ターラの夢見た家族生活

フランスの子育て支援についての漫画出版企画についてのコーナーです

2023年03月12日目次 1 2 3 3 4 5 6 8 8 9 10 11 13 14 [心配がなくても利用できる在宅支援と、心配がある子どもの在宅教育支援] 質問者: 安發さんの書かれた論文とかも見させていただいていますが、エデュケーターが関わる支援として、困難のある家庭に対しての在宅教育支援と、困難のない家庭であっても誰でも利用できる在宅支援と2つ書かれてたと思うんですが、困難のない家庭でも利用できる在宅支援というのはだいたいどれぐらいの割合の家庭が利用していますか。 安發: 在宅教育支援も、親自身が望んだら利用することはできますが、困難がなくても利用できる在宅支援の方は、社会家庭専門員というこれも国家資格のある人が派遣されるんですけれども、1%ぐらいです。 1年単位で計画を立てるわけではなく、必要な時に利用するので、3歳までの間に一度でも利用したことのある子どもは3%から5%と国の報告書には出ています。 私自身が妊娠した時にも受けましたが、身体面だけでなく、社会面心理面でも心配がないか、支援が必要ではないか、という妊娠初期面談が義務化されています。病院の産科でお医者さんが「妊娠してますね」「赤ちゃんの状況はいいみたいですよ」と言った後、妊娠初期面談が義務ですので、「待っててください」と。お医者さんがいなくなると、産科には必ずソーシャルワーカーと心理士が専属でいるので、ソーシャルワーカーが入れ替わりで診察室に入る。 私の場合は日本人同士なので、社会的に孤立するリスクがありますねとか、助けてくれる親族がフランスにないんですねとか、夫がサービス業で土日は赤ちゃんと2人きりってそれはすごく大変ですよとか。その時に勧められたのが在宅支援。 在宅支援の人はソーシャルワーカーですが、家事支援育児支援、そして家庭支援とソーシャルワークを担うことになっています。病院から派遣された場合は病院のソーシャルワーカーと連携しながら、例えば週3回2時間ずつ家庭に入って私の状況について、家事や育児を手伝いながらソーシャルワーク面でも支えるというような仕組みです。健康保険から支払われていて、2時間200円とか。日本の場合家庭に定期的に手伝いに来るのはソーシャルワーカーではなく、有資格者でもないことが多いのですが、フランスでは国家資格者で、プレスクリプトしたソーシャルワーカーと同時並行で家庭を見守ります。私が言われたのは「必要がなかったとしても赤ちゃんのことを2時間抱っこしてもらってその間あなたが好きなことをやりなさい」「お母さん自身が疲れてなくて自分のやりたいことをやってるってことが赤ちゃんにとってすごく大事なんだよ」と言われました。必要になってから支援を求めるのではなくて自分がいい状況で子育てをできるために支援を使えるんだと知りました。 困難がある家庭、日本でいう要支援を対象とするのが在宅教育支援で児童保護、障害、成人の自立支援を学んでいるエデュケーターが家庭に入りますが、社会家庭専門員も同時並行で使われることが多いです。例えば子どもが遅刻しがちな場合に、毎日朝7時から8時半までに朝起こして朝ごはん食べさせて学校に連れて行くということまでがその社会家庭専門員の在宅支援。そして週3回夕方に在宅教育支援のエデュケーターが来て、宿題を見ながらお母さんの書類の整理を手伝ったり一人の子を歯医者に連れていく間に他の子どもたちをみたりそんな感じで同時並行で使うことがあります。 [ 申請しなくても提案される支援と保育 ] 質問者: 朝食に付き合ったり、宿題も見てくれたりだとかすごくいいなと思うんです。やっぱり生まれたばかりの時っていうのもそうだと思いますが、実際自分自身の経験とかも鑑みてみると、やっぱり就学してからのそういういわゆる問題が起きる前の予防的支援ってすごくあるとありがたいなと思うんですよ。その割には、今お聞きして3から 5%っていう数字が意外と少ないかなとも思ったんですけれど、認知がまだ十分に至ってないという感じなのか、そこまで必要としない状況の方がむしろあるっていうことなのかどうなのかなと。 安發: 全ての妊娠中の女性と子どもに関わる機関には児童保護の専門職が配置されてるんです。なので産科にもソーシャルワーカーと心理士がいるので、その人たちが支援をすることができる。例えばそこが民間も含めた支援の手続きをし、数回そこで調整するくらいで済む場合は家庭内まで入ってくる必要はないわけじゃないですか。 産んだ直後もですね、保健所の小児看護師とか助産師が心配ある家庭に、例えば1日おきに家に来ることで状況が良くなる家庭はある。民間の機関に子どもを連れていって相談できる、たまに子どもを預けられるくらいで十分という家庭もある。だけど、さらにプラスでやっぱり週3回2時間ずつ家事育児を支援する必要があるよっていう場合、お母さんが病気か障害があったり、精神疾患があったり、双子だったり三つ子だったり、何もなかったとしてもいいんですけれど、そういう場合は在宅支援の契約を結ぶ。 なのでまず基本として児童保護の専門職がどの機関にもいて、すでに家庭内にかなり関わってるというのがあります。例えば生後2 ヶ月半からの保育は両親の所得の1割で利用できるんです。収入が少なかったり、働いてなかったとしても利用することができるんです。保育園に心理士さんがいて、児童保護専門医が毎週1回来て、そして保育園も保育士だけではなくて、医療面を見る小児看護補助資格の人、あとは幼児エデュケーターと児童指導員、最低でも3種類の職業の人が入ってるんです。さまざまな視点から色んなことを言ってくれるので、私自身も保育園の心理士からいろいろ言われることがあったりした。学校に入ってからも健康診断で健康面だけではなくて 心理面学習面でもチェックしなければいけないってことになってる、子どもの福祉が行き届いているか見ることを担当する人がいる。プラスで必要がある場合の在宅教育支援です。 質問者: 予防を考えると、困難のない家庭についても同様に結構関わっているものなんですか、エデュケーターの人たちっていうのは。それともそれは利用したいっていう風に言われたことによって関わるものなんですか。 安發: エデュケーターっていうのは児童保護分野とか、障害とかになるのでなので、まず最初のニーズがあるかどうかをキャッチするのはソーシャルワーカーだったり学校の心理士だったりすることが多いです。 質問者: 分かってから登場するのがニーズに対して訓練を受けてきているエデュケーターという 感じですね。あくまで要望を受けてから入り込むっていうことなんですね 安發: そうですね、専門機関に勤めてることが多いです。あとは路上エデュケーターという形もいます。なので専門チームって思った方がいいですね。 [ 学校と福祉の連携 ] 質問者: ちょっと学校との連携ってどうなってるのかなっていうのもお聞きしたかったんですけど。なんか今のお話の中で学校とも連携を取られているんだなっていうのが。 安發 そうですね在宅教育支援の始まりはほとんど全て学校で勉強に遅れがあるとか心配な行動があるなどが理由です。勉強に遅れがあるのは子どもの何かしら不調があることの表れと見ます。在宅教育支援が始まったらエデュケーターは学校での面談など全て同席します。 路上エデュケーターの人たちは学校の休み時間や地域にいるので、学校の先生にも親にも言いにくいようなことが相談できたりするということもあります。 [ 日本語版について ] 質問者:日本語版には解説などはつくのか 今日いろいろ私たちも話を聞くと連動していろんなことがこれどうなってるんだろう日本と比べてどうなんだろうっていうことはちょっと気になるんですけど、これから作る本は、その本を漫画で読むとだんだんそれがこんな仕組みなんだっていうのがわかってくるような感じなのか、何か解説みたいなものがつくとか予定はありますか。 安發: ちゃんと解説をつけようと思ってますけど、実際こんな立派な本で大きいんですね。なのでこれ3冊を1冊にするからかなり分量があると思います。私これ最初読んだ時朝方まで笑って、それでも1冊読み終わらなかったので、読むのには中身がしっかりしている内容です。 56ページぐらい、かける3冊っていうことですね。解説はつけようと思っています。でも 漫画なので、読んでると慣れてくると思います、フランスの状況に。ターラちゃんのクラスに何人も在宅支援を受けてる子どもたちがいて、学校帰りにパボが子どもたち全員引き連れて在宅教育支援事務所に連れて行っておやつを食べさせて、子どもたち同士が自分たちの親について話すとか、子どもたちがどのような子ども時代を過ごしているかについても知ることができます。 [ なぜエデュケーターから漫画家になったのか ] 質問者: パボさんがどうしてエデュケーターから漫画家になられたのかなっていうのと、どうしてこの漫画を書こうと思われたのかっていうところをお聞きしたいです。このテーマを選んだ理由とかですかね。 パボ: 全ての子どもは画家だと思います。ただ、なぜか途中でおとなになる過程でやめてしまう人がいる中で、自分はただ続けただけっていう部分がありますが、まず在宅教育支援より前に施設で働いていた時に、子どもたちはすごく大きな怒りを抱えていました。それは暴力の被害にあったとか、見捨てられたような経験をしていたりして、そのことについて学校に行かなかったり何かを壊したり喧嘩をしたりおとなに反抗したりといった反応を示していました。 なので私がしたのは子どもたちに絵を描くアトリエを提案し、自分の怒りを面白い絵として表現してみようと提案しました。なぜかというと自分の怒っていることについて、みんなで笑えたらそれは自分が怒ってることがらよりも自分の方が強くなったっていうことだからです。 なのでアトリエの中で子どもたちが絵を描いてる間に、私もエデュケーターの仕事について、自分が接してる子どもたちについて絵を描くようになりました。悲しいことがあった時に悲しいことを面白い絵として表現する、面白おかしくですね、みんなとその出来事をわかちあうっていうことが、フランス語では、ユーモアというのは「絶望の礼儀」という風に言ってるんですけれども、「絶望を乗り越えるためにはユーモア」と言われているんです。なので絵を描くことによって悲しかった出来事についてみんなで笑えるようにする。そんなアトリエを開催していて、自分でも描いた絵がたまっていきました。 そんな中で、エデュケーターとしてのキャリアの一番最初に出会ったサラという女の子がいて、今は32歳になって、もう私の家族の大事な友達になっているんですけれど、彼女自身がとても難しい人生をこれまで生きてきたにも関わらずいつもすごく面白くて知的で そして他の人のことを誰のことも好きになれるような人で。私はこのターラっていうキャラクターによって、彼女との思い出についても書いています。 あとすごく面白かったのが自分の子どもたちがですね、漫画家である父親のことをどう思ってるかよくわからなかったけれども、子どもたちの世代は日本のアニメだとか漫画っていうのはすごく夢中なものなので、お父さんの漫画が日本で出版されるかもしれないっていう話を聞いた時に初めて子どもたちからリスペクトの眼差しを受けるような感じがした。 [ 分離じゃなくて在宅でいいのか?支援者がいたら遺棄は減らせるのか?エデュケーターの役割 ] 質問者: 先ほどもちょっとYouTubeで出てたんですけれども日本で言うと何か親子にまずい関係みたいなところがあったりすると、児相が入って引き離されるっていうイメージがものすごく強いんですけれども、パボさんはそうじゃなくてどっちかっていうと近所のおじちゃんに話すみたいなやり方だと思うんですけど、どうしたらそういう風に日本がなれるかっていうアドバイスやお知恵みたいなのがあったりするんでしょうかっていうのが1点。 もう1 点は、赤ちゃんの遺棄事件みたいなことがありますが、こういう支援者がいることで減らせることはあったりするんですかっていうのを聞きたいです。 パボ: 1つ目の質問について。 半分は施設で働いて、残りの半分のキャリアを在宅教育支援で働きました。施設で感じたことが、例えば、暴力的な親から子どもを守ることはできるけれども、親と十分に協働する時間を取ることができない中でのことなので、家庭内または親子関係で存在した問題が、子どもが18歳を施設を出たとしてもまだ存在することがある。親との断絶を経験していることも子どもにとってマイナスの影響がある。 なので在宅教育支援という賭けになるんですけれども、家庭にいながら関係性を修復できないか、より強固なものにすることができないか、ということです。保護分離というのとは全く違った哲学でされているものです。 自分の産んだ子どもを苦しめたいと思ってる親はいません。もし遺棄するようなことがあったとしたら、その背景に壮大なドラマがあったことをまず想像しなければいけません。もしかしたら望まれていなかった子どもかもしれないし、暴力にあったかもしれないし、周囲の人から拒否されるような状況があったかもしれませんし、自分自身が心理的に受け入れられないような何かしら事情があったかもしれません。そして産んだら親になると思われていますが、母性や父性は最初からあるものではありません。親になるための学校に行くわけでもありません。他に方法が何もなかったからそういったことになったんだとまず考える必要があります。 多くのことは、自分自身が周りからどのように見られてるか、この状況についてどう見られてるか、ということで起きています。周りの人がそう見るからそういう行動をとる、というようなことがある、つまり、それは変えることができるということです。皆さんの人生を考えても、短期間であったとしても、自分に対して、これまで出会ってきた人とは違う見方で自分のことを見てくれた、そのことによって自分はあの時に変わったという経験をしてるのではないでしょうか。例えば自分のことを親はこういう風に見ていたけど、あの人は自分に「これができるよ」って言ってくれた。だから自分自身が思っていたことを超えるような機会になったという経験です。人はみな、人からどう見られているかということにとらわれている囚人です。エデュケーターの仕事は、「あなたは他の姿になることができるよ。君の望んだ姿になることができるよ」と伝えることです。ただ見られ方それだけなの?というふうに思われるかもしれませんけれども、それだけです。どういった見られ方をすることができるかによってその人自身が、変化することを自分に許可することができます。自分はこんな人なんだという考えにとらわれてる人にとってそれを乗り越えるような機会になります。暖かく見守るということと、あとは、「君にはこんな価値がある」っていうことを伝えます。そして、忘れてほしくないのは、多くの子どもにとって、「君にはこんな価値がある」「君はこんなことができる」っていう事は、もしかしたらそれまで1回も言われたことがないという人も子どももたくさんいるっていうことです。相手はそんなことを言われたことがないかもしれないんだということを思って、必ず言うっていうことが非常に大事です。 [ エデュケーターにとって仕事の結果とは? ] 質問者: お母さんを変えられない時はイラッとしないんですかね。原因としてイラッとしないんですか。 パボ: 仕事としては不可能な仕事だと言われています。全ての人のことを幸せにするためにどうできるのかっていうことはわからないし。お医者さんと同じです。お医者さんは病気を治療するということが目的ですけれども、完璧にこの人のことをケアしたっていうところまでは到達できないはずです。なので、不可能だという風に言われていて常にフラストレーションは伴います。ただ私たちの仕事に関しては、結果の義務はないけれども、どれだけエネルギーをかけたか、どれだけの方法を試したか、ということについての義務はあります。なのでよく子どもたちとお別れする時に自分が役に立っただろうかって思うようなことがあるんですけれども、後々何年後かにその子どもに会った時に、自分が覚えてもいないような一言がどれだけ本人にとって力になったかといったことを言われることがよくあります。なのでエデュケーターの仕事は、種を植えること、肥料を与えてお水を与えること、ただそこから先どんなお花が開くいう言葉ではわかんないことがたくさんあるっていうのが私たちの仕事です。 安發: パボさんが言ってたことで私にとって印象的だったことが子どものことをまず愛すること、そして親たちのことを愛すること、そしたらそこから愛が広がっていくということです。エデュケーターの専門学校でも、どんなことがあっても相手のことを大好きでい続ける事っていうことがエデュケーターとしての基本だよっていう風に習うんですけれども、パボさんからもそういった話を聞いたことが印象的でした。 私が行っている、在宅教育支援を受けている家族の2年間の調査の中で、多くの家族が2 年の間に、子どもにとってもう心配がない、在宅教育支援が必要ない、ということで支援が終わってるんです。ほとんどの子どもはその間にすごく大きな成長を遂げていて、自分の両親についての悩みとかを初めて話せる人がいたから、子どもたちにとっては折り合いをつけるとか、両親についてこんな不満はあるけれども、でもその不満にとらわれずに自分は自分でこういった人生を築いていきたいんだっていったことについて、自分の将来の見通しだったり自分のエネルギーを自分自身にかけることができるようになったってことがすごく大きな変化だったんです。でも親たちは、例えば両親が憎み合ってるとか難しい病気を抱えているとか、半分弱ぐらいは、親自身について「すごく大きな進歩があった」っていう風には記録されていません。 それまでの間にもすごく長い大変なことがあって、でも児童保護の目的は子どもの調子が良くなることなので、まずできることからするっていうような部分はあります。完璧にその状況が改善するってことは難しいとしても。 [ 漫画が出て実現できていること ] 質問者: この漫画を世の中に出したことで何かパボさんの人生とかエデュケーターと仕事に与えた影響、何か変わったことはありましたか。 パボ: 私自身は第一線を退いて、仲間たちを見捨ててしまったのではないかといった罪悪感はありました。第一線で仲間たちと戦っていたのに自分が、鉛筆と紙を持って後ろに隠れていってしまったんじゃないか、自分も連帯に十分加わってないんじゃないかという気持ちがありました。ただエデュケーターたちの反応としては、こういう子どもやこういう親っているよねってすごく笑うことができたよとか、自分が一人ぼっちではないというふうに思うことができたよ、ということなので、少なくとも笑顔になることで支えることができていると感じられるような反応はあります。 この職業と子どもたちを守るための政治的な目的、子どもたちとの連帯の気持ちがもちろんあります。資本主義の世界でお金が中心になっている中で、お金を中心にいろんな価値を見捨てて前に進もうとしている社会がある。そういった理不尽に対してユーモアを持って対抗し、そしてユーモアを持ってエデュケーターが仕事としてしていることの価値を伝えようとしています。 [ ソーシャルワークは社会を変革すること ] 質問者: 漫画にしたのはユーモアを大事にしたからですか?表現方法が他にもあるなかでどうして漫画だったんですか。 パボ: お母さんが趣味としていつでも絵を描いてるような人だったので、何にもないところから いきなり絵が現れ、いろんな感情が生まれるということは、すごく情熱的で素敵なことだなっていう風に小さい時から思っていました。でも絵を学ぶ学校に行くような機会はなかったので、私の場合は完全に独学なんですけれど。 安發: 私からの補足です。エデュケーターという仕事があります。フランスの場合は週35 時間労働なので、それ以外の時間も余裕があるわけで、特に施設の職員とかは夜勤があったりするから普通の一般の人よりさらにバカンスが多いんですね。