズに対して訓練を受けてきているエデュケーターという 感じですね。あくまで要望を受けてから入り込むっていうことなんですね
安發:
そうですね、専門機関に勤めてることが多いです。あとは路上エデュケーターという形もいます。なので専門チームって思った方がいいですね。
[ 学校と福祉の連携 ]
質問者:
ちょっと学校との連携ってどうなってるのかなっていうのもお聞きしたかったんですけど。なんか今のお話の中で学校とも連携を取られているんだなっていうのが。
安發
そうですね在宅教育支援の始まりはほとんど全て学校で勉強に遅れがあるとか心配な行動があるなどが理由です。勉強に遅れがあるのは子どもの何かしら不調があることの表れと見ます。在宅教育支援が始まったらエデュケーターは学校での面談など全て同席します。
路上エデュケーターの人たちは学校の休み時間や地域にいるので、学校の先生にも親にも言いにくいようなことが相談できたりするということもあります。
[ 日本語版について ]
質問者:日本語版には解説などはつくのか
今日いろいろ私たちも話を聞くと連動していろんなことがこれどうなってるんだろう日本と比べてどうなんだろうっていうことはちょっと気になるんですけど、これから作る本は、その本を漫画で読むとだんだんそれがこんな仕組みなんだっていうのがわかってくるような感じなのか、何か解説みたいなものがつくとか予定はありますか。
安發:
ちゃんと解説をつけようと思ってますけど、実際こんな立派な本で大きいんですね。なのでこれ3冊を1冊にするからかなり分量があると思います。私これ最初読んだ時朝方まで笑って、それでも1冊読み終わらなかったので、読むのには中身がしっかりしている内容です。
56ページぐらい、かける3冊っていうことですね。解説はつけようと思っています。でも 漫画なので、読んでると慣れてくると思います、フランスの状況に。ターラちゃんのクラスに何人も在宅支援を受けてる子どもたちがいて、学校帰りにパボが子どもたち全員引き連れて在宅教育支援事務所に連れて行っておやつを食べさせて、子どもたち同士が自分たちの親について話すとか、子どもたちがどのような子ども時代を過ごしているかについても知ることができます。
[ なぜエデュケーターから漫画家になったのか ]
質問者:
パボさんがどうしてエデュケーターから漫画家になられたのかなっていうのと、どうしてこの漫画を書こうと思われたのかっていうところをお聞きしたいです。このテーマを選んだ理由とかですかね。
パボ:
全ての子どもは画家だと思います。ただ、なぜか途中でおとなになる過程でやめてしまう人がいる中で、自分はただ続けただけっていう部分がありますが、まず在宅教育支援より前に施設で働いていた時に、子どもたちはすごく大きな怒りを抱えていました。それは暴力の被害にあったとか、見捨てられたような経験をしていたりして、そのことについて学校に行かなかったり何かを壊したり喧嘩をしたりおとなに反抗したりといった反応を示していました。
なので私がしたのは子どもたちに絵を描くアトリエを提案し、自分の怒りを面白い絵として表現してみようと提案しました。なぜかというと自分の怒っていることについて、みんなで笑えたらそれは自分が怒ってることがらよりも自分の方が強くなったっていうことだからです。
なのでアトリエの中で子どもたちが絵を描いてる間に、私もエデュケーターの仕事について、自分が接してる子どもたちについて絵を描くようになりました。悲しいことがあった時に悲しいことを面白い絵として表現する、面白おかしくですね、みんなとその出来事をわかちあうっていうことが、フランス語では、ユーモアというのは「絶望の礼儀」という風に言ってるんですけれども、「絶望を乗り越えるためにはユーモア」と言われているんです。なので絵を描くことによって悲しかった出来事についてみんなで笑えるようにする。そんなアトリエを開催していて、自分でも描いた絵がたまっていきました。
そんな中で、エデュケーターとしてのキャリアの一番最初に出会ったサラという女の子がいて、今は32歳になって、もう私の家族の大事な友達になっているんですけれど、彼女自身がとても難しい人生をこれまで生きてきたにも関わらずいつもすごく面白くて知的で そして他の人のことを誰のことも好きになれるような人で。私はこのターラっていうキャラクターによって、彼女との思い出についても書いています。
