フランスには「地域の家」という地域の人が誰でも来て匿名でおしゃべりして行くことのできる場所がある。中には、心理士やソーシャルワーカーがいて専門的な解決を提案するような場所もあるし、ボランティアだけで運営している場所もある。
今回紹介するのはその一つ、 私が4年前から調査しているセーヌ・サン・ドニ県の児童保護施設の子どもたちがよくお世話になっている「町のオアシス」という名前の場所。
始めは近隣のボランティアによって作られた場所だが、今は県の予算で運営、常勤職員が1人いる。
道路から駐車場を通って砂利道を進むと、信じられないくらい様々な植物が生い茂った楽園のような場所が広がり、緑の下に長テーブルが一つ、その周りに椅子が14脚置いてある。小さな可愛い家から50代の女性が出てきてお茶を飲むかと勧められる。緑の中を散歩している人、少し離れた場所に椅子を置きゆっくりと過ごしている人。長テーブルに座ると先ほどの女性が隣に来てくれる。
子どもたちはそれぞれここに自由な時間に行って過ごす。
自宅に住み、日中施設で過ごすという暮らしをしている子は土日や長期休暇の間家で母と2人きりになるのが苦手でここに来るようになった。縫製を自分の職業にしたいと考えているため、刺繍などを持ってきてボランティアの女性たちに教えてもらいながら課題に取り組む。
ケビン(仮名)という16歳の男の子は、施設でも落ち着きがなく、トラブルを起こすことが多く、また人と話すことが苦手だった。僕が、僕が、僕にくれ、それもくれ、常に大人が構ってくれないとあちこち壊して気を引こうとした。必死に人から与えてもらおうとしていた。ケビンにとってもここが唯一落ち着く場所となり、スタッフにさまざまな話をするようになり、町のオアシスが施設に情報提供し一緒に彼を支えるようになった。その中で、ケビンは初めて、5歳以降一回も会えていない、消息もわからない母に会ってみたいと口にすることができた。施設の職員がコミュニティのツテをたどり捜索活動をした。
母との再会もこの場所でおこなわれた。
「誕生部プレゼントは、0ユーロの価値のものだけど、永遠でもあるよ」
「何それ?」
ケビンは「何それ?」と7回言ったあと、「お母さん…?」と言った。
「お母さんどんな人だと思う?」
190cmあるケビンは自分より30cmくらい上に手をかざして「これくらい大きくて」
「きれいで、大きくて、僕よりずっと大きくて..」
彼の中でお母さんの記憶は5歳のときから止まっている。お母さんは妖精のようで優しく、自分の人生を美しく塗り替えると思っていた。
それから先のケビンとお母さんの再会も町のオアシスでおこなわれた。
ケビンが18歳になり1人暮らしを始めたときは職員の知り合いの持っている空家が提供された。ケビンによって破壊され、引き上げられたが、職員はそのことも笑いながら話す。
職員アブドゥはいつも温かい笑顔で我が子のことのように目を細めて話す。「この間、ケビンが、買い物に行くけど何がほしい?って言うんだ。初めて僕のことを思いやってくれたんだよ。それで、じゃあクッキーと言って、ケビンはそのあと用事もあったから忘れたかと思っていたら夕方になってクッキーを持って帰って来たんだ。財布を確認したら、ちゃんとそのぶんお金が減っているから盗んだものでもない。嬉しかったね!」
ケビンが町のオアシスのスタッフたちを1人暮らしの家の食事に招いたときの動画を職員は宝物のように何度も見せてくれた。Give and takeができるようになれば、支援の成功だと言う。
母と再会できてもケビンにとってそれはハッピーエンドではなかった。
母はケビンといると嬉しくていつも笑っているが、それがケビンには腹がたつ。「僕を見捨てたくせに何が面白いんだ」と思ってしまう。
しかし母は息子を見捨てたとは一切認めない。「毎日ケビンを思わない日はなかった」と言い張る。現実に対する2人の認識には大きな隔たりがある。
ケビンはアパートを借り一人暮らしをし、 仕事もしている。母はそこに転がり込み、ケビンに一銭も払っていない。しかしケビンには母を追い出すことはできない。
児童福祉の支援が切れたあとも、ケビンと母のその後まで見守ってくれる、ケビンもお母さんもいつでも話をしに来ることのできる場所がある。ケビンには母も父もいなかったが、実家のように必ず笑顔で迎えてくれるアブドゥがいる。
施設の子どもに職員たちは、「実親だけが親ではない、social father, social mother を見つけなさい、必ず助けてくれる人がいるから」といつも言っていた。ケビンはアブドゥというsocial fatherに町のオアシスで出会うことができた。