なのでエデュケーター出身で例えばゲームを作ってる人だとか、映画監督になった人だとかラジオDJで施設にいる子どもたちの話をラジオで流したり、施設に子どもを預けてる親たちがこういったことで不満だってのをラジオで流したり、エデュケーター出身の層がかなり熱くていろんな分野で活躍し、いろんな分野で世の中にこの自分たちのこの職業を守るために知ってもらおうとしています。 だから本当に1年中テレビで「母子生活支援施設での半年」とかそういった番組を見る機会があったりするわけなんですけど、そういう風にそれぞれが社会に価値を伝えようとしている。子どもたちは自分たちで言えないわけじゃないですか。なので関わってるおとなたちが言う。 ソーシャルワーカーの法律で、ソーシャルワーカーというのはケースワークではないと、困ってる人の対応するだけではなく社会を変革すること、社会問題を解決していくことってことがソーシャルワークだと定められている。なのでこれが問題でそのためには何が必要なんだってことをテレビに出て言うとかそういったことが期待されてます。例えば絵によって伝える、記事を書く、学会で報告する、そういったワーカーそれぞれのクリエイティビティというのがすごく奨励されていて、パボさんもアトリエを開いていたっていう話をさっきしてたんですけれども、ケースワークだけではなくて、それぞれのワーカーが今年1年自分はどういったことをするっていうグループを対象とする、もしくは社会を対象とするプロジェクトを立てなければいけないんです。対象者が必要としていること、それに応えられる福祉を自分で企画して、例えば窓をたくさん壊す子がいて、そういった子どもたちにどういった活動をしたらそのことが解決されるのかっていう、個人ではなくて対グループの支援を自分で作り出さなきゃいけない。そんな中からこういったアーティストが生まれたり、クリエイティブな活動が広がっていく部分があります。例えば路上エデュケーターがいたけれど、ネットエデュケーターっていうのもいて、一つのソーシャルワーク事務所でこういったことをした方がいいんじゃないかと。今子どもたちは路上にいるんじゃなくてネット上にいるからネット上で声をかけていく必要があるんじゃないかと。そんな中で広まっていって国が国の制度としてお金を出すに至った。そんな感じでそれぞれのワーカーがクリエイティブであることってことが大事にされています。 [ 中高生にも人気 ] 質問者: これ子どもも読めるんですか、それともこれおとなが読むためのものか、誰が一番読むのか。 安發: 最初は学校の先生や保育士、子どもと家庭に関わる職業の人たちが読み始めたのですが、今は中高生とかもですね。「親っていうのも結構大変なんだな」とか「結構困った親でも、確かに話を聞いてくれるおとなとの出会いってすごく大事だよね」とか、そんな感じで若い人たちにも最近は読まれているそうです。 パボ: 絵っていうのは、フランスでは歴史上で自由が認められている部分で政治に対してまたは今の制度に対して反対するときにもですね、絵を通して人を笑わせる方法で伝えるのであれば批判が許されてきたという背景があります。デモクラシーを求めるということだったり、今の政権をやっつけるということだったとしても、面白かったら認められる。もし例えば王様をバカにするということが首を切られるような内容だったとしても、王様をバカにしてそれをみんなに笑いを取るようなことであったとしたら許されたわけなのです。なので歴史的にユーモアの絵といったものが存在して、その継承として、このプレスで面白い形で政権を批判したり社会的な風潮を批判するといったことが継承されてきたという背景があります。 [ 人と人の絆を強化するエデュケーター ] 質問者: 私自身も思春期の子どもを育てる親なのでパボさんに来てもらって助けてもらいたいなって思ってるぐらいなんですけれど、そういう親が読んでも例えばヒントになるようなことが漫画にはたくさん含まれているのか。先ほどセミナーの中でお話し出てましたけれども、なんでこんなに悪い事態になってるのかっていう真実を突き止めることが目的じゃなくて、親と子どもそれぞれのライフストーリーをこう探っていって共有していったりして関係性を変えていくってお話が非常に印象に残っていて、そういったあたりが漫画でもたくさん 描かれているんでしょうかっていうのが一つ。 あとちょっと 日本の話になっちゃうんですけど、日本はこれから4月から5月かな、子ども家庭庁っていうものができて、来年度にはですね子どもの子育ての部分と、妊娠出産の部分の公的な支援をよりもっとつなげていこうっていう、制度がちょうど変わっていく時期にあるんですね。ところが、日本の場合はまだまだ縦割りが残ってしまっているので、うまくいくかなってすごい心配して、余計なお世話なんですけど、うまくいくんだろうかっていうふうにこう懐疑的に見てしまうんですが、フランスの場合今日お話を聞いていたら医療と福祉と教育そういったものが本当にがっちりと組み合わさっていて、産婦人科に心理士とかソーシャルワーカーがいるっていうだけでもすごい羨ましいなって思ったんですよね。そういったフランスの制度のお話とかも漫画の中に書かれているのかどうか、そういうことがあれば今の日本には大きいヒントになるんじゃないかと思ったんですがいかがでしょうか。 パボ: 最初の質問にお答えします。この漫画が親として役に立つかというと、ターラのお母さんは結構自分の妄想の世界にもいたりすることがあって大抵の親はですね、ターラのお母さんよりはいい親役割をしてるものなので、役に立つとは思わない上に、この漫画自体が、どうすればいいよ、子育てにおいてどういう方法を取ればうまくいくよっていうことを扱ってるものではないんです。ターラ自身が、お友達も含めて、すごく理不尽だったりうまくいかないような状況をどう乗り越えられるか耐えるかって、いつもいい方法を見つけ出して生きていくんです。そして息が詰まるような状況があったとしても、こうやったらうまく呼吸することができるっていうのを見つけるということが、ターラはとても上手です。そしてターラの夢見た家族生活っていうタイトルなんですけど、夢みたいな状況ではなかったとしても、ターラは他の人との関係性だったりパボの存在だったり、いろんなところで夢見たような生活でない中で抜け道を探して、自分はどういうふうに大きくなるかということを探している。なので子ども自身の持つ強さだとか、子ども自身がどういった思考を持ってるのか、どういった考え方をしてるのか、どうやって自分がすごく問題だと思ってるようなことについて問題意識をずらしていって生きていくことができるのかといった子どもの視点とおとなの視点のコントラストといった面では楽しんでいただけるかもしれません。 私自身は、社会保障全体に目配りをしながら働いてきたというよりも、人との関係性をどのように強化できるかといった視点で働いてきました。例えば学校と家庭との関係がうまくいっていないところだとかに取り組むことはしてきてるんですけれども、一例として、社会的養護を受けてる子どもの20%か40%は障害があるというふうに言われていて、それは一般よりもかなり高い人数。障害があることによって、家庭内で困難があってそれをうまく乗り越える事がなかなか難しい。だからこそ他の人たちが入っていく必要がある。なので障害があったり、そのことについて乗り越えられなかったりする時に、教育だとか障害だとか様々な医療だとか、様々なセクションがお互いに、やっぱり手を取り合って強みを生かし合わなければ、乗り越えるということが難しいです。そこの部分については、お互いが手を組んでいく必要があるのでつないでいきます。制度面がどうなってるよっていうような説明をする漫画ではないです。 安發: そこは私が、全体的な説明をあまり難しくなりすぎない程度に加えていきたいなっていうふうに思っています。 [ ソーシャルワークが家庭の中に入っていくことができるようになった理由 ] 質問者: 日本では、子育ては個人的な責任が大きくて、社会で子育てするっていうのはほとんどされてないような状態かなと思っているんですけど、フランスではそういう各家庭の責任っていうのをどうやって社会的な役割としてどんどん入っていけるような雰囲気を作っていったのかなというのが知りたいです。 パボ: 親に働きかけるようになった理由についてですね。もっと前の歴史もあるんですけれど、それはまた別の機会にするとして、特に近年の話をすると、第二次世界大戦で大量の殺戮がヨーロッパで行われました。そこでフランス人がすごくショックを受けたのは、おとなで、正しい反応を、正しい行動をしないことがあり得るんだということに、大きな衝撃を受ける機会になりました。それらをふまえ、子どもの時からしっかりケアを受けて育つということが、どれだけ社会の未来に影響を及ぼすかと考えられるようになりました。よく、子どもにお金をかけるかどうか予算の話が出てくるわけなのですが、不幸な人だとか、被害にあった人をそのままケアをしないでおくと先々支障が出るという事は分かっています。アルコールの問題、生産性があまり高くない、心理的に問題を抱える、そういったことが分かっているので、問題が起きる前に予防する、または問題が起きても対応するということができれば、先々の社会のお金がよりかからず、より生産性の良い人を作ることができるということになります。 つまり採算性が出るのは、10年後30年後のことなんです。そのための投資なんだよという話をしても、政治家にとっては30年後自分が同じポストを握ってるわけではないので関心を持ちません。なので実際に行われていることとしては、大きな問題を「はい次の世代にどうぞ」とそのまま放置してしまうということが、政治家たちがとっている構造なんです。けれども子どもを守るというのは、将来を守るということにもなります。子どもを守れば、子どもがおとなになった時にその子どもを守ることもできる。その子どもたちもよく守ることができれば、その人たちがおとなになった時に、もっと子どもたちがいい状況になる。そういった考え方をしています。 安發: 補足なんですけれども フランスで言われてることは、社会で成功してる50人と社会の中で困難を抱えてる人50人を比べると、確実に成功してる50人の方が良い環境で育ってケアを受けている人たち。だったら全員のことをしっかりケアをすれば、世の中で成功する人がもっと増えると、フランスではよく言われています。 パボ: フランスでも子どもの福祉にお金をかけすぎていると批判をする人はまだいます。ただ、どれくらいその国の市民性が進んでいるか、育っているかということを示しているのは、一番弱い人たち、つまり不幸な目にあってる子どもだとか高齢者だとかがどのような扱いを受けてるかっていうのが、市民性を推し量るバロメーターになってるんではないかというふうに思います。それは億万長者がどれだけ儲けることができたかでは、市民性を見ることはできないからです。 採算性がとても短期間で見られてるからこそ、かなり短い期間でもうこの世界は終わってしまうんじゃないかと言われるようになってきてるわけなんです。経済力ではなく、国が、生きていて幸せかどうかっていうことを見ることが大事だと考えています。 [ パボと安發にとって日本語版の企画はどう持ち上がったか ] 質問者: 安發さんとパボさんがこの本のプロジェクトをやろうと思ったきっかけ、どんな経緯で出会い、これをやろうということになったのか。安發さんとパボさんは長年の付き合い、同じ職場で働いたことがあるですとか、支援の現場で会ったことがあるのか、そこを教えていただければと思います。 安發: 私は日本で生活保護ワーカーとして挫折経験を持ち、20代後半をうつ病になって過ごし、私にできることはないんじゃないかと打ちひしがれて過ごして、ただ当時からフランス、スイスの福祉現場と行き来していたので、だからこそ「フランスだったらあんなことができたのに」「フランスだったらこの子はこんな目に遭わなかったのに」って思っていたからこそ、日本の現状について受け入れがたい気持ちでもあったと思います。ただ日本から当時は休みのたびにこっちの施設に来てフィールドワークをしてたんですけれども、日本から「いいな、あっちだったらあんなことがあるのにな、あの子もフランスだったら大学に行けたのにな」と思うだけじゃなくて、もうちょっと、フランスでこんなことが可能になった背景など深く知りたかった。 特に私は生活保護員の仕事をしてたんですけれども、そのことに関心があっても大学の友達とかに熱く生活保護について語っても分かち合ってくれる人が多くなかったのがすごく寂しくて、フランス人だったらソーシャルな仕事についてなくてもまあ大抵の人が盛り上がってくれるんですよ。何かしらの活動に参加したことがあるとか、どんなドキュメンタリーを見たとかみんな関心があって、なので自分にとってはすごく居心地が良くて。一般のソーシャルな意識、その背景がどこから来てるんだろうってことにも関心がありました。 フランスに来てから様々な方法で日本に向けて書いたり講演をしたりフランスのソーシャルワークについて話してるわけなんですけれども、フランスのソーシャルワーカーさんの実際の言葉遣いだとか、どんなことを実際にしてるのかっていうことを伝えるのが難しくてですね、「在宅支援」とは言っても、「なんか市役所の人が家に来るなんてやだなあ」とかやっぱりその日本にあるものをもとに想像して拒否感を示されたりすることがありました。 なので、そんな中で去年の6月に初めてこの漫画を見た時、もう本当に夜中まで笑って涙を流して、ソーシャルワーカーってこんな仕事だよねって。大変な中でも子どもたちがすごくたくましく育っている。自分の若かった時代を考えても、例えば親子で喧嘩になることがあったりした時に、こんなワーカーの人たちに話せたらこじらせないで済んだだろうなとか、そういうふうに羨ましく思うこともたくさんあって。日本で過ごしてた時に、例えば痴漢にあったりしても「忘れなさいよ」ぐらいで、その時にどれだけ嫌な思いをしたかっていうのを十分聞いてくれる人になかなか出会えなかった。でもフランスはこんなに身近に周りにたくさんいるって、すごくやっぱり安心なことで、そのワーカーたちの動きを漫画だったら伝えることができるんじゃないじゃないかと「日本語版を日本で出すのってどうかな」っていう風にパボさんに言ったんです。 パボ: この企画についてはすごく驚いていて、明子は控えめだからきっとそのままちゃんと直訳はしないだろうけれど、そのすごく情熱的にですね、これを日本にぜひ紹介したいなっていう風に言ってくれた。きっとこれが日本の多くの人の力になるという風に信じてるっていうに言っていた。そのことについてまあすごく胸を打たれたということと、あとはその日本の文化については自分自身もすごくこれまで敬意を抱いてきたし、特に自分の子どもだとか日本文化にすごく憧れがあるので、この企画がぜひ実現して本当に日本の人たちに読まれてほしい。自分自身は日本語版を読むことはできないわけなんだけれども、誰かの力になることができたらそれは素晴らしいことだっていうふうに思っています。 [ 日本の子ども家庭支援をより良いものにしたい人たちを繋ぐ ] 質問者: 本当に日本の支援職の方、保健師だけじゃなくて福祉職の方もすごくやっぱり辛いことで心折れて去っていくっていう話聞きますので、ぜひこの漫画そういう方たちにも読んでほしいなと思いました。 安發: 私もこの企画をする中でぜひ支援してほしいと話す中で、どんなに多くの人が親子の支援に携わってるか、保育や障害や教育やさまざまな分野から、こんなことしたんだけどうまくいかないとかそういう話が届きました。児童相談所も福祉事務所も在宅支援をしていて、実際ピンポンしても何を言うかということ自体すごく難しいんですって言っていたり、職場の風土がちょっと威圧的で「こんな状況が続いたら保護になりますよ、もう叩かないでくださいね」とかそういった言い方がされてる職場で自分はどういう風に在宅支援をすればいいのかわからないという声があったり。あとはやっぱりどの職場にも熱い人、もっといいことをしていきたい、もっといい福祉にしていきたいというふうに思ってる人たちがいて、でもその人たちが孤立していることもあって、今回この企画で、そういった人たちが繋がっていくような勉強会を開いたり、この漫画を通じて自分が一人ではなくて同じような志を持った人がいるんだと、そういった人たちが集まるような機会を作っていけたらいいなと思います。 例えば在宅教育支援、フランスではですね、毎年1回全国の会議、そして毎月1回地域会議が行われているのですが、全国会議は毎年 1200人が集まるんです。同じ仕事をしてる人が1200人集まって、紹介する研究者も、在宅教育支援出身の人たちが研究者として新たな取り組みを紹介したり、研究成果を発表したり、そして例えば日本でいう厚生労働省の人みたいな人が出た時にですね、その1200人の人たちが、ここの部分はまだ不十分だろうって意見したりするんです。すごくみんなで力を合わせてこの職業、この仕事をもっといいものにしていこうという、そういった熱さが、私は生活保護を担当してた時に、あまりそういった連帯を感じられる仲間につながれていなくて。日本でも現場のことを知っている人たちが、もっと発信して、手を取り合っていくような機会の1つになったらいいなと感じています。私は10年前にフランスに来たんですけれども、来る前の日本では今ほど虐待についてテレビで報道されてなかったんです。今は報道されるようになったので大きな前進ですが、例えばコメンテーターの人たちが、親もすごく辛いことがあってこういったことになったので、親が悪いんじゃなくて親に十分支援が届いていなかった結果起きてしまっているということまでは十分世の中に理解されていないように感じています。なので日本の現場でどのように家族を支えているか、現場の人たちはどんなことをしてるのか、家族をどう支えられたらいいのかっていうことをですねもっと知られるよう広げていくということがすごく大事なんじゃないかなと思っています。 [...]
2023年03月10日コメント欄より 社会政策研究者 「パボさんの言葉はそうだよね、そうなんだよね、とうなづくことがいっぱい」「何度かお話をお伺いしたのですが、本当に色々違いすぎます。私たちの「当たり前」を見直すきっかけになるかと思います。」 自治体職員 「新しい考え方を知るのが議論における第一歩」 書籍編集者 「フランスの子ども支援、家族支援、お話を聞くたび、すごいな、おもしろいな、と思います」 地域子育て支援活動実践者 「日本でも、子どもの環境をより良くするヒントや、考えるきっかけになると思います。」 「一番大切なのはこれから育とうとする子どもたちで、そのために大人である自分たちに何が出来るのかを考えたいと思います。そのためには、外国から学ぶことも必要だし、自分たちの中から良いアイデアが浮かべば、それを実現するためにいろいろやってみるのも良い事だと思います。まずは、いろいろ知ることが大事です。」 弁護士 「安發明子さんのお話は大変興味深く、そして、とってもパワーをもらいました。共感しまくりでした! 助産師 「私はこんな支援がほしい。家庭の中に入り込んで、第三者として見守る、寄り添う。時には一緒になって楽しむ。それは中立な立場で夫婦をみてくれる人で、いつか子どもにとって親以外の頼れる人になる。そんな家族と一緒に伴走してくれる専門家が日本にもいたらいいなって思います。」 ウェルビーイングを形にするプロジェクト企画者 「どんな環境にいる子供たちも自分を生き生きと輝かせ自由に自分のやりたい事が将来できる環境にあることが、少子化の日本においてますます大切になるだろうな。みんなで子供たちを支えていきたいな、と思います。」 心理士 「一人のソーシャルワーカーとしてまだまだやらなければならないことがたくさんあることを、カルチャーショックとともに痛感しました。大きな気づきを与えてくださいました」 自治体職員 「フランスの家族まるっと応援する制度、こども一人一人を社会で尊重して支援する仕組み、そこには色々な示唆があります。」 研修講師 「漫画だからできる伝達があると思って、この出版も応援している。」 [...]