あとすごく面白かったのが自分の子どもたちがですね、漫画家である父親のことをどう思ってるかよくわからなかったけれども、子どもたちの世代は日本のアニメだとか漫画っていうのはすごく夢中なものなので、お父さんの漫画が日本で出版されるかもしれないっていう話を聞いた時に初めて子どもたちからリスペクトの眼差しを受けるような感じがした。
[ 分離じゃなくて在宅でいいのか?支援者がいたら遺棄は減らせるのか?エデュケーターの役割 ]
質問者:
先ほどもちょっとYouTubeで出てたんですけれども日本で言うと何か親子にまずい関係みたいなところがあったりすると、児相が入って引き離されるっていうイメージがものすごく強いんですけれども、パボさんはそうじゃなくてどっちかっていうと近所のおじちゃんに話すみたいなやり方だと思うんですけど、どうしたらそういう風に日本がなれるかっていうアドバイスやお知恵みたいなのがあったりするんでしょうかっていうのが1点。
もう1 点は、赤ちゃんの遺棄事件みたいなことがありますが、こういう支援者がいることで減らせることはあったりするんですかっていうのを聞きたいです。
パボ:
1つ目の質問について。
半分は施設で働いて、残りの半分のキャリアを在宅教育支援で働きました。施設で感じたことが、例えば、暴力的な親から子どもを守ることはできるけれども、親と十分に協働する時間を取ることができない中でのことなので、家庭内または親子関係で存在した問題が、子どもが18歳を施設を出たとしてもまだ存在することがある。親との断絶を経験していることも子どもにとってマイナスの影響がある。
なので在宅教育支援という賭けになるんですけれども、家庭にいながら関係性を修復できないか、より強固なものにすることができないか、ということです。保護分離というのとは全く違った哲学でされているものです。
自分の産んだ子どもを苦しめたいと思ってる親はいません。もし遺棄するようなことがあったとしたら、その背景に壮大なドラマがあったことをまず想像しなければいけません。もしかしたら望まれていなかった子どもかもしれないし、暴力にあったかもしれないし、周囲の人から拒否されるような状況があったかもしれませんし、自分自身が心理的に受け入れられないような何かしら事情があったかもしれません。そして産んだら親になると思われていますが、母性や父性は最初からあるものではありません。親になるための学校に行くわけでもありません。他に方法が何もなかったからそういったことになったんだとまず考える必要があります。
多くのことは、自分自身が周りからどのように見られてるか、この状況についてどう見られてるか、ということで起きています。周りの人がそう見るからそういう行動をとる、というようなことがある、つまり、それは変えることができるということです。皆さんの人生を考えても、短期間であったとしても、自分に対して、これまで出会ってきた人とは違う見方で自分のことを見てくれた、そのことによって自分はあの時に変わったという経験をしてるのではないでしょうか。例えば自分のことを親はこういう風に見ていたけど、あの人は自分に「これができるよ」って言ってくれた。だから自分自身が思っていたことを超えるような機会になったという経験です。人はみな、人からどう見られているかということにとらわれている囚人です。エデュケーターの仕事は、「あなたは他の姿になることができるよ。君の望んだ姿になることができるよ」と伝えることです。ただ見られ方それだけなの?というふうに思われるかもしれませんけれども、それだけです。どういった見られ方をすることができるかによってその人自身が、変化することを自分に許可することができます。自分はこんな人なんだという考えにとらわれてる人にとってそれを乗り越えるような機会になります。暖かく見守るということと、あとは、「君にはこんな価値がある」っていうことを伝えます。そして、忘れてほしくないのは、多くの子どもにとって、「君にはこんな価値がある」「君はこんなことができる」っていう事は、もしかしたらそれまで1回も言われたことがないという人も子どももたくさんいるっていうことです。相手はそんなことを言われたことがないかもしれないんだということを思って、必ず言うっていうことが非常に大事です。
[ エデュケーターにとって仕事の結果とは? ]
質問者:
お母さんを変えられない時はイラッとしないんですかね。原因としてイラッとしないんですか。
パボ:
仕事としては不可能な仕事だと言われています。全ての人のことを幸せにするためにどうできるのかっていうことはわからないし。お医者さんと同じです。お医者さんは病気を治療するということが目的ですけれども、完璧にこの人のことをケアしたっていうところまでは到達できないはずです。なので、不可能だという風に言われていて常にフラストレーションは伴います。ただ私たちの仕事に関しては、結果の義務はないけれども、どれだけエネルギーをかけたか、どれだけの方法を試したか、ということについての義務はあります。なのでよく子どもたちとお別れする時に自分が役に立っただろうかって思うようなことがあるんですけれども、後々何年後かにその子どもに会った時に、自分が覚えてもいないような一言がどれだけ本人にとって力になったかといったことを言われることがよくあります。なのでエデュケーターの仕事は、種を植えること、肥料を与えてお水を与えること、ただそこから先どんなお花が開くいう言葉ではわかんないことがたくさんあるっていうのが私たちの仕事です。
安發:
パボさんが言ってたことで私にとって印象的だったことが子どものことをまず愛すること、そして親たちのことを愛すること、そしたらそこから愛が広がっていくということです。エデュケーターの専門学校でも、どんなことがあっても相手のことを大好きでい続ける事っていうことがエデュケーターとしての基本だよっていう風に習うんですけれども、パボさんからもそういった話を聞いたことが印象的でした。
私が行っている、在宅教育支援を受けている家族の2年間の調査の中で、多くの家族が2 年の間に、子どもにとってもう心配がない、在宅教育支援が必要ない、ということで支援が終わってるんです。ほとんどの子どもはその間にすごく大きな成長を遂げていて、自分の両親についての悩みとかを初めて話せる人がいたから、子どもたちにとっては折り合いをつけるとか、両親についてこんな不満はあるけれども、でもその不満にとらわれずに自分は自分でこういった人生を築いていきたいんだっていったことについて、自分の将来の見通しだったり自分のエネルギーを自分自身にかけることができるようになったってことがすごく大きな変化だったんです。でも親たちは、例えば両親が憎み合ってるとか難しい病気を抱えているとか、半分弱ぐらいは、親自身について「すごく大きな進歩があった」っていう風には記録されていません。
それまでの間にもすごく長い大変なことがあって、でも児童保護の目的は子どもの調子が良くなることなので、まずできることからするっていうような部分はあります。完璧にその状況が改善するってことは難しいとしても。
[ 漫画が出て実現できていること ]
質問者:
この漫画を世の中に出したことで何かパボさんの人生とかエデュケーターと仕事に与えた影響、何か変わったことはありましたか。
パボ:
私自身は第一線を退いて、仲間たちを見捨ててしまったのではないかといった罪悪感はありました。第一線で仲間たちと戦っていたのに自分が、鉛筆と紙を持って後ろに隠れていってしまったんじゃないか、自分も連帯に十分加わってないんじゃないかという気持ちがありました。ただエデュケーターたちの反応としては、こういう子どもやこういう親っているよねってすごく笑うことができたよとか、自分が一人ぼっちではないというふうに思うことができたよ、ということなので、少なくとも笑顔になることで支えることができていると感じられるような反応はあります。
この職業と子どもたちを守るための政治的な目的、子どもたちとの連帯の気持ちがもちろんあります。資本主義の世界でお金が中心になっている中で、お金を中心にいろんな価値を見捨てて前に進もうとしている社会がある。そういった理不尽に対してユーモアを持って対抗し、そしてユーモアを持ってエデュケーターが仕事としてしていることの価値を伝えようとしています。
[ ソーシャルワークは社会を変革すること ]
質問者:
漫画にしたのはユーモアを大事にしたからですか?表現方法が他にもあるなかでどうして漫画だったんですか。
パボ:
お母さんが趣味としていつでも絵を描いてるような人だったので、何にもないところから いきなり絵が現れ、いろんな感情が生まれるということは、すごく情熱的で素敵なことだなっていう風に小さい時から思っていました。でも絵を学ぶ学校に行くような機会はなかったので、私の場合は完全に独学なんですけれど。
安發:
私からの補足です。エデュケーターという仕事があります。フランスの場合は週35 時間労働なので、それ以外の時間も余裕があるわけで、特に施設の職員とかは夜勤があったりするから普通の一般の人よりさらにバカンスが多いんですね。なのでエデュケーター出身で例えばゲームを作ってる人だとか、映画監督になった人だとかラジオDJで施設にいる子どもたちの話をラジオで流したり、施設に子どもを預けてる親たちがこういったことで不満だってのをラジオで流したり、エデュケーター出身の層がかなり熱くていろんな分野で活躍し、いろんな分野で世の中にこの自分たちのこの職業を守るために知ってもらおうとしています。
だから本当に1年中テレビで「母子生活支援施設での半年」とかそういった番組を見る機会があったりするわけなんですけど、そういう風にそれぞれが社会に価値を伝えようとしている。子どもたちは自分たちで言えないわけじゃないですか。なので関わってるおとなたちが言う。
ソーシャルワーカーの法律で、ソーシャルワーカーというのはケースワークではないと、困ってる人の対応するだけではなく社会を変革すること、社会問題を解決していくことってことがソーシャルワークだと定められている。なのでこれが問題でそのためには何が必要なんだってことをテレビに出て言うとかそういったことが期待されてます。例えば絵によって伝える、記事を書く、学会で報告する、そういったワーカーそれぞれのクリエイティビティというのがすごく奨励されていて、パボさんもアトリエを開いていたっていう話をさっきしてたんですけれども、ケースワークだけではなくて、それぞれのワーカーが今年1年自分はどういったことをするっていうグループを対象とする、もしくは社会を対象とするプロジェクトを立てなければいけないんです。対象者が必要としていること、それに応えられる福祉を自分で企画して、例えば窓をたくさん壊す子がいて、そういった子どもたちにどういった活動をしたらそのことが解決されるのかっていう、個人ではなくて対グループの支援を自分で作り出さなきゃいけない。そんな中からこういったアーティストが生まれたり、クリエイティブな活動が広がっていく部分があります。例えば路上エデュケーターがいたけれど、ネットエデュケーターっていうのもいて、一つのソーシャルワーク事務所でこういったことをした方がいいんじゃないかと。今子どもたちは路上にいるんじゃなくてネット上にいるからネット上で声をかけていく必要があるんじゃないかと。そんな中で広まっていって国が国の制度としてお金を出すに至った。そんな感じでそれぞれのワーカーがクリエイティブであることってことが大事にされています。
[ 中高生にも人気 ]
質問者:
これ子どもも読めるんですか、それともこれおとなが読むためのものか、誰が一番読むのか。
安發:
最初は学校の先生や保育士、子どもと家庭に関わる職業の人たちが読み始めたのですが、今は中高生とかもですね。「親っていうのも結構大変なんだな」とか「結構困った親でも、確かに話を聞いてくれるおとなとの出会いってすごく大事だよね」とか、そんな感じで若い人たちにも最近は読まれているそうです。
パボ:
絵っていうのは、フランスでは歴史上で自由が認められている部分で政治に対してまたは今の制度に対して反対するときにもですね、絵を通して人を笑わせる方法で伝えるのであれば批判が許されてきたという背景があります。デモクラシーを求めるということだったり、今の政権をやっつけるということだったとしても、面白かったら認められる。もし例えば王様をバカにするということが首を切られるような内容だったとしても、王様をバカにしてそれをみんなに笑いを取るようなことであったとしたら許されたわけなのです。なので歴史的にユーモアの絵といったものが存在して、その継承として、このプレスで面白い形で政権を批判したり社会的な風潮を批判するといったことが継承されてきたという背景があります。
[ 人と人の絆を強化するエデュケーター ]
質問者:
私自身も思春期の子どもを育てる親なのでパボさんに来てもらって助けてもらいたいなって思ってるぐらいなんですけれど、そういう親が読んでも例えばヒントになるようなことが漫画にはたくさん含まれているのか。先ほどセミナーの中でお話し出てましたけれども、なんでこんなに悪い事態になってるのかっていう真実を突き止めることが目的じゃなくて、親と子どもそれぞれのライフストーリーをこう探っていって共有していったりして関係性を変えていくってお話が非常に印象に残っていて、そういったあたりが漫画でもたくさん 描かれているんでしょうかっていうのが一つ。