2023年03月09日目次 1 2 4 5 5 6 7 7 8 9 12 13 14 16 17 18 19 19 20 [ 発達障害、家庭にこもる子どもとソーシャルワーカー ] 質問者: 誕生後、入院していた子どもが家に帰って、発達障害があって、どんどん家から引き出さないといけないけど、小学校入学まで家の中にいて、騒がしかったりして虐待予備群ということが日本ではたくさん見られるのですが、フランスではいかがですか。 パボ: まず最初に入院をしていた。それはフランスでかなり気をつけています。なぜかというと、親が子どもとアタッチメント形成するっていうのは決して自動的に行われるものではなく、兄弟やお父さん、親戚を含めて、一緒に過ごす時間が少し後になるということはアタッチメントの形成にかなり影響があるとわかっているからです。入院中のアタッチメント形成という点でもっとケアが必要かもしれないというのが1つ。 2つ目の点が、家族が閉鎖的で子どもが外の、他の子どもたちと一緒に触れ合うことがないということについては、もうそれだけで「心配な要素」として報告するような内容です。フランスでは、「一人の子どもを育てるのに村一つ丸ごと必要」と言われるぐらい、家族だけでは足りないと考えられています。子どもが家族以外と触れ合わないということを閉鎖空間への閉じ込めと言います、近隣の人が訪ねてきているとも限らない、同じ月齢の子どもたちと定期的に会わせているとも限らない、そういった場合には積極的にそこに入っていって、アラートが必要な状況としてリストにあげます。子どもがよく叫んだりするとか、子どもが落ち着きがないとか、それは子ども自身が問題があるわけではなくて、この家族の中で問題があるということを子どもがサインとして発している状況です。叫ぶのは子ども自身が問題があるわけではなくて、今の家族の状況に対して子どもがサインとして発しています。 3番目の点は、発達障害は、「障害」という言葉を日本語で使っていますが、フランス語で障害という言葉を使わないので、障害と認識されていない。もちろん生まれた時から、歩けないとか障害があることはあるけれども、精神的だとか知的だとか発達だとか、子どもは真っ白なページで生まれてくるというふうに考え、一般的ではないような行動をしたり、反応をしたりするというのは子ども自身が「今自分が受けている教育について、うまくいっていないことがある」というサインを行動で示していると考えます。多くの場合は愛情に関することです。だけれども、発達障害、発達問題といった形で表現することによって「親は問題ない、問題なのはこの子ども」という認識を親がする可能性があります。子どもは全くの真っ白な状態で生まれてきているから、今サインを出しているということは、その子どもが受けている教育に何かしら変えるべき点があると考えます。 質問者: そういう捉え方、行動の問題っていうか、彼らは真っ白で、その中に環境が色々と加わって反応が出てしまうっていうところ、家族が孤立しないように周りが見ていくっていうこと、どんなに脳の障害とかそういう課題があったとしてもしっかりやっていけばかなりのところが改善できていくなっていうのは私も感じてるので、日本にはまだまだ孤立した家族があり、それを生じさせないための仕組みをどうしたらいいかと自分自身も発信というか考え直していけるように取り組んでいきたいと思っています。 パボ: 今現在では誰かに会ったり、誰かと人間関係を築くことなく、仕事をインターネット上で進めたり、行政手続きさえできるようになっています。けれども、この方向性は、自然な人間としてのあり方から反対の方向に向かっている部分があります。なぜかというと、人間というのは社会的な生き物で、エデュケーターが家に行って、その人の存在を認めて、その人に話しかけて、その人に関心を持って「一人じゃないですよ、困ったことがあっても話していいんですよ」と言う、 そういった人間味をもたらすということが、すでにそれだけで解決策の一つだと考えています。人の本来の姿により近づけるような関わり方ができるからです。孤立というものは人間にとって非常に破壊的な影響があるものだと私たちは考えています。 家庭に在宅支援という形でエデュケーターが通うことは、非常にシンプルに一般的な行動をしているだけで、それ以上のものではないかもしれないんですけれども、Netflixを見ることに慣れているような状況から、1日の終わりに、自分が疑問を持ってることや、やりたいことや、そういったことについて話し合うような時間をなくしかけてるような家庭もあるので、そこにそういった時間を取り戻す。そのことによって、もしかしたら、人間らしさから離れたような生活に慣れている家庭にとって、根本的な人間の結びつきだったりふれあいだったり、そういったものを取り戻させる。そういう効果があるのではないでしょうか。 [ フランスの社会的問題意識とソーシャルワーカー ] 質問者: 日本の子どもを相手にしたソーシャルワーカーと、エデュケーターの仕事の一番違う点は何ですか? パボ: 私自身が動揺していることがあります。それは、日本のみなさんとのやりとりをする中で、人間的なこと、人間の本性のようなものだと自分が考えてきたことは決してユニバーサルなどこでも同じことではなく、文化的だったりヨーロッパ的だったりするものなんだと気づかされたからです。人間がどのように動くか、反応するかということもおそらく国によって違うんだろうと気づく機会になりました。現在もうフランスで意識されることが減ってきているんですけれども、フランスは2000年もの間、キリスト教の国だったことを忘れてはいけないということに気づきました。それは、昔本を読むことや書くことができたのは教会の聖職者たちだけだったので、どの本を選んで残すのか、どの文章を残すのか取捨選択していたのがキリスト教の人たちだったわけです。彼らが取捨選択した考えや文化がメンタリティとして継承されてきたという背景があります。なので、例えばキリスト教は愛の宗教と言われていますが、叩かれたとしてもその人に優しくしなさいだとか、隣人のことを愛しなさい、どんな隣人であったとしても愛しなさいだとか、だけどそれは、自分が優しいから自分が寛容だからではなく、徳を積んだらその後天国に行ける、つまり現世よりも自分が天国に行くということの方が大事なので、今やってることは自分が優しいからではなく自分が天国に行くための準備。現在の人たちは「そんなことはない」と言うかもしれないけれど、それが根強く残ってるっていうことを(日本との比較の中で)感じました。なので、貧困や病気や高齢者について皆が関心を持つというのは人間の自然の行為だと思ってたんですけれど、おそらくキリスト教の背景から来たものだと思います。比べると、日本からの質問の中で「それは意味があるのかどうか」ということに関心があると感じるからです。フランス人はソーシャルワークに意味があるかどうかではなく、当然人間としてしなければいけないことだと感じています。そこが日本との対比として感じたことでした。 質問者: キリスト教が世俗的な職業であるソーシャルワーカーの行為の説明みたいなものになってくるとちょっと日本の場合にはもっと違う視点や方面から考えないとフランスと全く比較ができない。エデュケーターのモチベーションが、キリスト教の文化に基づいているということは本当に驚きです。もっとフランスといえば社会主義、ヒューマニズム、ヒューマンライツや子としての大切さとかかと思いましたが、そこはパボさんいかがでしょう。 安發: 路上エデュケーターにしても、なぜその活動がボランティアではなく全国の組織になったかというと、子ども専門裁判官や小児精神科医の人たちが立ち上がったからなんです。その人たちが、今でも、テレビに出て「この法律を改正しないと子どもたちの安全を保障できない」などと主張しています。日本は裁判官がテレビに出て制度の批判をしたり、県に対して要望書出したりしないじゃないですか、私自身関心がある点でした。法改正を進めたのも実際に現場を担っている人たちなんです。上からいい制度が降ってくるわけではなくて、現場を見ている人たちが自分たちで変えていかなければと国に訴えている。 パボ: もちろん人権や社会主義も現在に大きな影響があるのですが、石が積み重なっていったとしたら一番下の部分にキリスト教がある。ただ現在は、ソーシャルワーカーにしても民間団体にしても99%は無宗教です。社会主義に関しては70年代から多くの学者たちは社会主義的な考え方をしていて、連帯の意識を生んだということは確実です。ただ現在は、新自由主義や、何もかも経済的な効果やお金に換算するような人たちが出てきています。けれどもそれよりもフランスの社会の中に根強くあるのは、連帯感が横方向に強いということです。自分が所属している会社や組織の上司よりも、他の会社に勤めている自分と同じ立場の人の方を仲間だと思う。それはマルクス主義や、世界中の貧困者が一緒に革命を起こそうという考え方にも近いんですけれども、私自身例えばスペインだとか他の国に住んでいる労働者の方が、毎日顔を合わせている職場の偉い人よりも身近に感じているし、共感する。そういった意識があります。 [現場に即した養成課程、ポストごと採用、専門特化した働き方] 質問者: 児童福祉に関わるマンパワーについて日本とフランスではどのくらいの差があるのでしょうか。 安發: まず国家資格を取得するために3年間一週間おきに現場と座学を繰り返し、4つの職場で実習生として採用されなければならない。実習生には給料を支払うし一年近く雇用するので選抜がある。資格を取るのにかなりエネルギーが必要。入学するのにも6倍倍率があります。福祉についている人の専門性とコミットがかなり高い。 あとはポストごと採用なので、児童相談所にしても、県の規定はワーカー1人に子ども23人、そうすると十数家族、人気のないポストは人を採用できないので適正化されていきます。 さらに、日本の児相は虐待通報の対応や里親とのやりとりやいろんなことを同時にしていることがあるのですが、フランスはそれらが全て違う部署の仕事で、裁判官が保護を決定して初めて、子どもに合った施設や里親選びという時点で児相に役割が回ってくる。家庭を支援して調査をするのは別の部署、保護が必要か判断するのは子ども専門裁判官なので、児相に親が怒鳴り込んでくるということもない。保護が決まった場合に、その先の経過を継続的に見届けて親の支援もおこない一年後の裁判までの子どもの権利を保障するのが児相です。短期措置しか原則ないことになっているので、そこが大きな違いです。仕事自体も、日本よりシンプルに専門特化させています。 [決める人と支援する人の役割分担] 質問者: フランスの児童福祉の層が非常に厚いと噂は聞いていたんですけれど、子どもの精神科を20年近くやっているので児相の職員さんと交流する機会がよくあるんですけど、いつも本当にたくさんのケースを抱えて疲れ切ってらっしゃるような職員さんもたくさんいらっしゃいますし、私たちも子どもを保護する場面になると、親御さんから怒鳴られたりというようなこともあります。フランスは子ども裁判官がついてくれていて、司法面をそこが担ってくれてるんですね。日本だとそれも児相の責任みたいになって親御さんが児相を攻撃するっていう場面がよくありますし、私たち児童精神科医も親御さんから攻撃されることがあるんですけれども、その子ども専門裁判官っていうのがしっかり司法の枠組みで児童福祉全体の職員を守ってくれてるっていうようなイメージをつかむことができました。 安發: 子どもの権利が守られているか保障する役割があります。裁判官は毎回裁判の前に15分間は子どもと一対一で話をして、子どもも例えば裁判が近づいてきたら自分の信頼する人と一緒に手紙を書いて裁判官に伝えたいことをまとめたりします。また、この施設で子どもの調子が悪いとか、この在宅支援を受けてこのエデュケーターのもとで子どもの調子が良くなってるかどうか、そういうことを見てるので、裁判官が子どもと受け入れ先の変更を決めたり、担当エデュケーターや担当する在宅支援機関の変更を決めることもあります。なので、質の高いサービスのための競争にもなるし、質を保つ要因にもなっています。95%が裁判官の判断を経て保護されているので、親としては攻撃的な態度を専門職にとったりしたら親が不利になるだけで、安心の評価が得られにくくなります。なので怒る親がいるようなシーンを目にする機会はありますけど稀です。お母さん自身も裁判官に手紙を書いたりします。児童相談所だとか施設だとかに攻撃したところで、親にとっては施設に近寄ることが禁止されるくらいの結果にしかなりません。そういう点で、支援者は支援に徹することができる仕組みになっています。 [児相の負担を減らす工夫] 質問者 : 地域に、市町村に、基礎自治体に、住民の近くに、問題が大きくなる前にエデュケーターがいるといいのにな、と思いました。日本ってものすごく児相に全部降りかかってくるような感じで、多くの仕事になってるなと思ってます。今度令和7年から一時保護に関して司法審査が入ることになるんですけども、結局それも児童相談所が裁判所の方に書面を出さなきゃいけないということで、児相の仕事がまた増えるという。全然こう役割分担ができてない中で、児童相談所の権限ばっかりが大きくなってくるし、仕事が増えてくるというイメージがあります。結局、児童相談所は福祉の支援者なんですけれども、子どもと話をする時間ですとか、家族と話をする時間っていうのがどんどん減っていってしまうっていう現状に今なってます。そういうのを考えた時にも、フランスのようにエデュケーターという国家資格の専門家の人が本当に住民の近いところで子どもの声を聞いて、家族にそれを届けて家族と同じビジョンに向かっていくってところ、エデュケーターさんがこう介在してるっていうこの仕組み自体がとても素晴らしいなと思っています。 日本では市町村もミニ児相化しちゃっているところがあるので、そうではなくて、やっぱり市町村ですとか、児童家庭支援センターですとか、地域にいる専門の方が支援のスタンスとしてエデュケーターと同じようなスタンスで家族と接していくようになってくるといいのかなと思っていて、今回のパボさんが書かれている、ターラの絵本ですよね、この絵本にはおそらくエデュケーターのエッセンスというかマインドみたいなのが、きっと詰まってるんじゃないかなと思うので、漫画という形で多くの支援者に届くようになると共感を持って、エデュケーターさんと同じようなスタンスで地域で支援を展開できる人が増えてくれると嬉しいなと思ってこの活動に期待してるというところです。 安發: フランスの場合も、児相の負担がすごく多いという理由で例えば「シェルター」を作った経緯や、「ティーンエイジャーの家」という誰でも子どもたちが親とかの同意も必要なく心理士さんに話をしに行けるところも、やはり児相の負担を減らすためという経緯でできました。児相の一次保護所を経て、結局2週間以内に家に帰ってくるような子どもたちがたくさんいる、特にフランスは10代の子ども自身が望んで家を出ることが多いので、仲裁を受け戻ることが多い。そのために2週間児相の人たちが対応するよりは、手続きを簡易化して、子どもが家を出たかったらまずはシェルターに保護し、安全なところで子どもをかくまって、子どもは子どもでデュケーターと話して、別の場所で親もエデュケーターと話して、その間の調整をして、一緒に暮らせるかそれとも別々にしばらく暮らした方がいいか必要な支援は何か模索する。 [エデュケーターの必要性] パボ: こちらも同じ問題があります、フランスも全く完璧ではないですし、行政化が進んで書類が増えて、仕事が増えています。インフレーションの中で、エデュケーターの仕事は収入の少ない仕事になっています。ちょうど今朝のニュースでパリ近郊のエデュケーターのポストのなんと7%もが空きのままだと。地方に移動した人がたくさんいて、違う仕事についている人もいる。エデュケーターがいるっていうことが非常に大事だということを、お金を出している国だとか偉い人たちに十分理解されてないので、そのことを伝えていかなければいけません。私たちはあまりにテクノロジーに慣れていて、テクノロジーの中では生産性ということが非常に求められるわけで、どんどんみんな時間がなくなって、時間がなくなっている中で、例えば子育てをしていたり、人間と付き合っていたりしているわけなんです。 でも思い出してください、赤ちゃんたちは、最初は単なる消化器なわけです。何かを食べて何かを出す。そこから人間を作っていかなければいけない。でも人間を作っていくためには人間が必ず必要です。そしてこれは、文化的ではなくて人間的なことだと思うんですけれど、子どもに笑いかける人間が必要です。そして、そのことについては減らすことができません。人間をつくっていくためには、人間が周りにいる必要がある。子どもに笑いかける人がいる必要がある。それを減らすことができないということは、私たちが言い続けなければいけません。子どもと一緒に5時間遊ぶ必要があるのを、数分で済ませられるようなものではないってことも、言っていかなければいけません。つまり、エデュケーターの仕事は減らすことができないんです。なので、5時間家族と一緒に過ごすことを減らすべき、または5時間過ごしただけの効果があったのか?そういったことを言うような偉い人たちがいたとしたら、私たちが作っているのは機械でありません人間ですということを言い続けてください。 質問者 : 本当に必要な存在だと思ってます。 [ 親に伝えること ] パボ: 子どもと一緒に過ごす時間を減らすことができないという話をしたんですけれども、それは専門職だけではなくてもちろん親も同じです。エデュケーターとしてよく出くわす問題で、家族と話し合わなければいけないこととして、教育的な番組を見せてるからと言って教育役割を画面が代わりにしてくれるということは決してないということを話し合う必要があります。たまに顔を合わせ、挨拶をするぐらいで、親役割ができるというものではないからです。教育をするということは、自分の目の前にいる人間とお互い理解していけるためにやり取りをしていくということが教育です。目を合わせるだとか、相手の感情と自分の感情のやりとり、特に笑顔というのは脳の発達のまず基本、最初の部分は、笑顔を交わすことです。自分が笑いかけて子どもが笑いかけてくる。それを画面だったりテレビだったりで、代替できないということは、エデュケーターとして常にぶつかる問題です。 [ 公的機関、民間機関の役割分担とエデュケーター] 質問者: エデュケーターは国家資格だけど、全員が公務員ではないということでしたが、公務員のエデュケーターが民間のエデュケーターをマネジメントするような形での協業になりますか?公務員だけでなく民間のエデュケーターの雇用条件は一緒ですか? 安發: フランスの福祉は3分の2を民間が担っています。民間は専門的な団体で、施設だったり、在宅教育支援だったり、里親支援機関だったり、そして公的機関は児童相談所だったり福祉事務所だったり保健所だったり、コーディネートする役割です。なので、まずは公的機関が子どもたちのいるところ全てに配置されています。日本も同じなのですが、産科でまず親の調子がいいか、親が妊娠してることについて悩んでないかなということを見るのは産科のソーシャルワーカーと心理士です。それから先は、産科で心配があったら保健所が、妊婦と3歳までの全ての子どもの状況を小児看護師が把握しています。保育園の子どもたちの状況を見て回ってるのも、保健所の児相保護専門医。全ての保育園を回って毎週1回子どもたちに話しかけて子どもたちの心理だとか身体面で心配がないかを見ています。そんな中でちょっと心配だという時に、週何回か専門職が家に通って家の中の状況を支えてた方がいいよという時に初めてエデュケーターが出てきます。 公的機関、児童相談所や学校や福祉事務所は、民間も含めて全てのサービスをケアマネのようにコーディネートする役割です。そして専門的なサービスを提供するのは民間団体です。エデュケーターは児童相談所にもいるし、民間の施設や在宅支援機関にもいます。担っている役割は、コーディネーターと継続的支援で違いますが、看護師や助産師と同じようにどこで働いたとしてもエデュケーターはエデュケーターです。 [ ソーシャルワーカーとエデュケーターの役割分担 ] 質問者: 日本では県レベルの児童相談所が、市町村レベルの子ども家庭支援センターの方向、例えばケースマネジメントをする形になってると思うんですけれども、そこがうまくいってないような気がして、スクールカウンセラーとして働きながらうまくいってないように思っていたので、エデュケーターという形だとうまくいくのかなと伺ってみたかったんです。 それと雇用条件のことで、フランスでもあまりお給料的には良くないとおっしゃっていたのでなるほどと思ったんですが、日本でも結局スクールカウンセラーとスクールソーシャルワーカーはだいたい会計年度任用職員で1年ごとに契約が更新されるという形ですし、ワーキングプアを作ってるだけっていう感じがするのでちょっと聞いてみたかったんですけど。 安發: はい、ありがとうございました。エデュケーターというのは、児童保護と障害と成人の自立支援を担っているので、ソーシャルワーカーの中でより専門特化したというような形ですね。ソーシャルワーカー資格もフランスにもありますが、世の中にどういったサービスがあるのか、こういった場合にはどういったサービスが適してるのかを選ぶのがどちらかといえばソーシャルワーカーで、そして継続的に同じ家族にずっと関わっていくのがエデュケーターという役割分担になっています。ソーシャルワーカーは民間も含め家族に適した連携先をつなぎコーディネートします。日本もソーシャルワーカー資格の上にさらに家族と専門的に関わるような資格を積み重ねるという方法も考えられるのかなと思っています。しっかり継続的に家庭に入って子どもの権利が保障されていて皆の困りごとが解決されていっているかみることができるようにです。 フランスの場合は期間限定の雇用というのは、相当な、例えば産休代替とかそういう時にしかないので、基本的には無期限です。 スクールソーシャルワーカーだったとしても、必ずチーム制だというのもすごく大きな違いです。スクールソーシャルワーカーだったとしても、必ずチームの何人かで、ケースの対応は一人ではしないというのが大きな違いです。 [ 専門職としての距離、なぜ親子と一緒に旅行をしたりレストランに行くの? ] 質問者: エデュケーターが多いこととともに、食事をしたり、旅行に行ったりすることもあるという状況に驚きました。適切な介入が期待できることで、大事な時間を安心して楽しく過ごせることができ、素晴らしいなと思う同時に、リスクを予防するための対策もなされてるのだろうと思います。普段親子と連絡を取り合う時のルールがあると思いますが、個人の電話番号を伝えているのか、電話の繋がる時間を決めているのか。 安發: 仕事の電話と、パソコンはもちろん全員持っていますし、例えば施設から帰った直後だけれどもまだ安心ではない、そういった期間は24時間誰かしらが、担当を決めて電話に出られるようにしてるっていう所はあります。ただ例えば路上エデュケーターの人に夜中に電話がかかってくることがあるか聞いたら、相手にも相手の生活があるって事はどんな若者たちも知ってるから1回もかかってきたことがないという風に言ってたりはしました。あとは、ネットエデュケーターとかはいたりするので、必ずしも一人じゃなくて、他にも相談先を持ってるって事もあると思います。 質問者: 普段連絡を取り合う時のルール何ですか、教えてください。「今までよく生きてきたよね」っていう状況で高校生になってくる子たちと、公立学校なんですけれどもたくさん会ってるんですが、やっぱり心配だからということで、個人の電話番号を教えてしまうソーシャルワーカーがいることから、大変なことが結構起こっています。夜中にかかってくるからどうしても対応できなくなって、いきなりアドレスを変えてしまうとかですね、電話番号を変えてしまう。それって、命綱を投げておいて、それを握られた時に手を離すというとても恐ろしい行為だっていうことで、問題になっています。なので、枠組っていうのがある程度大事というふうに議論されているところなんですけれども、先ほど夜回り先生がたくさんいるっていうような状況だということは、個人の連絡先を教えることがあるのかどうかってことと、その場合「何時から何時までだったら電話に出られるよ、それ以降は出られないからね、それ以降だったらこちらの相談場所にかけるとつながるよ」と、そういうことを伝えているのかどうか。 パボ: 昔はある一定の専門職としての距離というのを保たなければいけないと習った時期がありました。その時期に教育を受けた人たちは「自分の子どもはどうしてるの」「自分の子ども時代はどうだったの、幸せだったんでしょ?」そういったことを子どもに聞かれた時にどう答えればいいのか戸惑うような時代がありました。現在は愛情を与える、愛情を相手からも与えられる、愛情を自分が注ぐということが非常に大事だと考えられるようになっていて、自分が愛情を与えたら、相手からも期待されるわけで、だけれどその中でしか関係性を築いたり何かが変わっていくってことはできないと考えられています。関係性を築く中で相手も変わるし、自分も変わる。そのことを受け入れなければいけない。何かしらが変わっていくっていうことはお互いにとって変わっていくことなので、自分は自分のままだけど、あなたは変わりなさいというようなことはありえません。例えばこの漫画の中のターラとの関係で私自身もすごく大きく変わった部分があります。 なので、距離の取り方について、例えば電話についてはただシンプルに話してみればいいんじゃないかと思います。夜電話してくるとしたら、夜は私は仕事時間外だということはわかるでしょって話せばいい、そしてそれでも明日の朝どうしても待てないような状況だったらそれはエデュケーターではなく警察に電話するべきことなんじゃないかと。私も昔は仕事の電話が徹底されてなかった時に、自分の電話番号を渡したことがあったけれど、夜中に電話をかけてきた人はいなかった、それぐらい人というのはある程度、節度があるものだと思います。そして、もしそれができないような人がいたら、話せばいい。おそらくあまりにしっかりした関係性を築いてしまうのが怖いから、どういった距離感であればいいかって悩むのではないかと思います。 自分が相手のことを心配したり愛したりしたら、相手からも返される。そしてそれを自分が受け取れるだろうかという心配があるのではないでしょうか。自分が愛情を注いだら相手からも注がれることが怖いから距離を取らなければいけないのではないか。相手とどうすればいいかってことを話せば解決できるのではないかと思います。 子どもや家族と食事をしたり、一緒にお出かけをするというのは口実に過ぎません。なぜかというと、やっぱり一緒に過ごす時間というのがすごく大事だからです。そして例えば向き合って座って「はい、何が悩みなのか話してください」という風に言ったところで、おそらく虚しいやり取りになるでしょう。けれど、子どもが食べてみたいものを食べに行ったり、子どもがしたいことをしに行ったり、美術館など無料なものはいくらでもある。子どもがしたいことを一緒にするっていう、その中で特に私が素晴らしいというふうに思っていたのは、車に子ども4人乗せて子どもたちがしたいことをしに行きます。その移動中の会話の豊かなこと。それはエデュケーターの私と、助けなければいけない子どもたちだとかそういったものではなくて、あなたと私は同じ人間としてすごく楽しい時間を過ごしてるよね、っていう今楽しみを分かち合ってるよね、で私自身がその楽しいって感じてるのも子どもと過ごすことをその楽しんでる風にしてるんじゃなくて、本当に今君たちといるのが楽しいんだよ、っていうことがすごく大事なんだというふうに思ってます。 その車の中で話が盛り上がるのは、やっぱり向き合ってるんじゃなくて、並んでいるから。そして一緒にその子どもたちがしたいことをして、いっぱい笑った後の帰り道の車だからだからこそ出てくる話があって、そしてその時、私は君たちと今日こんなことして、すごく楽しかった、すごくいい時間を過ごしたって。君たちと出会って良かったってこと、やっぱり伝えるって事は非常に大事だというふうに思ってます。子どもたちは常に、このエデュケーターは自分のことが好きなのかってことを疑問として持ってるからです。ターラちゃんの絵本の中でも何回も出てくるんですけれども「この関係性いつか終わるの?あなたも私のことを見捨てるの?私はあなたのこと本当に大好きになっていいの?」っていうようなことをターラがいろんな形でパボに問いかけるんです。 確かに施設の中で一日中子どもと遊んでそうすると子どもたちに「エデュケーターっていい仕事だね、遊んでるだけじゃん」っていう風に言われるんです。でもそれは、「遊んでるだけじゃん」って言ってる裏に実は隠された質問があって「お前は仕事だからここにいるの?それとも本当に自分たちといるのを楽しんでるの?」っていうようなことを実は聞きたくて、いつもこの質問を投げてくるんです。そのことについては、やはりオープンにしておく必要があって、必ず言わなければいけないのは、自分が今笑ってるっていうのは本当に心から嬉しくて笑ってるんだっていうことと、君自身がすごく愛嬌があって素敵なやつだから、自分は君と一緒に過ごすのが楽しいんだよってことは伝えなければいけないというふうに思ってます。なので、なんで食事をするのか、何でお出かけをするのか、何で旅行するのか、っていうのは教育的費用として確かに用意されてるんですけれども、その教育的な関係性を築くために非常に有効なものだというふうに考えられてるから、この費用が出るっていうことですね。 [ 支援者はどんな役割を担うことができる? ] 質問者: パボさんとターラちゃんとの関係作りっていうのが、なんだかただ単に仕事以上のものがあって、そこがこの漫画に現れてるっていうのがこの漫画の魅力だし、エデュケーターの魅力だなんて自分は感じてるんですよ。 安發: そうですね、私は生活保護ワーカーをしていた時に2週間に1回ぐらい子どもたちと会っても、家庭内でうまくいってなかったとしても知らないことも多くて、親が納得しないと施設にも入れられなくて、で知らない男性を頼って連絡がつかなくなって、どこにいるかわからなくなるっていう女の子たちがたくさんいて、2週間に1回話したぐらいじゃ、「あの人に話したらなんとかなる」という存在にはなれないし、家から出たくても行ける場所を提案することもできないくらい使えるカードも少なかった。 例えば5歳の女の子がいて、お母さんは精神疾患で調子が悪い時は全然話もちゃんと聞いてくれないような人でした。いつもポケットにプレイモービルの女の子を4体持ってて、その4体を出して人形遊びするのが、自分と、精神疾患のお母さんとエデュケーター2人っていうのがすごく印象的で、この子にとっては、自分を見守ってくれる大人が3人いるんだ、で、自分が何かあった時に3人が反応してくれるっていうような関係性なんだということが、やっぱり全然、距離感が違うなっていう風に感じました。その子の場合も、お母さんは精神疾患で、本当に調子がよくなくて、話もちゃんと通じない時があったんですけど、それでも子どもが安心して育つことができる中で、お母さんもリラックスして、お母さん自身も調子が良くなって、4歳ぐらいから支援が始まって、もう6歳7歳では完全に終了したんです。でも日本だったら多分、施設措置になってたんじゃないかなっていうふうに思うんですよ。でもお母さん自身も「子どもがいなかったら自殺する」っていうぐらい、すごく子ども以外何もないと考えている人だったし、子どもも「学校どうだった元気?」っていう風に聞いても最初に返すのは「今日はお母さん調子いいみたい」って本当にお母さんの心配ばかりして暮らしてたんですね。 そういった時にやっぱりエデュケーターの存在って大きいなと思いました。子どもとお母さんをつなぐ役割だったり、子どもとお母さんという家族を社会につなげる役割だったり、それが仕事なんだけど、仕事以上のもので関わってるのがパボさんだし、この漫画にエッセンスが詰まってるんじゃないかなって感じたんですよね。日本でエデュケーターの話をすると、「家庭内で教育のことだとか口出しをしてほしくない」というような反応がすごくあったので、関わり方によってはできることがあるよ方法があるよっていうことを、漫画だったら伝えられるかなという形で、今回紹介したいと思ったんです。 [在宅教育支援にどんな効果が期待できる?] 質問者: 今まで漫画を出してて、いろんなエピソードがあったと思うんです。その成果が、おとなにしろ子どもにしろ、パボさんにいろんなエピソードがあったと思うんですけど、それをちょっと発表していただきたいなと思うんですよね。やっぱり日本に出すにあたって、どんな成果が出るかっていうのを今までの過去の例として教えていただくとありがたいのかな。ちょっといろいろ自信持っていろんな人たちにも紹介できるのかなと思うんですよね。 安發: フランスでなぜ在宅支援を進めるかという背景にあるいくつもの研究のうちの一つなんですけど、結局、虐待を受けるという極端な経験をしてしまうと、それから先の影響が非常に大きくて、それよりはそのような経験をしない子どもを増やした方がいい、そういった状況を避けた方がいいっていうのが考え方です。この研究は、4歳までに保護された子どもを成人まで追跡を調査しています。129人を21歳まで調査する。そうすると1/4しか「良い経過」をたどってないんですね。1/4っていうのは、元気に育って21歳で自立して暮らしている。半分は「悪くはない」、つまり困難な点はあるが福祉が必要というほどではない、だけれども学業の継続は断念してたり、交友関係が非常に狭かったり、不安感や自尊心や、自信の低さがある。そして1/4、この黄色い人たちは「悪い経過」つまり 21歳の時点ではまだ福祉を利用してて、何重もの健康の問題があったり社会の不適応がある。良い経過をたどった4分の1の良い経過をたどった子どもに共通するのは、リスクにさらされた間が非常に短くて、10ヶ月以内には保護されている。つまり誰かが「この子のこと心配なんじゃない」って気づいてから保護するまでに期間が短いってことです。さらに、保護された時の親子関係の問題が深刻ではなかった。で、悪い経過をたどった1/4、つまり4歳で保護されてから21歳までずっとケアを受けてもまだ状況が悪い子どもたちについて共通する点は、リスクにさらされた期間が長くて深刻に悪化した親子関係を経験してる、つまり叩かれたとかですね、そしてケアからキュアに移れず支援者を攻撃し続けてる。そして良い経過とと中間の1/2に比べて2.2倍もの医療費と措置費が必要、つまり影響はかなり先々まで続いてるんだってことです。 このような研究はいくつもされてるんですが、1/4が良い経過、 1/4が悪い経過、1/2は不安定、ってのは一致しています。ちなみに日本の場合は、今都心部だと、措置費が1人当たり1000万円、年間かかっているそうです。且つフランスのように原則短期保護しかしないっていうわけではないので、何年間も1000万かかり続けるっていうこともあります。それに対してフランスの場合は、在宅支援だと月5万4000円、つまりエデュケーターが家に来たり一緒に何かをする時間だけです。比べて保護だと、月70万円なので、在宅教育支援が必要な期間全部足したとしても、数十万円というぐらい違いがあります。 *詳しくはhttps://akikoawa.com/prevention-is-better-than-cure/ 予防の方が保護に比べてコストが低いという部分も評価されていて、予防を十分すれば子どもが希望しない限り親子分離する必要がなくなるんじゃないかっていうのが、フランスの考え方です。 保護した時点でそれまで何を経験してるかっていうことを先ほどの良い結果と悪い結果について分析し直すとですね、心理的リスクぐらいの経験だったら良い経過をたどる子どももいるんですが、保護された時点で、例えば面前DVと身体的虐待の両方を経験している子どもたちは、良い結果を辿ってる子どもはこの調査では一人もいなかったんです。つまりそれから後でいかにケアをしても、かなり深刻な被害を被っていて後遺症を抱えることになったということです。なのでそもそも悪い関係を経験させてはならないということが、予防を中心にした福祉作りに至った背景としてあります。フランスの場合、中学校もセンター試験みたいなものに通らないと中卒にはなりません。一般の合格率が85%に対して、成長の遅れを一度でも経験しているような子どもたちは、15%とかなり低いです。 下の部分の心理トラブルについては、一度心理トラブルを経験してると数年間は治療が必要で、さらに3分の1は成人しても不安定な生活を送り自立できていなかったり、あと精神障害や犯罪傾向とかそういうことを経験することもある、そういった意味で、予防的に在宅で支援をするということは重要だとフランスで言われてます。 パボ: ソーシャルワーカーの専門誌に掲載されてるので、表紙を描いて、裏に毎週1ページずつターラが載っている。ソーシャルワーカーたちに言われるのは、自分たちがしてることについて書かれてるから、それを読むことで自分たちはいい時間を過ごせるし、一人ではないって思うことができる。さらにソーシャルワーカーに言われるのは、自分の子どもだとか奥さんだとか、家族も読んで、自分の仕事についてより理解されるようになったと言っています。ただ、ソーシャルワーカーを大きく超えて何百万人に読まれてるって訳ではないんです。でも、この雑誌自体は、非常に真面目な文章が中心的なんですが、漫画っていうのは笑わせることができるので、メッセージを伝える上で効果的であると思います。 ソーシャルワーカーたちがしていること、ソーシャルワーカーの仕事の意味を、私はこの漫画を通して守る、伝えることができていると思っています。 [ 一人ひとりが世界を変える ] 質問者: この漫画を見て、該当するおとなと子どもたちがどういう風に変わっていったかっていうのも、ちょっとお聞き頂けるとありがたいなと。この漫画に出てくる人たちとか、在宅教育支援を受けてる人たちです。支援を受けている子どもたちが見て、その親がこの漫画を見て、どういう風に変わったのか、っていうエピソードがあれば教えていただければと思っています。 パボ: 漫画が出たことによって、自分は期待していなかったんですが、意外と子ども、若者たちが読んで、「親っていうのも結構大変だな」っていうことと、あと頼りになる、話せるおとながいるって、やっぱりすごく大事だよねっていうあたりは、子どもたちに支持されてるポイントだと感じています。 ハチドリの伝説というのがあって、とても小さい鳥なのですが、山火事が起きている時にハチドリはすごく小さい鳥なのに、川から口に含めるだけ水を含んで、炎の上にかける。往復をして。その時に、「なんでハチドリはそんな意味のないことをしているの?」って言う人もいる。でもハチドリは「自分にできることをしているんだ」と答えるんです。私も漫画を書くことによって、世の中を変えられるとか、それぐらい効果があると思ってるわけではなくて、自分にできることをしている、そう考えています。 ハチドリの伝説についてhttps://ovninavi.com/798labo/ 質問者: 安發さんが、この本が日本で発行されることによって、全ての子どもが幸せな子ども時代を過ごせるための議論が日本で高まることが目標だと言ってます。クラファンを広めるために私が考えたのは、クラファンに賛同してくれた人が参加できる議論の場を用意してはどうだろうかということです。これに関しては、今日の参加者の方々にもご意見をいただきたいですし、ぜひクラファンが広がるために主体的に関わっていただけたらいいなと思ってます。パボさんにも、今回のクラファンが広がるために「こんなことをやったらどう?」というアイデアがあったら教えてください。 パボ: 自分自身を売り出すということがすごく苦手で、自分について考えても欠陥しか見えないので、どのようにしたらそれをうまく、多くの人たちにこんな面白いことができる、というようなことは言えない。さらにユーモアというものが、自分自身にとっては重大なこと、ショックなことを笑うことで乗り越えるっていうような部分があるんですが、それが日本に共感されるのかっていうことはわからないです。例えばアメリカのジョークは、フランス人は笑えないことがあります。 安發: ターラちゃんがすごくおしゃまなんですよね、おとなよりも賢くて、でもそれが日本でもあることなんですよ。親があまり頼れなくて、子どもの方がちゃきちゃき動くとか。だからそういった点は、心配ないんじゃないかなっていうふうに思ってるんです。 [ ソーシャルワーカーを人気の職種にする ] 質問者: 今日本の福祉現場は、社会保障社会福祉削減のもと、労働条件が悪いそれから恒常的な人手不足、それから専門性が発揮できなくて福祉の仕事にやりがいが実感できない、やりたい実践ができないことにより福祉の仕事の魅力低下による人手不足、という悪循環の中にあります。福祉を学べる学校も学生が集まらず、どんどん減っています。パボさんからエデュケーターもなり手不足にあるとお話がありましたが、どのような状況ですか。 安發: 人手不足はパリだけの話ですね、でもパリでもエデュケーター専門学校は、いまだに倍率は6倍です。 質問者: 新自由主義的な考え方が広がるなか、給与面以外になり手不足の要因はあるのでしょうか。特に若い人たちの中でも福祉に対する見方や考え方が変わってきてるような感じでしょうか。 パボ: フランスも全く同じ問題を抱えていて、ソーシャルワーカーは貧しい人や調子が非常に悪い人、そういった人たちを対象にする仕事で、フランスでも人気がすごくあるというわけではありません。だからこそ私がしたいのは、なるべく多くの人に話題にしてほしいということです。ソーシャルワーカーの仕事自体が十分知られているわけではないからです。ソーシャルワーカーの仕事が実際にうまくいくには、かなり発達したテクニックが必要。つまり、とても専門性が求められる。とても良い仕事ができない限りうまくいかない職業です。 だからこそ、世の中で一番美しい職業だと私は思っています。なのでこの職業の美しさを目に見える形で世の中に伝えなければならないと思っています。ソーシャルワーカーを人気の仕事にするために、こういう活動に取り組んでいます。 [ 教育は遠隔ではできない ] パボ: 質問の距離感について。以前、「ある程度のその距離感っていうのが大事」というようなこと言ったのは、結局その距離感っていうのはおとなを守るだけであって、言い訳であって、実際に自分たちの仕事は子どもを守るっていうのが目的なので、違うじゃないかっていう批判は常にありました。だけれども、結果的には何かしら事件が起きたわけではなく、自分たちの実践の中でやはり距離感ではなくて、しっかり人間関係を築くことによって成功するというような経験が積み重なっていた中で、考え方が変わったと思います。なぜかというと、距離をとった間柄で、または遠隔で、教育は決してできないからです。今は親しさ、「ちょうどいい親しさ」と表現が変わっています。数年前に出た本ですごく読まれた本がありました。「好きになるという動詞を使うことを許す」というタイトルの本で、かなり衝撃的でした。自分の子どもを好きっていうのと同じ言葉を関係が一時的になるかもしれない子どもに対して使っていいものなのかどうなのかという議論を巻き起こしました。けれど結局距離を取っていたところで何も効果を及ぼすことができないということは皆経験上感じてることでした。エデュケーターの仕事はエンゲージメントというのがあって初めて成立するものです。自分たちはエンゲージメントして相手に関わる必要があります。なのでエンゲージメントがあるということは、やはりリスクも起こさなければいけないし、自分自身に関係性を課すという面もあります。そのことについては、ターラから教えられたことがたくさんありました。 ターラとの出会いは、施設で働いてる時にまだエデュケーターになる専門学校に通ってる時に、自分のキャリアの最初の方にターラに会いました。