あとちょっと 日本の話になっちゃうんですけど、日本はこれから4月から5月かな、子ども家庭庁っていうものができて、来年度にはですね子どもの子育ての部分と、妊娠出産の部分の公的な支援をよりもっとつなげていこうっていう、制度がちょうど変わっていく時期にあるんですね。ところが、日本の場合はまだまだ縦割りが残ってしまっているので、うまくいくかなってすごい心配して、余計なお世話なんですけど、うまくいくんだろうかっていうふうにこう懐疑的に見てしまうんですが、フランスの場合今日お話を聞いていたら医療と福祉と教育そういったものが本当にがっちりと組み合わさっていて、産婦人科に心理士とかソーシャルワーカーがいるっていうだけでもすごい羨ましいなって思ったんですよね。そういったフランスの制度のお話とかも漫画の中に書かれているのかどうか、そういうことがあれば今の日本には大きいヒントになるんじゃないかと思ったんですがいかがでしょうか。
パボ:
最初の質問にお答えします。この漫画が親として役に立つかというと、ターラのお母さんは結構自分の妄想の世界にもいたりすることがあって大抵の親はですね、ターラのお母さんよりはいい親役割をしてるものなので、役に立つとは思わない上に、この漫画自体が、どうすればいいよ、子育てにおいてどういう方法を取ればうまくいくよっていうことを扱ってるものではないんです。ターラ自身が、お友達も含めて、すごく理不尽だったりうまくいかないような状況をどう乗り越えられるか耐えるかって、いつもいい方法を見つけ出して生きていくんです。そして息が詰まるような状況があったとしても、こうやったらうまく呼吸することができるっていうのを見つけるということが、ターラはとても上手です。そしてターラの夢見た家族生活っていうタイトルなんですけど、夢みたいな状況ではなかったとしても、ターラは他の人との関係性だったりパボの存在だったり、いろんなところで夢見たような生活でない中で抜け道を探して、自分はどういうふうに大きくなるかということを探している。なので子ども自身の持つ強さだとか、子ども自身がどういった思考を持ってるのか、どういった考え方をしてるのか、どうやって自分がすごく問題だと思ってるようなことについて問題意識をずらしていって生きていくことができるのかといった子どもの視点とおとなの視点のコントラストといった面では楽しんでいただけるかもしれません。
私自身は、社会保障全体に目配りをしながら働いてきたというよりも、人との関係性をどのように強化できるかといった視点で働いてきました。例えば学校と家庭との関係がうまくいっていないところだとかに取り組むことはしてきてるんですけれども、一例として、社会的養護を受けてる子どもの20%か40%は障害があるというふうに言われていて、それは一般よりもかなり高い人数。障害があることによって、家庭内で困難があってそれをうまく乗り越える事がなかなか難しい。だからこそ他の人たちが入っていく必要がある。なので障害があったり、そのことについて乗り越えられなかったりする時に、教育だとか障害だとか様々な医療だとか、様々なセクションがお互いに、やっぱり手を取り合って強みを生かし合わなければ、乗り越えるということが難しいです。そこの部分については、お互いが手を組んでいく必要があるのでつないでいきます。制度面がどうなってるよっていうような説明をする漫画ではないです。
安發:
そこは私が、全体的な説明をあまり難しくなりすぎない程度に加えていきたいなっていうふうに思っています。
[ ソーシャルワークが家庭の中に入っていくことができるようになった理由 ]
質問者:
日本では、子育ては個人的な責任が大きくて、社会で子育てするっていうのはほとんどされてないような状態かなと思っているんですけど、フランスではそういう各家庭の責任っていうのをどうやって社会的な役割としてどんどん入っていけるような雰囲気を作っていったのかなというのが知りたいです。
パボ:
親に働きかけるようになった理由についてですね。もっと前の歴史もあるんですけれど、それはまた別の機会にするとして、特に近年の話をすると、第二次世界大戦で大量の殺戮がヨーロッパで行われました。そこでフランス人がすごくショックを受けたのは、おとなで、正しい反応を、正しい行動をしないことがあり得るんだということに、大きな衝撃を受ける機会になりました。それらをふまえ、子どもの時からしっかりケアを受けて育つということが、どれだけ社会の未来に影響を及ぼすかと考えられるようになりました。よく、子どもにお金をかけるかどうか予算の話が出てくるわけなのですが、不幸な人だとか、被害にあった人をそのままケアをしないでおくと先々支障が出るという事は分かっています。アルコールの問題、生産性があまり高くない、心理的に問題を抱える、そういったことが分かっているので、問題が起きる前に予防する、または問題が起きても対応するということができれば、先々の社会のお金がよりかからず、より生産性の良い人を作ることができるということになります。