その時にターラはもうすでに数年間兄弟と一緒に施設にいて、お母さんの統合失調の具合は非常に悪くて、お父さんはアルコール障害があってかなり昔に彼女の人生から消えていなくなっていた。当時まだ自分はエデュケーターの専門学校に通っていて、3週間仕事でターラと一緒に過ごして1週間学校に行くという行き来をしていました。彼女は非常に自分にとっても特別な子どもで、そしてターラは自分に父親代わりを無意識で求めているような感じでした。だけど、自分はまだ学生だったので、途中から5ヶ月間違う施設に働きに行かなければいけないので彼女の前から5ヶ月間突然姿を消すことになってしまいました。当時自分はちょうど一緒に住んでいた人と別れた時期でプライベートでも非常に厳しい時期だったので、ターラのいる施設に戻った時にターラからすごく長い手紙を渡されて、その手紙の中に書かれていたことは「どうせ当てになんてできないんだと、私がすごくたくさん大変な時があったのに、その時にあなたはいなかった」って書いてあった。当時まだ自分は子どもがいなかったので、おとなというのは責任がなければいけないんだと、おとなというのは子どもが必要な時にいなきゃいけない、その手紙を受け取った時に初めて自分はおとななんだということを意識させられました。彼女は小さい時からおとなのように過ごさなければいけないような人生を送っていて、子どもとして過ごすことができていなかった。でも自分がおとなじゃないと彼女は 子どもとして安心して過ごせないんだってことがわかりました。なのでそれから先は、自分はおとななんだから責任を持たなければいけない、相手が必要な時にいなくなるって事はできないと思うようになった。なのでターラが自分のことをおとなにしてくれたしエデュケーターにしてくれたと感じています。 漫画だと8歳なんですが、17歳で施設を出るときに一緒に撮った写真です。今も家族の新年のお祝いとかにターラは来てくれるし、子どもが小さかったときはベビーシッターが必要な時は、学生時代だったターラが手伝ってくれてた。 質問者: 子どもが生きづらさを感じている。親子でうまくいかなかったり、虐待があるとか。フランスの背景が私も全くわからないんですけど、その辺ってどうなんだろう。どんなことが原因で、日本と変わらない部分もあるのか、違う部分もあるのかと、思いながら聞いておりました。 [ 施設でも里親でもなく予防的な在宅支援と自宅措置 ] 安發: 短期措置しかないことになってるので、基本的には危険な状況がない限りは措置してもらえないのですが、一番多いのは、13歳以上で、子ども自身が家にいたらうまくいかないというようなことだったり、地方だとかで自分の自宅からだと行きたい高校に通えない、行きたい就職先が見つけにくいとか、そういった自分自身が望んで施設に来る場合が多いということと、パリ近郊だともう1/3は未成年の海外単身移民といって、難民として親戚がフランスにいないのに単身で海外から来てるような子どもたちです。なので基本的に危険がない限りは子どもが望む限り家庭内でエデュケーターも毎日通うとか、全体的な方向性としては危険があったとしても、子どもが家にいる時間にエデュケーターがずっと家にいれば危険は起きないということで、家庭内での支援を優先することになっています。施設にいると親の状況の改善への支援が十分できないんですよ。やっぱり親への支援が限られがちで、親自身が調子良くないままでは、子どもが戻ってきたら元のダイナミズムに戻ってしまうようなことがあったりする。 そして親子を離すことによって、やはり親自身も大きな挫折経験になったり、子ども自身も親のせいで自分がこうなったんじゃないかみたいに感じてしまうなど悪影響が多いから、今はもう自宅措置というような形で、危険があったとしても、子どもが自宅にいるままで、エデュケーターが子どもがいる時間ずっと家で一緒に過ごす、そのことで家族全員に関わるというな方向が取られつつあります。そういった方向性でやっていこうということになっています。 [ 虐待は親への支援が十分ではなかったということ ] 質問者: 親が、子どもに対してこう虐待をしてしまうっていうようなことがやはりフランスでもあるんですか。ごめんなさいちょっとその辺のことがわからなくて。 安發: 虐待っていうのは非常に極端な状況で、親自身が本当は子どもにもっと良く成長してほしいし、良い関係性を築けたいけれどもそういうことが叶えられてないという状況なので、親の負担、悩みが大きい順に、つまりワーカー側がこの人はこれが問題だって思う順番ではなく、本人自身が悩みと感じている順番に一緒にエデュケーターが解決する方法をとります。もしかしたら親の親との揉め事かもしれないし、近隣の人との揉め事かもしれないし、自分の家庭内ですごく大きな葛藤があるのかもしれない。そういった親自身の精神的な負担を取り除いていくと、親はもっと自分がしたかった子どもとの関係性を築ける余裕が出てくる。そういった考え方をします。 [ なりたい親になるのを支える保健省の「親を描いてみて」] 質問者: 子育ての時に、親がうまく子どもとの関わり方っていうのを学べてないというか、知らないというか・・・最近の日本の問題じゃないですけど、そういうところでまあ私は感じたりとかしていて、なんて言うんですかね・・・ 安發: 自分の親が自分にしたこと以外の親としての接し方というのは誰も学んでないわけじゃないですか。その時に、「どういう親になりたい」というのを実現するのを、専門職が支えていけばいいよね、というような考え方ですね。なので保育園とかもただ預かるだけじゃなくて、幼児エデュケーターだとか小児看護師だとかがいて、幼児エデュケーターの人たちは親としての役割だったり、親と子どもの愛情あるコミュニケーションだったり、そういったことを学んできてるので、はなから「親だからできるでしょ」といった言ったことを考えられていないということと、子どもが生まれれば母性だとかが出るって事も全く否定されてるので、「自分でやりなさい」じゃなくて、「こうしたいんだったらどうすればいいだろうね?」とやりたい子育て、なりたい親の姿を一緒に探す。「親をすることデスク」っていうのが保健省にあるんですけど、そこのキャッチコピーも「親を描いてみて」です。つまり親教育とかじゃなくて自分がなりたい親っていうのはどんなものか自分で描けるように支えようという考え方です。 [ 専門職の早期対応、評価されている点と批判 ] 質問者: 日本で教育と言った時に、いわゆる教科だったりそういうのがまだ大事にさていて本当にそういう幸福な親子であるみたいなところで今言われたみたいに産んだから親になれるっていうわけじゃないっていうところを学ぶっていうのがないまま親になってなんかこううまくいかないっていうのは、別に保護されてる親子に限らずいっぱいあるなと思っているので、どんなことができてるといいのかなと日々思いながらちょっとフランスのことを聞かせてもらいましたありがとうございます。 安發: 私とかは、保育園の先生にだいぶ叩きのめされて、自分なんてもう全然素人だし、自分のことばっかり考えてて子どものことを優先しない判断をたくさんしてきた、みたいなことを思い知らされて、だから自分がまた間違えるかもしれないからちょっとおかしいなと思ったりしたら相談してみようみたいな感じになってる。専門職だからこそ気付かせてくれて、自分が間違ってたなって思うことがたくさんあったので。例えば児童保護専門医っていうのが保健所にいて、全ての保育園を巡回してるんです。私の利用していた保育園の場合は金曜日の午前中にいつも来るんです。子どもたちの記録や状況を見てるんです。私は子どもがちょっと便秘気味だなとか、ちょっといきむ時に泣いたりするなと思ってたんですが、すごく忙しかったし、そのままになってたんですよ。そうしたら、ちょっとお尻が裂けたのか血が出るようになって、児童保護専門にめちゃくちゃ怒られて、「こんなになるまで放置したのか、赤ちゃんは毎日何回ももしかしたら苦しんでたかもしれないけれど、自分のことじゃないからいいと思ってたの?」と言われて、確かにそうだから、そういったことが何回も積み重なると、何て言うんですか、自分が間違った判断をたくさんしてきたわけなので、話を聞こうと思うし、全く知らない専門職であったとしても、あんまり抵抗感はなくなります。 もちろん批判もありますよ。例えば、3歳から落第もするし、今日も娘を6歳健診に連れて行ったんですけど、学習面とか心理面とかすごいチェックされるんです。私は別に今6歳で 12と21の区別がつかなくてもいいじゃないかって思うんですよ。そのうち8歳9歳とかで大体分かるようになったらいいんじゃないって思うんだけど、向こうはすごく細かく、「医療的にね何歳だったら何ができるはずだ」とかそういう基準があるんです。そしてすぐに、言語訓練士に行ってください心理士のところに行ってくださいと言われる。 娘が一時すごく怒りっぽかった時期があって、怒りっぽかったからと言っても心理士さんのとこ行ったりすると時間もかかるし大変じゃないですか。でも実際に連れていくと心理士さんに「周りのお母さんたちに比べて私がすごく疲れてる」と言う。娘は「自分がすごい悪い子だからママは疲れてるんだろう」と娘は思ってたらしいんですよ。そんなこと親子で話したことがなかったので、心理士さんのところに行って初めて「そう思ってたの」ってわかった。「私が悪い子だからママいつも疲れてんでしょう」って言って、それでフラストレーションからすごく私に怒ってくるっていう状況だったみたいなんですね。 でも話し合って初めてお互い分かることがたくさんあったので、やっぱり最初は行かなきゃいけないのだろうか?と思ったけれど、行って解決して良かったと思うことがたくさんありました。 日本の施設の子どもたちが、18歳で読み書きができないとか、明らかにすごく大変な状況なのに1回も病院に連れてってもらってないとか、そういう子どもたちに日本でたくさん会ったので、それに比べると、すべての子どもの成長をちゃんと確認し、権利を守ろうとしていて、子どもの平等な成長を守るためには意味があるんじゃないかなと思っています。 パボの本の紹介ページはこちらhttps://greenfunding.jp/thousandsofbooks/projects/6908 [...]
2023年02月14日仲間と戦うフランスの在宅教育支援の専門職たち フランスでは学会や集会のときに笑わせてくれる人を雇い、休憩前や休憩後にみんなで笑う習慣がある。劇団員を呼ぶことが多く、彼らはそれまでの議論の内容をもとにみんなを大笑いさせる寸劇を披露して、参加者をいい気分で次の議論に臨ませてくれる。 在宅教育支援の全国大会は毎年3日間かけて開催され、1200人もの専門職たちが全国から集まる。例えば1つの支援チームが12人で構成されているとしたら、その中から大体毎年2-3人ずつが交代で参加する。もちろんそれは仕事の日数としてカウントされ、交通費や宿泊費、パーティー参加費に至るまで職場で予算が組まれている。大会中は、同じエコバッグに資料を入れ街を歩いているだけで誰にでも声をかけられる特別な期間だ。 「どこで働いているの?」「どんなことが課題?」と、すぐさま語り合える1200人と出会える。連絡先を交換し、「今度遊びに来てね!」「情報交換会しようね!」と言い合えるのだ。全国大会は毎年別の地域で開催するが、主催地域のワーカーたちは1年かけて自分たちで準備する。事務局を外注するわけではない。おもてなしのダンスで迎え、昼食は在宅教育支援の元利用者が経営しているケータリングで、現利用者の職業訓練中の子どもたちが食事を作る。元ワーカーが次々と発表をおこない会場は熱気に包まれる。このワーカーたちの一体感で、みんなで在宅教育支援をもっといいものにしていこう、課題を乗り越えようという気持ちが湧きあがり、自分に仲間が長年いなかったことに気付かされる。仲間がいるからフランスのワーカーたちは戦い続けられるのだろう。 2022年、この会場でみんなを笑わせていたのがパボさんだった。会場の入り口には元ワーカーが作った相互理解を進めるためのゲームや作品などが並び、その一角で『ターラの夢見た家族生活』をパボさんが山積みにしていて、サインを求める列には30人近くが休憩のたびに並んでいた。 「在宅教育支援を描いた漫画があるなんて..」その日は1冊だけ買って帰って読んだ。翌日も大会があるというのに結局夜中の4時まで、ページをめくるごとに笑ったり泣いたりした。ワーカーとしてできることよりできないことの方が多いこと、自分よりずっと賢くたくましい子どもたち、一生懸命やっていても笑われることの方が多いこと、けれど心が触れ合えたような瞬間がたまにあること。子どもと働く素敵な瞬間。ターラちゃんとパボの姿と思い出の子どもたちと心許ないワーカーとしての思い出が交錯する。翌日には出ている残り2冊、デッサン集、持ち金を全部使って買い集めた。 2000年代、当時生活保護を支援するワーカーをしていた私は、日本の生活保護現場でできることに満足がいかなかった。持てるものが少ない国だから成す術がないのではなく、持てるものが多い国なのに困っている人に提供できるものが少ないことが悔しかった。お金があればいくらでも治療法があるのに「あなたにできることはほとんどない」と伝えさせられているように感じていた。日本は国際協力に力を入れていたし、私の働いていた自治体はスポーツの国際大会開催にとてもたくさんのお金を使っていた。私はそれを横目で見ながら、道路に面したマンションの裏にある、陽の当たらない一軒家のわきのブロック道を進み、さらに裏にある、年中水溜りがなくなることのない泥道に囲まれた、外より虫が多く、壁一面カビが生えた家で、病気のお母さんが子どもたちと暮らす家を訪問していた。このような環境しか用意できないのに「元気になって働いてください」と言う福祉だった。 私はついにその後4年近くうつ病になり、精神科病棟に入院した。入院中は生活保護で担当していた利用者さんたちに「安發さん、あのお仕事は大変だよね、大変だったと思うよ、つらかったね」と励まされた。いつも窓口に文句を言いに来て私に怒鳴っていた女性は、夜間それぞれの看護師が何回部屋の前を通ったか知っていて、皆のスリッパの音を聞き分けていた。しょっちゅう入院していてほとんど会う機会のなかった男性は病院での生活の方が長いという。「世界の車窓から」の時間にいつも「安發さん行ったことある場所かもしれないよ」と呼びに来て一緒に見るのを楽しみにしてくれ、退院のときには「ここも甘い思い出になりますように」とピーチネクターをプレゼントしてくれた。 生活保護ワーカーをやめた私は、これまでに会った子どもたちの生き方を多くの人に知らせることで「どんな子どもにも幸せになってほしい」と思ってもらえるのではないかと考え、日本とスイスの施設で暮らす子どもたちのライフヒストリーを本にした。しかし、それでも企業で働く友人たちには「でも、教育の機会があったんだから苦労も乗り越える努力をするべきだったよね」と言われてしまい、関心を集めるには至らなかった。「アフリカの子どもとかは純粋にかわいそうだと思えるけど、日本の困っている人の話は暗くなるから聞きたくないし、むしろ本人や親がどうにかできなかったのだろうかと思う」こんな反応さえも多くあった。フランスでは、生活保護の子どもたち、利用者さんたちに元気になってほしいという話は人を選ばずできるのに、なぜ日本では福祉の話でみんなと盛り上がれないのだろう、なぜみんなは無関心なのだろう……。当時は疑問の答えは出なかった。 うつ病が治り元気が出て2011年に渡仏し、2年かけて大学院に入り、児童保護施設に通うようになった。そこでパリの父や母のような人たちにたくさん出会った。彼らの児童保護や福祉に対する燃えるような情熱は4時間話しても尽きないほどだった。なにより子どもたちが元気になって目をキラキラさせていた。けれど、そのときの私はフランスの学校の仕組みもよくわからない、保健所も日本とはずいぶん役割が違うみたい、と全体の構造を理解するのに3年かかった。さらに、それぞれよりよく知るため毎年100を超える機関や人に会いに行くのに2年を要した。その後、やっとフランスの福祉についてわかってきたと、今度は日本語で発信を始めるが、理解していれば書けるわけではなかった。日本にない概念の説明に苦しんだり、思ってもいなかった解釈をされたり、4年目になる今でもまだまだ四苦八苦している。フランスと比較して日本にとって有益なことを提言できるようになるにはまだ何年もかかるだろう。一方で、12年余り通訳としてさまざまなプロジェクトの成功を影で支える中で、自分自身の成し遂げたいこともいつか成就させたい、このままでは死ぬに死ねないという決意も固まっていった。日本の全ての子どもが幸せな子ども時代を過ごしてほしい、そのヒントがフランスにはたくさんある。まるで求められているとは限らない商品を1人で開発し、生産し、探求するような時間が続いていた。 そんなときに出会ったターラちゃんの漫画は実に衝撃的だった。きっと私が数ヶ月かけて書いてもうまく伝えられているとは限らない論文より、よっぽど日本のワーカーたちの力になるだろう。論文よりずっと『ターラの夢見た家族生活』のようにフランスの現場の哲学や理念や価値がつまったものを訳していった方が日本の後方支援になるだろう。 フランスの福祉だって20年30年前の話を聞くと「子どもの権利」という点では眉を顰めてしまうような話が出てくる。発展というよりも、失敗からの学びと言ってもいいくらいだ。だけど、いまではエデュケーター出身の映画監督、ラジオDJ、ゲーム制作会社社長、そしてパボさんのような漫画家までいて、彼らが世の中にいろいろな手を使って子どもを守ることの素晴らしさを訴え続けている。 私にも戦う方法がある。日本の現場では利用者の人たちの力にほとんどなれないまま戦線離脱した。私には素質がないと思っていた。みんなができることが私にはできず病気になった。けれど、今思えば解決する方法を知らなかったし、解決するための仕組みも十分ではなかった。今の私は、本人の素質の問題ではないと知っている。解決する方法や仕組みを整えることを提案することができる。 自分がワーカーのとき、子どもと隔週で会っても面談という形では十分相談してもらえないままだった。大人たちの車に乗せられるようになり、家には帰らなくなる少女たちもいた。パボさんがマジシャンなわけではないけど、ターラちゃんにとっては「パボがそばにいて、いつでも相談できる」というだけでターラちゃんを取り巻く世界は大きく違ってくる。パボは学校に迎えに行き、一緒にピクニックをして、ターラちゃんの人生の一部を一緒に歩いて支えている。 私が講演などで「信頼できる大人と成長していける仕組みがあれば、子どもの調子が良くなって、親とも協業することができる」と言っても日本の聴衆には「家族のことについて他人に口出しされるのは日本の文化に合わない」と返されることもしばしばだったが、漫画なら姿勢やしぐさ、言葉遣いなども読む人に感じてもらえる。 私はフランスの児童福祉の現場に通い、子どもたちが調子が良くなっていくのに勇気づけられているが、日本で出会った子どももこの制度があればもっと幸せに成長できたのにと、たくさんの子どもたちの顔が脳裏に浮かぶ。私自身もこんな大人がいる中で子ども時代を過ごしたかった。 パボさんは「人生はしたいことを全部するには短すぎる」と言う。私も夢の実現に一番近いことを常にしていたい。私がエンパワメントされたようにこの本は日本の子どもと働く人たちに力を与え、子どもたちをとりまく環境にきっといい風を迎えることになると信じている。私が元気づけられたように、今度は私がこの漫画を日本語翻訳し、皆さんを元気づける側に回りターラちゃんとパボさんの物語を多くの人に届けたいと思っている。 日本の仲間、戦友の皆さんへ 2023年2月14日 安發明子 支援する! [...]
2023年02月10日ターラちゃんの漫画がフランスのソーシャルワーカーたちに知られている理由、それは社会的ニュース週刊誌ASH (actualités sociales hebdomadaires)に掲載されているからです。ASHは福祉事務所、児童相談所、施設、学校のソーシャルワーカー室などソーシャルワーカーがいるところの待合室や休憩室には必ず山積みにされていて、約束前に通されるソファには必ず置いてあるので一般の人でも何気なく手にとる機会のある雑誌です。福祉や社会問題全般を扱っています。私が日本のひきこもりや過労死などについて度々話題を振られるのもこの雑誌が扱ってきているからです。 1955年創刊、約20人のジャーナリストが編集部にいるそうです。年間購読160euro(約2万円)、年間購読契約数は35万件。 パボさんが描いているこの表紙の週は「親戚宅措置という選択」「知的障害、親であることの実践は監視下で」といったテーマを扱っています。最後のページがターラちゃんの漫画1ページです。この週はターラちゃんがお母さんに「いつから幻覚が見えるの?」「鳩と話せるようになったのはいつから?」「幻覚と想像はどう違うんだろう?想像上のお友達がいるかんじ?」と聞いています。 私がフランスで好きなところは、ソーシャルワーカー同士の団結です。13種類もソーシャルな資格があり、分野は医療から子ども高齢障害さまざまです。でも、このASHをみんな毎週読んでいる。職場に食べ物を買ってきてみんなで大きなテーブルを囲んで昼食をとる職場が多いのですが、週のASHの記事が話題になることはよくあります。職員会議の最初にケースに関連ある記事を取り上げ話し合うこともあります。 自分の直接関わりが薄い分野も含め社会問題は自分たちの戦場の状況を伝えるようなもの、社会問題と福祉全体の状況を常に見渡しながら日々の戦いに挑んでいます。ソーシャルワークの目的は社会問題を解決することだからです。 私が特に関心があるのは全ての子どもが幸せに育つための制度整備ですが、現場を知っている人々が力を合わせ、手をつないで大きな動きをつくっていく、社会を良くしていこうという気持ちを世の中に広げていくことをASHのように実現したい気持ちがあります。 支援する! [...]
2023年02月08日このコーナーは『ターラの夢見た家族生活』をご支援いただいた方から届いたメッセージと安發のお返事を紹介しています。日本の福祉現場の状況と、フランスの福祉から得られるのではないかという見識の接点を紹介します。 —- 私が毎月施設を退所した子たちへLINEをしてます。「元気かな?」「コロナはどうかな?」とか「桜が咲いたよ?」とか、季節のことなどを織り交ぜてメッセージを送ります。 そんな中で、昨晩、数年前に退所した中学2年からのお返事でした。 A『あのね、学園にもどりたいよ』 私『何かあったの?誰かに相談できてるの?保健室の先生とか?なんとなく、Aちゃんの苦しそうな感じは伝わってきますよ。誰かいるといいんだけど』 A『あんまり、いない。言ってもあんまり変わらないし、話しにくい。ママがよくわからなくて。Aと彼氏さんとどっちが大事なんだか?冬休みも警察沙汰になってるんだよ。しかもこっちの気持ちもちゃんと言ってるのに平気で彼氏に会ったり、嘘ついて家に帰ってこなくて。少し話聞いてくれてありがとう』 私からは、児童相談所のケースワーカーさんに繋げられたらと思いましたが、Aちゃんに伝えても返事がありません。Aちゃんは引っ越して管轄の児童相談所も施設のときとは変わってしまいました。こんなメッセージのやり取りだけで、私にはこれ以上のことができない立場にいます。このようなSOSがあった場合、なんとかその子が学校の先生等に相談するように仕向けます。これが日本です。 後日 A『心理士の人にたまに話したりするけど、そうすると施設の話が出てきたりするよ。でも 今からまた新しく誰かと関係持っていかないといけないのは嫌 だし、まだ13年しか生きてないけど(笑)、今までで1番楽しかったのは学園にいた時だと思ってるからさ、他のとこに行きたくないんだよね。』 私『学園をそんな風に思ってくれてありがとう。』 A『難しいよね。こんなこと言ってごめん笑』 子どもが守られなくてはなりません。 しかし、今も子どもたちは苦しんでいるのではないかと。Aちゃんは、今日はどうだったのか?今、この時を一生懸命生きていると思いますが、なにもできないことが切ないです。 — 安發お返事 親がいても、学校にいても孤独な子どもたちに、やはり親でも学校でもない児童保護の専門職がいて家庭のことをなんでも話せたらと思います。虐待で悪いのは子どもではありません。親へのケアが十分ではないことです。なので親のケアをしなければ子どもを家に戻せばまた同じ脆さを抱えたままの環境です。心配な状況があったらまず親をケアする。施設か家の二者択一ではなく、必要に応じて1泊から施設などに泊まれ、その間に集中的に親との関係の調整ができるようにする。子どもが「ここに住みたい」と思える場所なのか施設や里親に会いに行って決められることも大事だと思います。せっかく関係性が築けたのであれば県外の施設に戻っても良いのではないでしょうか。子どもの教育と福祉とケアが一番尊重される方法を子どもと一緒に探せたら良いのに。 日本でも何人も同じような女の子に会いました。女の子と連絡がとれなくなったあと、男性宅を転々とする仕事をしたり中学生でキャバクラで働いているという話も聞きました。対応できなかったばかりに、子どもが教育を受ける機会も福祉もケアの機会も、なんと公的機関が奪っていました。今でも子どもが「他に方法ないの?」と言っていた顔が浮かびます。 フランスが好きな理由は必ず解決策を探し出すことです。ベストではなく、「最悪ではない」方法しかないということがあったとしても。けれど必ず何かいい方法を見つけ出し状況が良くなっていくのを見届けることができることが、子どもだけでなく専門職にとっても社会にとっても救いになっているのではないかとも思います。 フランスのエデュケーター国家資格は国の規定で「エデュケーターの職業的姿勢は感情移入、傾聴と親身さを土台とする。相手に合わせるということは相手が必要なときに時間とエネルギーを割くことができるということである」と定めています。このような子どもがいたら家庭を支援できる立場の機関の職員が子どもにとって安心して成長できる場所が見つかるまで見届けてほしいです。日本でもおこなわれている在宅支援、よりよいあり方について話す機会が増えることを願っています。 ーーー 『ターラの夢見た家族生活』はフランスの支援者たちの動き、家族との関わりを具体的に知ることができる本です、是非出版実現のご支援お願い申し上げます。 支援する! [...]
2023年02月08日このコーナーは『ターラの夢見た家族生活』をご支援いただいた方から届いたメッセージと安發のお返事を紹介しています。日本の福祉現場の状況と、フランスの福祉から得られるのではないかという見識の接点を紹介します。 —- 児童養護施設施設長Tさんからのお便り 児童養護施設に勤めています。4歳から18歳の子どもたちが35人施設で生活しています。 児童福祉法の改正で、児童養護施設も小規模化、家庭的養育と言われ、ユニット化しました。1つのユニットに6人定員で、職員は交代制勤務で子どもたちの支援をしています。 お伝えしたいことはたくさんありますが、 子どもたちが満足できる生活とはなにか? 職員が疲弊しないで、子どもたちの支援にあたるためにはどうしたらよいか。 なぜ親元を離れて施設で生活をしているのでしょうか。子どもたちは家庭の中でしっかりしたルールを教わらずに成長してきています。そしてその上で満たされていないのです。何をやっても不満を持った生活となってしまっているのです。 そのため、施設の中で、職員に対して、「うるさい!」「そんなのイヤ」「私のことをわかってくれない」と反抗的となります。その子の背景を考えながら職員は時間をかけて、子どもの気持ちを汲んで子どものことばを受け止めて、説明を繰り返しています。 施設の中で、見本となる子どもがいないところで、子どもたちは自分の悩みを際限なく職員にぶつけてくるため、職員は必死に受け止めていますが、虐待を理由として入所している子は、職員の気持ちを逆撫でしたり、わざと怒らせたりしてしまいます。虐待を理由とする子どもたちの特徴です。若い職員は、相当メンタル的に落ちています。 子どもも素直になり、相手の気持ちを受け止めて、落ち着いて相手との関係を保てるようにするための支援に苦慮してます。ユニットとなり職員が責任を持たされすぎてしまってます。 安發からのお返事 フランスにおいて在宅支援は戦後からおこなわれてきましたが、特に2007年からは「予防」の在宅支援を中心とし、子どもがそもそも被害に遭わないようにするようにしています。 都内では子どもが施設措置されると1人あたり1年で1000万円、地方でも500万円かかると言われています。一方フランスの在宅支援は国家資格を持ったエデュケーターが週一回家族全員に働きかけしても月6万円ほどです。 フランスは分離することは親子にとってデメリットも大きいことから、親子分離は危険がある状態のときに限り原則半年から1年の短期措置しかしないことになっています。もちろん親の精神疾患など状況が許さない場合は延長されます。そもそも子どもが調子を崩すような環境を放置しない、子どもにとって頼れる大人である専門職をおくようにします。子どもにとっては初めて自分の話をしっかり聞いてくれ、自分の価値を認めてくれる人であることもあります。 以下の図はフランスのダニエル・ルソーという小児精神科医が施設措置された子どもたちを20年間に渡り継続調査し発表しているものです。一度被害に遭うととても大きな影響を先々まで残すことを示しています。他にも様々な研究がされていますが、一致しているのは、一度未成年のとき被害者になると1/4は継続的なケアにも関わらず成人後も良い経過に至らず後遺症を抱えているという点です。 図:ダニエル・ルソー小児精神科医、翻訳:安發 全ての子どもが幸せな子ども時代を過ごすことは、より良い社会を築くために重要であり、そのために、支えが必要な時期はしっかり家庭を支えることがもっと重視されてほしいと考えています。 『ターラの夢見た家族生活』は具体的に家族まるごとどのような支えになれるのか、子どもにとって何が力になるのかイメージを刺激してくれるはずです。 支援する! [...]
2023年02月07日精神疾患を抱える母と暮らす8歳のターラは親になかなか頼れない分在宅教育支援のエデュケーターと毎週会い、完璧からは遠い環境の中でも自分の人生を築こうとしている。希望したら施設で暮らせるがターラは気を落とす出来事が度々起こる中でもお母さんと家で暮らしたい。 夏休み、エデュケーターのパボがターラとお母さんをキャンプに連れてきた。「教育的外出」という予算がつく児童保護分野の活動の一つ。親子の絆の補強、日頃お互い抱える葛藤をゆっくり話し合う機会、一緒に過ごす中でエデュケーターと家族の関係性を構築する機会、そして親が計画を立て旅行を実施できないときに家族が文化的活動を実施できる機会。 パボが親としての役割としてできることを母と話すシーンが度々出てきます。 そして翌日まだ昨日の出来事についてがっかりしているターラの隣に座ります。支援者は言葉だけではないことを表したページです。 エデュケーターについて国のガイドラインには「 エデュケーターの職業的姿勢は感情移入、傾聴と親身さを土台とする。相手に合わせるということは相手が必要なときに時間とエネルギーを割くことができるということである」と書いている。 (出版の際はタイプで打った文章、スキャンではなく美しい原画をもとに作成いたします、今回お見せするのは安發がさしあたり手作りで作った日本語版です) 支援する! [...]
2023年01月30日2023年1月27日『ターラの夢見た家族生活』原作者トークライブ内容 安發自己紹介: 私は日本で生活保護のワーカーをしていました。その時に母子家庭が多かったんですけれども、子供たちの状態があまり良くなっていかないことについて、フランスだったらもっとこんなことができたのにというようなことがたくさんあって、10年前よりフランスでフランスの子ども家庭福祉について勉強したり現場に通ってフランスの支援方法を日本に伝えようとしてきました。でも、書いたり口で説明してもなかなか伝わらないような気持ちもあって、この漫画を日本語版で紹介して、どのようにエデュケーターの人たちが家庭を支えてるんだよ、子供のことだけではなくて親の力にもなることができるんだよっていうことを伝えたいと思っています。今80人の方にご支援いただきました、どうもありがとうございます。こちら先行予約が出版に必要な費用の100%集まったら出版できるというものです。ぜひ読んでみたいという方、ご支援いただけるとありがたいです。 原作者パボさん自己紹介: 20年間エディケーターとして働き、今は漫画家をしています。 安發: エデュケーターというのはソーシャルワーカーの資格の一つで、ソーシャルワーカーの資格がフランスに13種類国家資格がある中でエデュケーターは児童保護と障害、成人の自立支援の分野を3年間かけて学んで国家資格を受けます。 パボさんはまず施設で働いてその後在宅支援といった形で親子を支える仕事をしてきました。 進行松岡: ターラちゃんはすごく大人びていますよね。 安發: 8歳なのですが、お母さんを頼れない代わりに、このエデュケーターがいることでお母さんに言えない悩みだったりお母さんとのことで困ってることだったりを話すことができるというシーンが出てきますね。 松岡: エデュケーターというと教育というイメージがあって、こうしなさいっていう立場の人かな、というふうに思ったんですけど、そうではないんですね。 パボ: ああしなさいこうしなさいで済めばいいんですけれど、そうではなくて実はもっと複雑、あれをしなさいこれをしなさいと人間に言ってうまくいくものではないからです。 関係性について私たちは関わっていきます。つまり親と子どもと一緒に、どういう方向で親子の関係性が変化していけばいいかということについて親子と一緒に探します。何かしら子どもが困難を抱えている家庭に入るので、子どもが困難を抱えているというのは何か家庭の中でうまくいってないことがある、不満なことがある、そういった時に家族のそれぞれがみんなより過ごしやすくなるために私たちが入っていきます。 安發: 私は在宅教育支援の調査をしているのですが、ほとんどの子どもが、学校で例えば勉強に遅れがあったり、学校でうまくいかないことがあるといったことを理由に在宅教育支援という親も子も支える支援が始まっています。 松岡: パボさんはどうしてエデュケーターになろうと思ったか教えていただけますか? パボ: 最初は中学校高校の歴史の教師をしていたんですけれど、その時にそのうまくいってる生徒たちにとっては自分を特に必要としていない、必ずしも自分じゃなくていいんじゃないかと思う部分があった。一方で学校でうまくいってない生徒たちにとっては週3回授業するぐらいでその生徒たちの力になることができないと感じていた。その子どもたちが抱えてる問題というのは勉強に取り組めないとか学校に来るのが辛いとか、それよりもずっと広いことで、そして家について悩みを抱えてることが多かったからです。子どもが抱えている悩み全体に取り組むには、学校でできることはとても限られている。学校というのは子どもがうまくいっていないことがある、その症状が目に見える形で現れる場であっても、それを解決するための場は学校ではないと感じていました。 歴史の先生をしたあと大学に4 年間戻りエデュケーター国家資格の勉強をし直して、今度は被害にあっていたり危険に瀕している未成年を対象とする児童保護の世界で働くようになりました。 人間というものをもっと包括的に捉えたいと思いました。人間というのは生物学な面だけではなく心理面そして社会面その3つから成り立ってるわけです。その社会の部分は人間関係です。私は人間科学をアクションに移すということがエデュケーターの仕事であると考えています。人間科学というのは歴史や人類学や社会学、哲学、そういったものが全て合わさった中で、人間が不幸になったり人間が加害者になったり被害者になったりしているわけです。なので、そういった「うまくいかないことがある」「うまくいかないことがあってこの子どもがその症状を発している」としたら、人間科学でその子どものためにできることは何だろうかということに取り組むのがエデュケーターだと考えています。 松岡: エデュケーターはどういう家庭に派遣されるのですか?一人で何家庭を担当しますか? 安發: 私の調査から言うと、支援最初のきっかけは学校ということが多く、例えば夫婦喧嘩の声が聞こえたっていう通報がきっかけであったとしても、学校で子どもの調子が悪いということがわかると支援の対象になるということが多いです。例えばレゴで遊ぶ時にいつも「助けてー!」と叫んでいる人がいて、誰か助けに行くという遊びをしているということが支援開始のきっかけだった子どもがいました。エデュケーター一人で子ども26人と県で決まっているので兄弟がいたりするから1人十数家庭を担当することが多いです。私は同じ家族を継続的に2年間近く調査してるのですが、1年半から2年ぐらいで支援が終わる家庭が多い一方で、もっと長期間、例えば親の精神疾患が改善しないなど長期間支援が必要な家庭もいます。 在宅教育支援は親が希望して、例えば子どものことで手を焼いていますとか子どもが反抗期でうまく関係性が築けませんとか、別れた両親の関係性が良くなくてそのことを子どもが気に病んでるけどうまく子どもと話せませんとかそういう場合もあります。 ターラちゃんが受けているのは、親が望んだわけではなく、子ども専門裁判官という児童保護を専門とする裁判官が、今の状況では子どもの権利、子どもの安全や健康が守られていないから在宅教育支援を命令しますと裁判官の命令によって始まっている支援です。そして 1年後に、支援の結果改善したかどうか確認します。 子どもは現在、危険な状況ではないけれども、心配な状況で、しかし危険な状況まで放置してしまったとしたら子どもを親元から離して施設だったり里親だったりに措置しなければいけなくなるので、そうではなく、親子の状況をもっと良くすることができないか、子どもの状況を改善させようということで在宅教育支援が始まります。もちろん親は最初は望んだわけではないので難しいのですが、信頼関係を築くためにエデュケーターの人たちが、私たちが何かを批判したり、罰するためにいるわけではありませんと、親のことも子どものこともその支えるためにいるんですっていうことを伝える必要があります。 パボ: 支援の方法はオーダーメイドです、家族によって、暴力的な父親だったり、すごく優しいけれど子どものことにうまく取り組めていない親というのでは違います。中には子どもに対して暴力的な言葉を使う親もいますし、アルコールの問題がある親、精神疾患の被害に遭っている親、そういった状況があると、子どもにとっては世の中、外の世界とつながっていくことに難しさが出てしまいます。例えば子どもが学校に行かないということについて親がどういうふうに対応すればいいかわからない、これも「危険」として私たちは捉えます。なぜかというと、子どもの将来を危険にさらすような状況だからです。子どもが学校に行けるだけ十分安心できるためにはどのような準備が必要なのか親と一緒に探します。「親をすることの支援」といった言い方をします。そして1年後にまた子ども専門裁判官のところに「これから先まだ在宅教育支援を継続する必要があるのかどうなのか」と話しに行くのですが、いい仕事ができた時にはほとんどの親が「あと1年お願いします」と、最初は望んでいなかった親だったとしても、エデュケーターがいることが家庭にとって危険ではなくて、親としての役割を補強してくれる存在なんだということが伝わって「もう1年お願いします」と言ってもらえることが多いです。 松岡: ターラちゃんは学校に行っていますか?学校に行けていない状態なのでエディケーターが入るのでしょうか? 安發: フランスの場合は月2 日以上学校を休むともう不登校の扱いで親子共に、状況を確認して 支援しなければいけない、また全寮制の学校に入るか施設から学校に通うか検討されます。 ターラちゃんの場合は、お母さんが幻覚が見えるということで、かなり小さいうちから施設措置されていて、そして家に帰るにあたって、お母さんに精神疾患があるので、2人で暮らしていくには心配があるから在宅教育支援という条件つきで家に帰っていいよと施設から出られたという状況です。 松岡: 学校制度についての質問で、日本の学校制度はかなり画一的で学校に行くことでとても狭い価値観を植え付けられていますがフランスの学校制度に日本の学校のような課題はないのでしょうか? 安發: 学校はすごく厳しくて3歳から義務教育なのですが、その学年の内容を履修できていないと落第してしまいます、なので、学校で落ち着きがないとか宿題ができていなかったとかそういうことについて早いうちから専門職が入っていきます。 パボ: 義務教育は16歳までなので、16歳までは学校に行きます。もし一般的な学校が合わない場合は職業コースの方を勧めてその子どもに合った学び、例えば高校の職業科など、その子どもに合った教育が何なのか探します。どのような集団の学びにも合わなかったとしたら、その家庭に誰かが通って教えるというような形もありますけれど、それは非常に極端な話です。ただ不登校という現象は日本に比べてそういう症状を示す子どもはフランスは少ないのではないか。一方で学校で反抗するような子どもはいます。一日中座って話を聞くことについて十分教えてもらうような機会がなかったら、そういうことができなくて反抗的な態度に出るということもあるからです。エディケーターの仕事としては学校に行って学校の様子を聞くということもありますけれども、中心的な仕事は学校のことではありません。 安發: 私自身が調査の中で、例えば学校でいつも笑いを取りにいって授業を妨害する子どもがいました。でもエデュケーターが、お母さんがちゃんと病院に通ってお母さんの調子が良くなるように介助の人が毎週病院に連れて行くということを手配したらもう授業中に笑いを取るような行動をしなくなり、子どもについての心配はなくなったということもありました。そういった意味で、家庭の状況を良くしたら子どもの症状は改善するという考え方がフランスではされていると思います。 松岡: エデュケーターは公務員ですか?という質問も来ているのでその後続けてエデュケーターの仕事を説明していただきます。 パボ: エデュケーターの仕事というのは、どのようなメソッドを使えばいい教育ができるというようなものではありません。テクニシャンではありません。アドバイスをすることはできます。しかし、私たちが対象にしているような子どもたちは暴力の被害を経験していたりトラウマがあったり、でもその起きていることについて理解できないというような状況にいる子どもが多いです。なぜかというと、子どもは自分の親は、両親のことは好きなわけです。人間の子どもは20年間は親のことを愛せないと独り立ちできないわけで、親のことを愛する気持ちがないと生きていけないわけです。なのにもしその両親が暴力的だったりした時に、その自分が愛する両親から身を守るということがどういうことなのか、考えが整理がつかないということがあります。なので、私が大事だと感じるのは、その子どもにとって自分の人生がどういったものなのか、その説明を自分で見つけ出すということです。 安發: エデュケーターは児童相談所など公務員として働くこともありますけれども、在宅教育支援というのは民間団体です。 公務員のソーシャルワーカーは必要なケアをコーディネートする係で、民間団体にいるエデュケーターやソーシャルワーカーの人たちがより専門性のある継続的な支援を提供します。公的機関から委託をされて、施設や里親や在宅教育支援サービスを民間団体が県のお金で実施します。 パボ: 親にとっても子どもにとっても、人間にとって難しいのは、理解ができないことです。例えば自分の子どもがなぜ家から出ないのか、なぜ学校に行かないのかっていうことが理解できない、または子どもが親のことを理解できない。「うちの子は普通じゃないのか」「親がこういう行動を取るのは何でだろう」ということが理解できないことはすごく難しいことです。子どもが学校に行けない場合はエデュケーターが一緒になんで学校に行けないんだろうと考えます。自信がないのか、それとも彼自身に何ができる、彼にどんな価値があるといったことを十分支えてもらうことができていなかったのか、自分に何ができるということについて自信を持つような機会が十分なかったのか。 私たちがまずすることは親がどのように自分の子どもを見ているのかということ、子どもがどのように自分の親を見ているのかということについて働きかけをしていくことです。子どもはよく親との関係がうまくいかないのは自分のせいだと考えます。