つまり採算性が出るのは、10年後30年後のことなんです。そのための投資なんだよという話をしても、政治家にとっては30年後自分が同じポストを握ってるわけではないので関心を持ちません。なので実際に行われていることとしては、大きな問題を「はい次の世代にどうぞ」とそのまま放置してしまうということが、政治家たちがとっている構造なんです。けれども子どもを守るというのは、将来を守るということにもなります。子どもを守れば、子どもがおとなになった時にその子どもを守ることもできる。その子どもたちもよく守ることができれば、その人たちがおとなになった時に、もっと子どもたちがいい状況になる。そういった考え方をしています。
安發:
補足なんですけれども フランスで言われてることは、社会で成功してる50人と社会の中で困難を抱えてる人50人を比べると、確実に成功してる50人の方が良い環境で育ってケアを受けている人たち。だったら全員のことをしっかりケアをすれば、世の中で成功する人がもっと増えると、フランスではよく言われています。
パボ:
フランスでも子どもの福祉にお金をかけすぎていると批判をする人はまだいます。ただ、どれくらいその国の市民性が進んでいるか、育っているかということを示しているのは、一番弱い人たち、つまり不幸な目にあってる子どもだとか高齢者だとかがどのような扱いを受けてるかっていうのが、市民性を推し量るバロメーターになってるんではないかというふうに思います。それは億万長者がどれだけ儲けることができたかでは、市民性を見ることはできないからです。
採算性がとても短期間で見られてるからこそ、かなり短い期間でもうこの世界は終わってしまうんじゃないかと言われるようになってきてるわけなんです。経済力ではなく、国が、生きていて幸せかどうかっていうことを見ることが大事だと考えています。
[ パボと安發にとって日本語版の企画はどう持ち上がったか ]
質問者:
安發さんとパボさんがこの本のプロジェクトをやろうと思ったきっかけ、どんな経緯で出会い、これをやろうということになったのか。安發さんとパボさんは長年の付き合い、同じ職場で働いたことがあるですとか、支援の現場で会ったことがあるのか、そこを教えていただければと思います。
安發:
私は日本で生活保護ワーカーとして挫折経験を持ち、20代後半をうつ病になって過ごし、私にできることはないんじゃないかと打ちひしがれて過ごして、ただ当時からフランス、スイスの福祉現場と行き来していたので、だからこそ「フランスだったらあんなことができたのに」「フランスだったらこの子はこんな目に遭わなかったのに」って思っていたからこそ、日本の現状について受け入れがたい気持ちでもあったと思います。ただ日本から当時は休みのたびにこっちの施設に来てフィールドワークをしてたんですけれども、日本から「いいな、あっちだったらあんなことがあるのにな、あの子もフランスだったら大学に行けたのにな」と思うだけじゃなくて、もうちょっと、フランスでこんなことが可能になった背景など深く知りたかった。
特に私は生活保護員の仕事をしてたんですけれども、そのことに関心があっても大学の友達とかに熱く生活保護について語っても分かち合ってくれる人が多くなかったのがすごく寂しくて、フランス人だったらソーシャルな仕事についてなくてもまあ大抵の人が盛り上がってくれるんですよ。何かしらの活動に参加したことがあるとか、どんなドキュメンタリーを見たとかみんな関心があって、なので自分にとってはすごく居心地が良くて。一般のソーシャルな意識、その背景がどこから来てるんだろうってことにも関心がありました。
フランスに来てから様々な方法で日本に向けて書いたり講演をしたりフランスのソーシャルワークについて話してるわけなんですけれども、フランスのソーシャルワーカーさんの実際の言葉遣いだとか、どんなことを実際にしてるのかっていうことを伝えるのが難しくてですね、「在宅支援」とは言っても、「なんか市役所の人が家に来るなんてやだなあ」とかやっぱりその日本にあるものをもとに想像して拒否感を示されたりすることがありました。