子どもは親のことが好きなので、自分のせいでこうなった、うまくいかないんだと考え、自分をより苦しめるような行動をとります。それが不登校だったり引きこもることだったり自殺だったりするわけなんですけれど、これから先、親が新しく人生を生き直す、子ども自身も新しく生き直すためにはこの親が子どもを見る目線、子どもが親を見る目線ということについて働きかけて変えていく必要があります。変えていく中で、これまで起きていたことについて違った態度をとり、違った姿勢で生きていくことができるようになるからです。やり直しをこれまでと違った形でしていくことができるからです。そのためには自分自身が変わるという こと、関係性を変えるということが「許可される」状況にしなければいけません。私たちが「こうあるべき」ではなくて、親自身そして子ども自身が「どのようになりたいのか」っていうことを実現するための力をつけていけるように支えるということがエデュケーターの仕事です。 パボ: エデュケーターにとっては何が真実か知ることではなく、その子ども自身、親自身にとってそのライフストーリーと共に生きていくことができるという自分の歴史のストーリーを一緒に作ることです。なので最初その家族にとっては「めんどくさい」と思われるのは、「さあ皆さんテーブルの周りに集まって座ってください、たくさんの質問をお互いにしてください、それに答えてください」っていうようなことをします。中に子どもが何で親がこの家族を作ろうと思ったのか、自分が生まれたのは望まれて生まれているのかそれともなんとなくこうなったのか、そういったことさえ何も知らない子どもたちがいます。日本文化の中では羞恥心だとか、起きたことについて、あまり都合がいいことではない場合は話さないといったことも文化としてあるのではないかと私は思っているんですけれど、サイレンスつまり話さないということは、結果的に加害者を守り被害者を守らないということが多いです。誰も何も言わない状況で弱い人は耐え続けていて、危険にさらされ続けるということが起きる。誰も話さない、うまくいってないことがあることについて話さない結果、子どもが学校で症状として、例えば学校に行かない、学校で勉強に取り組むことができない、そういった症状を示します。私たちエデュケーターが子どもと親の心の、お水がいっぱいになってしまった花瓶を、一度お水を流して空っぽにする、溢れ出ないようにすることができます。自分の人生について理解することができる、なんで親が暴力的なのか、それは親自身が暴力的な環境で育ったのか、それとも何かすごく嫌なことがあったのか、そういったことを理解することができるということが安心感につながるからです(自分が悪い子どもだったから暴力的な態度をとられたわけではないとわかる)。 松岡: 日本では虐待のケースに介入する支援に入るというとエスカレートしてしまうケースがよくあるということで、フランスではエデュケーターが家庭に入ることで一時的にでも虐待がエスカレートしてしまうことはないのですか。 パボ: おそらく日本の家庭を支援してる人たちにどうしてより暴力がエスカレートすることがあるのかということを聞いてみる必要があるというふうに思う。エデュケーターは家庭に対し敬意を示し、家庭のことを守ろうとしているのに、その反対の反応が起きるのはなぜなのか。もしかしたら日本では家族の誇りという考え方があるかもしれない。 フランスの場合は革命の時に王様の首を切ったっていうこともあって「難しいことがあったりうまくいってないことがあったとしたら、そのことについて話さないと」といった考え方はあります。最初父親が怒ったり泣いたりというようなことはありますけれども、子どもが外、路上で被害に遭うよりも、家庭内で暴力に遭うことの方が多いわけなので、親が怒るからと言って入らないわけにはいきません。父親が怒ったりすることがあったとしても、私たちは子どものために動いてます。子どもがもしかしたら危険な状況にあるかもしれないのに、怒らせるから行かないという選択はできません。もしそれで子どもの状況がより危険にさらされるようなことがあるとしたら、それは裁判官が子どもを家庭から離すということを検討しなければいけません。ただ、私たちが在宅教育支援という形で入っていくのは子どもが家で暮らし続けることができるように問題解決するということを裁判官から頼まれたからです。 パボ: フランス人に自分の漫画が読まれていることだけでもすごく驚いてるのに、日本人にまで読まれるかもしれないというのは、すごく自分にとって大きな冒険で、特にこの小さなキャラクターが日本の人に読んでもらえるというのは驚きなんですけれども、アーティストとしては、エデュケーターという仕事についていなければ、私たちは似ているような人と出会う機会が大半なのですが、エデュケーターは自分とは全く違った人に出会う機会があるとても素晴らしい仕事です。社会のために戦っていくっていうことについても、エデュケーターの仕事はとても大事な学校だと感じています。違いを受け入れ合うだとか、誰もが弱みを持っているわけで、お互いの弱みを互いに受け入れ合うということについても、素晴らしい 職業だと感じています。そして誰かに助けを求めるというのは一番勇気がいることです。そういったことについてもエデュケーターという仕事はとても素敵な仕事だと感じています。 安發: 質問の中に離れて暮らしたい子どももいるんじゃないかということについて、フランスの場合は離れて暮らしたいと言ったその日から離れて暮らすことができるので、離れて暮らしたくないけれど家庭で難しい状況だという時のこの支援があります。エデュケーターはもともと戦後に仕事帰りにいわゆる浮浪児ですね、メトロの出口にたまっているような子ども若者たちを社会人ボランティアグループが家に連れて帰ってお風呂に入らせて家に寝泊まりさせて近くの商店とかで仕事を与えたりしていた。そんな中で子ども専門裁判官と小児精神科医の人たちが少年院の中だったり精神病院の中ではなくて地域にいるにうちに子どもたちを支えるべきだと主張し国にこのエデュケーターの仕事の必要性を伝えたという経緯がありました。私は日本でワーカーをしていた時に、してあげたかったけれどもできなかった、ということがすごく多かったり、子どもたちに「他に何もないの」って言われたことがあったり、日本で十分できなかったことがたくさんあって、後方支援と思ってフランスのこういった「いいアイデアがある」といったことを発信していきたいと活動しています。今回の企画についても、これからもフランスの支援について私自身が話すような機会などホームページにアップしていきますのでこれからもご支援どうぞよろしくお願いいたします。日本もみんなみんなが手を取り合っていけば、すごくいろんなことが改善していくん じゃないかと思っています。 支援する! 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2023年01月30日27日に実施したオンラインイベントは既に500回視聴されていて関心の高さを感じています 27日に実施したオンラインイベントは既に500回視聴されていて関心の高さを感じています この内容は5日夜まで視聴可能です ご支援も21%に到達しました。口コミが一番効果があるそうなので、どうかたくさん話題にしてください。 トークライブの質問の回答 エデュケーターの仕事について: エデュケーターは1948年よりある資格です。 公的機関はコーディネート役、民間機関が専門的な支援を実施します。パリ市では5つ在宅教育支援を実施している民間機関があって、県から子どもごとに委託費が支払われます。私の調査先機関ではパリ市と近郊で900人の従業員で一年に1万1000人の子どもを支援しています。 家庭の生活レベルではなく児童保護の「予防」目的で市民法375条「子どもの健康、安全、精神面が危険やリスクにさらされているか、子どもの教育的、身体的、情緒的、知的、社会的発達状況が危険やリスクにさらされている場合」において「心配やリスク」がある子どもが対象です。「危険」がある場合は保護の対象になります。親や環境ではなく「子どもの状態」、子どもの権利が守られていることを確かにしようとしています。7割が子ども専門裁判官という裁判官資格の上に2年間児童保護と非行の専門訓練を受けている裁判官の命令で支援が決定します。非行の場合は非行分野の在宅教育支援エデュケーターがいます。支援命令が出ているのに支援を無視する親がいたとしたら、子どもを守ることができないので保護することも考えられますが、説明すれば支援が子どもにとってより良い状況を作るためと理解されるので実際に無視するようなケースは見たことがありません。子ども自身がエデュケーターに出会い、この家では難しいから全寮制の学校に入りたいと言うことは多くあります。また、母は毎日相談の電話をするくらいエデュケーターを頼るようになっても父とは連絡がとれなくなるということも残念ながらあります。 学校からの「心配」な判断が契機であることが多く、夫婦喧嘩の通報など他の契機であっても、学校で心配があれば支援の対象となります。学習の遅れや心配な行動などです。 エデュケーターは1人で子ども26人、約十数家庭を担当しますが、2-3人担当者がつくことも多くあり、さらに多職種チームで家族を担当します。例えば1つのチームを構成するのはエデュケーターを中心に、ソーシャルワーカー、社会家庭専門員、学習エデュケーター、幼児エデュケーター、心理士2人(週2日)、小児精神科医(週1日)、異文化メディエーター(週1日)といった具合です。方針はチームで決定します。家族にとっても内容によって話しやすい相手がいたり1人の担当との相性に左右されずに済みます。 1年ごとに状況の再検討がおこなわれ、7割は3年以内に終了すると言われています。 Q:日本にエデュケーター制度がないことについてどう思いますか →日本はソーシャルワーカーになんでも解決できることが求められていますが、フランスではソーシャルワーカーに13職種あり、3年間1週間現場実習1週間論理という学びを積み重ねても実際現場に出ると現場ごとに利用者が必要とする専門的知識や技術は異なるので、最初の年は7-8種類研修を受けることが必要になります。医療で例えると実際はかかりつけ医だけでなく専門医が必要な分野だと思うので、専門性について日本も見直す必要があり、かついくつもの専門職によるチーム対応も重要であると考えます。さらに、実際毎週一緒に時間を過ごす中でしか家庭内のダイナミズムを変えていくのは難しいということも検討されてほしいです。 Q: エデュケーターは、どんな「職種の人」「(国家)資格を持つ人」と連携をとりながら、職務を進めていきますか? →例えば精神疾患のお母さんと娘の周りにはこのようなコーディネートがされていました。 エデュケーターについての記事 路上エデュケーター ネットエデュケーター シェルター シェルターと親支援 在宅教育支援についての記事 ある家庭への在宅教育支援の例 学校について: 3才から16才が義務教育で3才から落第があります。義務教育機関は教育とケアと福祉が全ての子どもに行き届いていることを保障する期間と位置付けており、その役割を専門職に担わせています。ただ、学区の学校に限らず子どもに合った場所を探すという柔軟な方法もとられています。 学校についての記事 1 学校についての記事 2 学校についての記事 3 発達段階に合わせ国で用意している仕組み 他: Q: 一時的にでも虐待がエスカレートしてしまうことは無いのでしょうか?もし、そのようなケースがある場合には、どのような対応になるのでしょうか? →児童保護分野の支援であるゆえ、電話でいつでも子ども専門裁判官とやりとりできる状況にあります。危険があれば即日保護されます。専門職は「親のことを支えたいと思っている」ことがちゃんと伝われば、どの親も子どもにはより良い成長をしてほしいと思っているので協力体制を築けると言われています。パボさんも最初は親が望んで支援が開始するわけではないが一年後の裁判では親の方から「あと一年お願いしたい」と言ってもらえると話していました。虐待は「望んでしているわけではないけれど他に方法がとれないくらい行き詰まっている」という状況なので、親の優先順位通りに一つずつ解決を手伝います。大家さんともめている、家の水漏れが解決しない、歯の治療をしなければいけないけど手続きができていない等.. こちらのリンクご覧ください Q: 子ども自身が、エデュケーターに親から離れて暮らしたい、ということはありませんか?「子どもが親を愛するもの」というのは幸せな家庭に育った人が決めつけている、という考えはないのでしょうか? →未成年が望めば即日保護されます。実際10代は子ども自身が希望する場合の方が多いです。在宅教育支援の途中に保護を希望する子どももいます。親に対する気持ちの整理をエデュケーターが手伝います。パボさんによると未成年で親とうまくいってほしいと願わない子どもはいないのではないかということです。 Q : 「親としての役割を保証してくれる」その横にエデュケーターがいるというのが、印象的でした。3歳以前の子ども達への配慮はまた違う方々が行っているのでしょうか? →在宅教育支援は学齢期である3才以上であることが多いです。それは、3才未満は保健所にあたる組織が家庭への定期的な支援や、社会家庭専門員という「家事支援+家庭支援+ソーシャルワーク」をおこなう専門職を週2時間x2回など派遣したりもしているからです。 Q : 先ほどのお話にあった民間団体とは、例えば、NPOのような組織ですか? →フランスではアソシエーションという組織が担います。利益の分配以外の目的のためにその有する知識と活動を共同のものとするグループと規定されています。 NPOとの違い (clair HPより引用) 契約性1901年法は、アソシアシオンを「制度」としてではなく、諸個人の意志の合致である「契約」として捉えた。従ってアソシアシオンは、最低2名の構成員で設立することができる。ドイツの登録非営利社団が最低でも7名以上、ベルギーやルクセンブルグでも3名以上の構成員を必要としており、この個人主義的な組合的構成の貫徹は、1901年法の重要な特徴の一つであると言える。日本のNPO法人は、10人以上の社員が必要である(NPO法第12条第1項第4号)。 非営利性・利得の不分配アソシアシオンは、その事業による収益を構成員の間で分配することができない。しかし、その本来的な目的追求のために、手段として収益を目的とする経済活動を行うことはできる。またアソシアシオンの目的は公益に関連している必要はなく、構成員の共益のみを目的とした団体もアソシアシオンである。従って、活動内容に関する規定は存在せず、公序に反しない限りいかなる目的のアソシアシオンを結成することも可能である。これに対して日本のNPO法人は、営利を目的とせず、不特定かつ多数のものの利益の増進に寄与することを目的としている(NPO法第2条)。また活動内容は、法別表に掲げられた16の活動及び団体の運営又は活動に関する連絡、助言又は援助の活動とされている。これらの活動に係る事業に支障がない限りにおいては、「その他の事業」を行うことができ、この場合において収益を生じたときは、これを本来の活動に係る事業のために使用しなければならない(NPO法第5条)。 知識・活動の共有アソシアシオンは、知識・活動を共有することによって、ある目的を達成するために設立される。その目的達成のためには、物質的手段・資源も必要となることがあるが、財産の所有はアソシアシオンにとって必要条件ではなく、知識・活動の共有を通じた人的な結びつきによって、その目的を達成するということに重点が置かれている。この点は税法上も反映されており、優遇措置の基準として法人格そのものよりも活動目的が優先される。 アソシアシオン契約に関する1901年7月1日法(Loi du 1er juillet 1901 relative au contrat d’association) http://www.clair.or.jp/j/forum/pub/docs/344.pdf Q: 日本では何かしらの福祉の支援を受けることに対してスティグマが強く、支援を拒否したり、隠したり、困っていても助けてと言えない雰囲気があると思いますが、フランスでは、何かしらの福祉支援を受けることに対するスティグマ、ハードルは日本より低いでしょうか? →転居したらかかりつけ医とソーシャルワーカーにまず会って安心という人はいますが、高所得層は困っても福祉事務所や児相に相談するのではなく優秀な家庭教師を雇ったりするそうです。地方では特に、家庭教師よりは国家資格のあるエデュケーターを個人的に雇って自分たちの子どもの教育を任せている親がいるという話も聞きます。 パボさんの話で印象的だったのが、在宅教育支援のエデュケーターは家族にとっては新しい親戚のおじさんができたようなかんじであり、エデュケーターができることは「子どものことを好きになる、そして親のことを好きになること。そこから愛が広がっていく」と言っていたことでした。エデュケーターの養成学校でも何度も「子どもを親を大好きでい続けることが第一」「自分に何ができるか聞く」と教わったのを思い出しました。 支援する! [...]

2023年03月12日目次 1 2 3 3 4 5 6 8 8 9 10 11 13 14 [心配がなくても利用できる在宅支援と、心配がある子どもの在宅教育支援] 質問者: 安發さんの書かれた論文とかも見させていただいていますが、エデュケーターが関わる支援として、困難のある家庭に対しての在宅教育支援と、困難のない家庭であっても誰でも利用できる在宅支援と2つ書かれてたと思うんですが、困難のない家庭でも利用できる在宅支援というのはだいたいどれぐらいの割合の家庭が利用していますか。 安發: 在宅教育支援も、親自身が望んだら利用することはできますが、困難がなくても利用できる在宅支援の方は、社会家庭専門員というこれも国家資格のある人が派遣されるんですけれども、1%ぐらいです。 1年単位で計画を立てるわけではなく、必要な時に利用するので、3歳までの間に一度でも利用したことのある子どもは3%から5%と国の報告書には出ています。 私自身が妊娠した時にも受けましたが、身体面だけでなく、社会面心理面でも心配がないか、支援が必要ではないか、という妊娠初期面談が義務化されています。病院の産科でお医者さんが「妊娠してますね」「赤ちゃんの状況はいいみたいですよ」と言った後、妊娠初期面談が義務ですので、「待っててください」と。お医者さんがいなくなると、産科には必ずソーシャルワーカーと心理士が専属でいるので、ソーシャルワーカーが入れ替わりで診察室に入る。 私の場合は日本人同士なので、社会的に孤立するリスクがありますねとか、助けてくれる親族がフランスにないんですねとか、夫がサービス業で土日は赤ちゃんと2人きりってそれはすごく大変ですよとか。その時に勧められたのが在宅支援。 在宅支援の人はソーシャルワーカーですが、家事支援育児支援、そして家庭支援とソーシャルワークを担うことになっています。病院から派遣された場合は病院のソーシャルワーカーと連携しながら、例えば週3回2時間ずつ家庭に入って私の状況について、家事や育児を手伝いながらソーシャルワーク面でも支えるというような仕組みです。健康保険から支払われていて、2時間200円とか。日本の場合家庭に定期的に手伝いに来るのはソーシャルワーカーではなく、有資格者でもないことが多いのですが、フランスでは国家資格者で、プレスクリプトしたソーシャルワーカーと同時並行で家庭を見守ります。私が言われたのは「必要がなかったとしても赤ちゃんのことを2時間抱っこしてもらってその間あなたが好きなことをやりなさい」「お母さん自身が疲れてなくて自分のやりたいことをやってるってことが赤ちゃんにとってすごく大事なんだよ」と言われました。必要になってから支援を求めるのではなくて自分がいい状況で子育てをできるために支援を使えるんだと知りました。 困難がある家庭、日本でいう要支援を対象とするのが在宅教育支援で児童保護、障害、成人の自立支援を学んでいるエデュケーターが家庭に入りますが、社会家庭専門員も同時並行で使われることが多いです。例えば子どもが遅刻しがちな場合に、毎日朝7時から8時半までに朝起こして朝ごはん食べさせて学校に連れて行くということまでがその社会家庭専門員の在宅支援。そして週3回夕方に在宅教育支援のエデュケーターが来て、宿題を見ながらお母さんの書類の整理を手伝ったり一人の子を歯医者に連れていく間に他の子どもたちをみたりそんな感じで同時並行で使うことがあります。 [ 申請しなくても提案される支援と保育 ] 質問者: 朝食に付き合ったり、宿題も見てくれたりだとかすごくいいなと思うんです。やっぱり生まれたばかりの時っていうのもそうだと思いますが、実際自分自身の経験とかも鑑みてみると、やっぱり就学してからのそういういわゆる問題が起きる前の予防的支援ってすごくあるとありがたいなと思うんですよ。その割には、今お聞きして3から 5%っていう数字が意外と少ないかなとも思ったんですけれど、認知がまだ十分に至ってないという感じなのか、そこまで必要としない状況の方がむしろあるっていうことなのかどうなのかなと。 安發: 全ての妊娠中の女性と子どもに関わる機関には児童保護の専門職が配置されてるんです。なので産科にもソーシャルワーカーと心理士がいるので、その人たちが支援をすることができる。例えばそこが民間も含めた支援の手続きをし、数回そこで調整するくらいで済む場合は家庭内まで入ってくる必要はないわけじゃないですか。 産んだ直後もですね、保健所の小児看護師とか助産師が心配ある家庭に、例えば1日おきに家に来ることで状況が良くなる家庭はある。民間の機関に子どもを連れていって相談できる、たまに子どもを預けられるくらいで十分という家庭もある。だけど、さらにプラスでやっぱり週3回2時間ずつ家事育児を支援する必要があるよっていう場合、お母さんが病気か障害があったり、精神疾患があったり、双子だったり三つ子だったり、何もなかったとしてもいいんですけれど、そういう場合は在宅支援の契約を結ぶ。 なのでまず基本として児童保護の専門職がどの機関にもいて、すでに家庭内にかなり関わってるというのがあります。例えば生後2 ヶ月半からの保育は両親の所得の1割で利用できるんです。収入が少なかったり、働いてなかったとしても利用することができるんです。保育園に心理士さんがいて、児童保護専門医が毎週1回来て、そして保育園も保育士だけではなくて、医療面を見る小児看護補助資格の人、あとは幼児エデュケーターと児童指導員、最低でも3種類の職業の人が入ってるんです。さまざまな視点から色んなことを言ってくれるので、私自身も保育園の心理士からいろいろ言われることがあったりした。