なので、そんな中で去年の6月に初めてこの漫画を見た時、もう本当に夜中まで笑って涙を流して、ソーシャルワーカーってこんな仕事だよねって。大変な中でも子どもたちがすごくたくましく育っている。自分の若かった時代を考えても、例えば親子で喧嘩になることがあったりした時に、こんなワーカーの人たちに話せたらこじらせないで済んだだろうなとか、そういうふうに羨ましく思うこともたくさんあって。日本で過ごしてた時に、例えば痴漢にあったりしても「忘れなさいよ」ぐらいで、その時にどれだけ嫌な思いをしたかっていうのを十分聞いてくれる人になかなか出会えなかった。でもフランスはこんなに身近に周りにたくさんいるって、すごくやっぱり安心なことで、そのワーカーたちの動きを漫画だったら伝えることができるんじゃないじゃないかと「日本語版を日本で出すのってどうかな」っていう風にパボさんに言ったんです。
パボ:
この企画についてはすごく驚いていて、明子は控えめだからきっとそのままちゃんと直訳はしないだろうけれど、そのすごく情熱的にですね、これを日本にぜひ紹介したいなっていう風に言ってくれた。きっとこれが日本の多くの人の力になるという風に信じてるっていうに言っていた。そのことについてまあすごく胸を打たれたということと、あとはその日本の文化については自分自身もすごくこれまで敬意を抱いてきたし、特に自分の子どもだとか日本文化にすごく憧れがあるので、この企画がぜひ実現して本当に日本の人たちに読まれてほしい。自分自身は日本語版を読むことはできないわけなんだけれども、誰かの力になることができたらそれは素晴らしいことだっていうふうに思っています。
[ 日本の子ども家庭支援をより良いものにしたい人たちを繋ぐ ]
質問者:
本当に日本の支援職の方、保健師だけじゃなくて福祉職の方もすごくやっぱり辛いことで心折れて去っていくっていう話聞きますので、ぜひこの漫画そういう方たちにも読んでほしいなと思いました。
安發:
私もこの企画をする中でぜひ支援してほしいと話す中で、どんなに多くの人が親子の支援に携わってるか、保育や障害や教育やさまざまな分野から、こんなことしたんだけどうまくいかないとかそういう話が届きました。児童相談所も福祉事務所も在宅支援をしていて、実際ピンポンしても何を言うかということ自体すごく難しいんですって言っていたり、職場の風土がちょっと威圧的で「こんな状況が続いたら保護になりますよ、もう叩かないでくださいね」とかそういった言い方がされてる職場で自分はどういう風に在宅支援をすればいいのかわからないという声があったり。あとはやっぱりどの職場にも熱い人、もっといいことをしていきたい、もっといい福祉にしていきたいというふうに思ってる人たちがいて、でもその人たちが孤立していることもあって、今回この企画で、そういった人たちが繋がっていくような勉強会を開いたり、この漫画を通じて自分が一人ではなくて同じような志を持った人がいるんだと、そういった人たちが集まるような機会を作っていけたらいいなと思います。
例えば在宅教育支援、フランスではですね、毎年1回全国の会議、そして毎月1回地域会議が行われているのですが、全国会議は毎年 1200人が集まるんです。同じ仕事をしてる人が1200人集まって、紹介する研究者も、在宅教育支援出身の人たちが研究者として新たな取り組みを紹介したり、研究成果を発表したり、そして例えば日本でいう厚生労働省の人みたいな人が出た時にですね、その1200人の人たちが、ここの部分はまだ不十分だろうって意見したりするんです。すごくみんなで力を合わせてこの職業、この仕事をもっといいものにしていこうという、そういった熱さが、私は生活保護を担当してた時に、あまりそういった連帯を感じられる仲間につながれていなくて。日本でも現場のことを知っている人たちが、もっと発信して、手を取り合っていくような機会の1つになったらいいなと感じています。私は10年前にフランスに来たんですけれども、来る前の日本では今ほど虐待についてテレビで報道されてなかったんです。今は報道されるようになったので大きな前進ですが、例えばコメンテーターの人たちが、親もすごく辛いことがあってこういったことになったので、親が悪いんじゃなくて親に十分支援が届いていなかった結果起きてしまっているということまでは十分世の中に理解されていないように感じています。なので日本の現場でどのように家族を支えているか、現場の人たちはどんなことをしてるのか、家族をどう支えられたらいいのかっていうことをですねもっと知られるよう広げていくということがすごく大事なんじゃないかなと思っています。