学校に入ってからも健康診断で健康面だけではなくて 心理面学習面でもチェックしなければいけないってことになってる、子どもの福祉が行き届いているか見ることを担当する人がいる。プラスで必要がある場合の在宅教育支援です。 質問者: 予防を考えると、困難のない家庭についても同様に結構関わっているものなんですか、エデュケーターの人たちっていうのは。それともそれは利用したいっていう風に言われたことによって関わるものなんですか。 安發: エデュケーターっていうのは児童保護分野とか、障害とかになるのでなので、まず最初のニーズがあるかどうかをキャッチするのはソーシャルワーカーだったり学校の心理士だったりすることが多いです。 質問者: 分かってから登場するのがニーズに対して訓練を受けてきているエデュケーターという 感じですね。あくまで要望を受けてから入り込むっていうことなんですね 安發: そうですね、専門機関に勤めてることが多いです。あとは路上エデュケーターという形もいます。なので専門チームって思った方がいいですね。 [ 学校と福祉の連携 ] 質問者: ちょっと学校との連携ってどうなってるのかなっていうのもお聞きしたかったんですけど。なんか今のお話の中で学校とも連携を取られているんだなっていうのが。 安發 そうですね在宅教育支援の始まりはほとんど全て学校で勉強に遅れがあるとか心配な行動があるなどが理由です。勉強に遅れがあるのは子どもの何かしら不調があることの表れと見ます。在宅教育支援が始まったらエデュケーターは学校での面談など全て同席します。 路上エデュケーターの人たちは学校の休み時間や地域にいるので、学校の先生にも親にも言いにくいようなことが相談できたりするということもあります。 [ 日本語版について ] 質問者:日本語版には解説などはつくのか 今日いろいろ私たちも話を聞くと連動していろんなことがこれどうなってるんだろう日本と比べてどうなんだろうっていうことはちょっと気になるんですけど、これから作る本は、その本を漫画で読むとだんだんそれがこんな仕組みなんだっていうのがわかってくるような感じなのか、何か解説みたいなものがつくとか予定はありますか。 安發: ちゃんと解説をつけようと思ってますけど、実際こんな立派な本で大きいんですね。なのでこれ3冊を1冊にするからかなり分量があると思います。私これ最初読んだ時朝方まで笑って、それでも1冊読み終わらなかったので、読むのには中身がしっかりしている内容です。 56ページぐらい、かける3冊っていうことですね。解説はつけようと思っています。でも 漫画なので、読んでると慣れてくると思います、フランスの状況に。ターラちゃんのクラスに何人も在宅支援を受けてる子どもたちがいて、学校帰りにパボが子どもたち全員引き連れて在宅教育支援事務所に連れて行っておやつを食べさせて、子どもたち同士が自分たちの親について話すとか、子どもたちがどのような子ども時代を過ごしているかについても知ることができます。 [ なぜエデュケーターから漫画家になったのか ] 質問者: パボさんがどうしてエデュケーターから漫画家になられたのかなっていうのと、どうしてこの漫画を書こうと思われたのかっていうところをお聞きしたいです。このテーマを選んだ理由とかですかね。 パボ: 全ての子どもは画家だと思います。ただ、なぜか途中でおとなになる過程でやめてしまう人がいる中で、自分はただ続けただけっていう部分がありますが、まず在宅教育支援より前に施設で働いていた時に、子どもたちはすごく大きな怒りを抱えていました。それは暴力の被害にあったとか、見捨てられたような経験をしていたりして、そのことについて学校に行かなかったり何かを壊したり喧嘩をしたりおとなに反抗したりといった反応を示していました。 なので私がしたのは子どもたちに絵を描くアトリエを提案し、自分の怒りを面白い絵として表現してみようと提案しました。なぜかというと自分の怒っていることについて、みんなで笑えたらそれは自分が怒ってることがらよりも自分の方が強くなったっていうことだからです。 なのでアトリエの中で子どもたちが絵を描いてる間に、私もエデュケーターの仕事について、自分が接してる子どもたちについて絵を描くようになりました。悲しいことがあった時に悲しいことを面白い絵として表現する、面白おかしくですね、みんなとその出来事をわかちあうっていうことが、フランス語では、ユーモアというのは「絶望の礼儀」という風に言ってるんですけれども、「絶望を乗り越えるためにはユーモア」と言われているんです。なので絵を描くことによって悲しかった出来事についてみんなで笑えるようにする。そんなアトリエを開催していて、自分でも描いた絵がたまっていきました。 そんな中で、エデュケーターとしてのキャリアの一番最初に出会ったサラという女の子がいて、今は32歳になって、もう私の家族の大事な友達になっているんですけれど、彼女自身がとても難しい人生をこれまで生きてきたにも関わらずいつもすごく面白くて知的で そして他の人のことを誰のことも好きになれるような人で。私はこのターラっていうキャラクターによって、彼女との思い出についても書いています。 あとすごく面白かったのが自分の子どもたちがですね、漫画家である父親のことをどう思ってるかよくわからなかったけれども、子どもたちの世代は日本のアニメだとか漫画っていうのはすごく夢中なものなので、お父さんの漫画が日本で出版されるかもしれないっていう話を聞いた時に初めて子どもたちからリスペクトの眼差しを受けるような感じがした。 [ 分離じゃなくて在宅でいいのか?支援者がいたら遺棄は減らせるのか?エデュケーターの役割 ] 質問者: 先ほどもちょっとYouTubeで出てたんですけれども日本で言うと何か親子にまずい関係みたいなところがあったりすると、児相が入って引き離されるっていうイメージがものすごく強いんですけれども、パボさんはそうじゃなくてどっちかっていうと近所のおじちゃんに話すみたいなやり方だと思うんですけど、どうしたらそういう風に日本がなれるかっていうアドバイスやお知恵みたいなのがあったりするんでしょうかっていうのが1点。 もう1 点は、赤ちゃんの遺棄事件みたいなことがありますが、こういう支援者がいることで減らせることはあったりするんですかっていうのを聞きたいです。 パボ: 1つ目の質問について。 半分は施設で働いて、残りの半分のキャリアを在宅教育支援で働きました。施設で感じたことが、例えば、暴力的な親から子どもを守ることはできるけれども、親と十分に協働する時間を取ることができない中でのことなので、家庭内または親子関係で存在した問題が、子どもが18歳を施設を出たとしてもまだ存在することがある。親との断絶を経験していることも子どもにとってマイナスの影響がある。 なので在宅教育支援という賭けになるんですけれども、家庭にいながら関係性を修復できないか、より強固なものにすることができないか、ということです。保護分離というのとは全く違った哲学でされているものです。 自分の産んだ子どもを苦しめたいと思ってる親はいません。もし遺棄するようなことがあったとしたら、その背景に壮大なドラマがあったことをまず想像しなければいけません。もしかしたら望まれていなかった子どもかもしれないし、暴力にあったかもしれないし、周囲の人から拒否されるような状況があったかもしれませんし、自分自身が心理的に受け入れられないような何かしら事情があったかもしれません。そして産んだら親になると思われていますが、母性や父性は最初からあるものではありません。親になるための学校に行くわけでもありません。他に方法が何もなかったからそういったことになったんだとまず考える必要があります。 多くのことは、自分自身が周りからどのように見られてるか、この状況についてどう見られてるか、ということで起きています。周りの人がそう見るからそういう行動をとる、というようなことがある、つまり、それは変えることができるということです。皆さんの人生を考えても、短期間であったとしても、自分に対して、これまで出会ってきた人とは違う見方で自分のことを見てくれた、そのことによって自分はあの時に変わったという経験をしてるのではないでしょうか。例えば自分のことを親はこういう風に見ていたけど、あの人は自分に「これができるよ」って言ってくれた。だから自分自身が思っていたことを超えるような機会になったという経験です。人はみな、人からどう見られているかということにとらわれている囚人です。エデュケーターの仕事は、「あなたは他の姿になることができるよ。君の望んだ姿になることができるよ」と伝えることです。ただ見られ方それだけなの?というふうに思われるかもしれませんけれども、それだけです。どういった見られ方をすることができるかによってその人自身が、変化することを自分に許可することができます。自分はこんな人なんだという考えにとらわれてる人にとってそれを乗り越えるような機会になります。暖かく見守るということと、あとは、「君にはこんな価値がある」っていうことを伝えます。そして、忘れてほしくないのは、多くの子どもにとって、「君にはこんな価値がある」「君はこんなことができる」っていう事は、もしかしたらそれまで1回も言われたことがないという人も子どももたくさんいるっていうことです。相手はそんなことを言われたことがないかもしれないんだということを思って、必ず言うっていうことが非常に大事です。 [ エデュケーターにとって仕事の結果とは? ] 質問者: お母さんを変えられない時はイラッとしないんですかね。原因としてイラッとしないんですか。 パボ: 仕事としては不可能な仕事だと言われています。全ての人のことを幸せにするためにどうできるのかっていうことはわからないし。お医者さんと同じです。お医者さんは病気を治療するということが目的ですけれども、完璧にこの人のことをケアしたっていうところまでは到達できないはずです。なので、不可能だという風に言われていて常にフラストレーションは伴います。ただ私たちの仕事に関しては、結果の義務はないけれども、どれだけエネルギーをかけたか、どれだけの方法を試したか、ということについての義務はあります。なのでよく子どもたちとお別れする時に自分が役に立っただろうかって思うようなことがあるんですけれども、後々何年後かにその子どもに会った時に、自分が覚えてもいないような一言がどれだけ本人にとって力になったかといったことを言われることがよくあります。なのでエデュケーターの仕事は、種を植えること、肥料を与えてお水を与えること、ただそこから先どんなお花が開くいう言葉ではわかんないことがたくさんあるっていうのが私たちの仕事です。 安發: パボさんが言ってたことで私にとって印象的だったことが子どものことをまず愛すること、そして親たちのことを愛すること、そしたらそこから愛が広がっていくということです。エデュケーターの専門学校でも、どんなことがあっても相手のことを大好きでい続ける事っていうことがエデュケーターとしての基本だよっていう風に習うんですけれども、パボさんからもそういった話を聞いたことが印象的でした。 私が行っている、在宅教育支援を受けている家族の2年間の調査の中で、多くの家族が2 年の間に、子どもにとってもう心配がない、在宅教育支援が必要ない、ということで支援が終わってるんです。ほとんどの子どもはその間にすごく大きな成長を遂げていて、自分の両親についての悩みとかを初めて話せる人がいたから、子どもたちにとっては折り合いをつけるとか、両親についてこんな不満はあるけれども、でもその不満にとらわれずに自分は自分でこういった人生を築いていきたいんだっていったことについて、自分の将来の見通しだったり自分のエネルギーを自分自身にかけることができるようになったってことがすごく大きな変化だったんです。でも親たちは、例えば両親が憎み合ってるとか難しい病気を抱えているとか、半分弱ぐらいは、親自身について「すごく大きな進歩があった」っていう風には記録されていません。 それまでの間にもすごく長い大変なことがあって、でも児童保護の目的は子どもの調子が良くなることなので、まずできることからするっていうような部分はあります。完璧にその状況が改善するってことは難しいとしても。 [ 漫画が出て実現できていること ] 質問者: この漫画を世の中に出したことで何かパボさんの人生とかエデュケーターと仕事に与えた影響、何か変わったことはありましたか。 パボ: 私自身は第一線を退いて、仲間たちを見捨ててしまったのではないかといった罪悪感はありました。第一線で仲間たちと戦っていたのに自分が、鉛筆と紙を持って後ろに隠れていってしまったんじゃないか、自分も連帯に十分加わってないんじゃないかという気持ちがありました。ただエデュケーターたちの反応としては、こういう子どもやこういう親っているよねってすごく笑うことができたよとか、自分が一人ぼっちではないというふうに思うことができたよ、ということなので、少なくとも笑顔になることで支えることができていると感じられるような反応はあります。 この職業と子どもたちを守るための政治的な目的、子どもたちとの連帯の気持ちがもちろんあります。資本主義の世界でお金が中心になっている中で、お金を中心にいろんな価値を見捨てて前に進もうとしている社会がある。そういった理不尽に対してユーモアを持って対抗し、そしてユーモアを持ってエデュケーターが仕事としてしていることの価値を伝えようとしています。 [ ソーシャルワークは社会を変革すること ] 質問者: 漫画にしたのはユーモアを大事にしたからですか?表現方法が他にもあるなかでどうして漫画だったんですか。 パボ: お母さんが趣味としていつでも絵を描いてるような人だったので、何にもないところから いきなり絵が現れ、いろんな感情が生まれるということは、すごく情熱的で素敵なことだなっていう風に小さい時から思っていました。でも絵を学ぶ学校に行くような機会はなかったので、私の場合は完全に独学なんですけれど。 安發: 私からの補足です。エデュケーターという仕事があります。フランスの場合は週35 時間労働なので、それ以外の時間も余裕があるわけで、特に施設の職員とかは夜勤があったりするから普通の一般の人よりさらにバカンスが多いんですね。なのでエデュケーター出身で例えばゲームを作ってる人だとか、映画監督になった人だとかラジオDJで施設にいる子どもたちの話をラジオで流したり、施設に子どもを預けてる親たちがこういったことで不満だってのをラジオで流したり、エデュケーター出身の層がかなり熱くていろんな分野で活躍し、いろんな分野で世の中にこの自分たちのこの職業を守るために知ってもらおうとしています。 だから本当に1年中テレビで「母子生活支援施設での半年」とかそういった番組を見る機会があったりするわけなんですけど、そういう風にそれぞれが社会に価値を伝えようとしている。子どもたちは自分たちで言えないわけじゃないですか。なので関わってるおとなたちが言う。 ソーシャルワーカーの法律で、ソーシャルワーカーというのはケースワークではないと、困ってる人の対応するだけではなく社会を変革すること、社会問題を解決していくことってことがソーシャルワークだと定められている。なのでこれが問題でそのためには何が必要なんだってことをテレビに出て言うとかそういったことが期待されてます。例えば絵によって伝える、記事を書く、学会で報告する、そういったワーカーそれぞれのクリエイティビティというのがすごく奨励されていて、パボさんもアトリエを開いていたっていう話をさっきしてたんですけれども、ケースワークだけではなくて、それぞれのワーカーが今年1年自分はどういったことをするっていうグループを対象とする、もしくは社会を対象とするプロジェクトを立てなければいけないんです。対象者が必要としていること、それに応えられる福祉を自分で企画して、例えば窓をたくさん壊す子がいて、そういった子どもたちにどういった活動をしたらそのことが解決されるのかっていう、個人ではなくて対グループの支援を自分で作り出さなきゃいけない。そんな中からこういったアーティストが生まれたり、クリエイティブな活動が広がっていく部分があります。例えば路上エデュケーターがいたけれど、ネットエデュケーターっていうのもいて、一つのソーシャルワーク事務所でこういったことをした方がいいんじゃないかと。今子どもたちは路上にいるんじゃなくてネット上にいるからネット上で声をかけていく必要があるんじゃないかと。そんな中で広まっていって国が国の制度としてお金を出すに至った。そんな感じでそれぞれのワーカーがクリエイティブであることってことが大事にされています。 [ 中高生にも人気 ] 質問者: これ子どもも読めるんですか、それともこれおとなが読むためのものか、誰が一番読むのか。 安發: 最初は学校の先生や保育士、子どもと家庭に関わる職業の人たちが読み始めたのですが、今は中高生とかもですね。「親っていうのも結構大変なんだな」とか「結構困った親でも、確かに話を聞いてくれるおとなとの出会いってすごく大事だよね」とか、そんな感じで若い人たちにも最近は読まれているそうです。 パボ: 絵っていうのは、フランスでは歴史上で自由が認められている部分で政治に対してまたは今の制度に対して反対するときにもですね、絵を通して人を笑わせる方法で伝えるのであれば批判が許されてきたという背景があります。デモクラシーを求めるということだったり、今の政権をやっつけるということだったとしても、面白かったら認められる。もし例えば王様をバカにするということが首を切られるような内容だったとしても、王様をバカにしてそれをみんなに笑いを取るようなことであったとしたら許されたわけなのです。なので歴史的にユーモアの絵といったものが存在して、その継承として、このプレスで面白い形で政権を批判したり社会的な風潮を批判するといったことが継承されてきたという背景があります。 [ 人と人の絆を強化するエデュケーター ] 質問者: 私自身も思春期の子どもを育てる親なのでパボさんに来てもらって助けてもらいたいなって思ってるぐらいなんですけれど、そういう親が読んでも例えばヒントになるようなことが漫画にはたくさん含まれているのか。先ほどセミナーの中でお話し出てましたけれども、なんでこんなに悪い事態になってるのかっていう真実を突き止めることが目的じゃなくて、親と子どもそれぞれのライフストーリーをこう探っていって共有していったりして関係性を変えていくってお話が非常に印象に残っていて、そういったあたりが漫画でもたくさん 描かれているんでしょうかっていうのが一つ。 あとちょっと 日本の話になっちゃうんですけど、日本はこれから4月から5月かな、子ども家庭庁っていうものができて、来年度にはですね子どもの子育ての部分と、妊娠出産の部分の公的な支援をよりもっとつなげていこうっていう、制度がちょうど変わっていく時期にあるんですね。ところが、日本の場合はまだまだ縦割りが残ってしまっているので、うまくいくかなってすごい心配して、余計なお世話なんですけど、うまくいくんだろうかっていうふうにこう懐疑的に見てしまうんですが、フランスの場合今日お話を聞いていたら医療と福祉と教育そういったものが本当にがっちりと組み合わさっていて、産婦人科に心理士とかソーシャルワーカーがいるっていうだけでもすごい羨ましいなって思ったんですよね。そういったフランスの制度のお話とかも漫画の中に書かれているのかどうか、そういうことがあれば今の日本には大きいヒントになるんじゃないかと思ったんですがいかがでしょうか。 パボ: 最初の質問にお答えします。この漫画が親として役に立つかというと、ターラのお母さんは結構自分の妄想の世界にもいたりすることがあって大抵の親はですね、ターラのお母さんよりはいい親役割をしてるものなので、役に立つとは思わない上に、この漫画自体が、どうすればいいよ、子育てにおいてどういう方法を取ればうまくいくよっていうことを扱ってるものではないんです。ターラ自身が、お友達も含めて、すごく理不尽だったりうまくいかないような状況をどう乗り越えられるか耐えるかって、いつもいい方法を見つけ出して生きていくんです。そして息が詰まるような状況があったとしても、こうやったらうまく呼吸することができるっていうのを見つけるということが、ターラはとても上手です。そしてターラの夢見た家族生活っていうタイトルなんですけど、夢みたいな状況ではなかったとしても、ターラは他の人との関係性だったりパボの存在だったり、いろんなところで夢見たような生活でない中で抜け道を探して、自分はどういうふうに大きくなるかということを探している。なので子ども自身の持つ強さだとか、子ども自身がどういった思考を持ってるのか、どういった考え方をしてるのか、どうやって自分がすごく問題だと思ってるようなことについて問題意識をずらしていって生きていくことができるのかといった子どもの視点とおとなの視点のコントラストといった面では楽しんでいただけるかもしれません。 私自身は、社会保障全体に目配りをしながら働いてきたというよりも、人との関係性をどのように強化できるかといった視点で働いてきました。例えば学校と家庭との関係がうまくいっていないところだとかに取り組むことはしてきてるんですけれども、一例として、社会的養護を受けてる子どもの20%か40%は障害があるというふうに言われていて、それは一般よりもかなり高い人数。障害があることによって、家庭内で困難があってそれをうまく乗り越える事がなかなか難しい。だからこそ他の人たちが入っていく必要がある。なので障害があったり、そのことについて乗り越えられなかったりする時に、教育だとか障害だとか様々な医療だとか、様々なセクションがお互いに、やっぱり手を取り合って強みを生かし合わなければ、乗り越えるということが難しいです。そこの部分については、お互いが手を組んでいく必要があるのでつないでいきます。制度面がどうなってるよっていうような説明をする漫画ではないです。 安發: そこは私が、全体的な説明をあまり難しくなりすぎない程度に加えていきたいなっていうふうに思っています。 [ ソーシャルワークが家庭の中に入っていくことができるようになった理由 ] 質問者: 日本では、子育ては個人的な責任が大きくて、社会で子育てするっていうのはほとんどされてないような状態かなと思っているんですけど、フランスではそういう各家庭の責任っていうのをどうやって社会的な役割としてどんどん入っていけるような雰囲気を作っていったのかなというのが知りたいです。 パボ: 親に働きかけるようになった理由についてですね。もっと前の歴史もあるんですけれど、それはまた別の機会にするとして、特に近年の話をすると、第二次世界大戦で大量の殺戮がヨーロッパで行われました。そこでフランス人がすごくショックを受けたのは、おとなで、正しい反応を、正しい行動をしないことがあり得るんだということに、大きな衝撃を受ける機会になりました。それらをふまえ、子どもの時からしっかりケアを受けて育つということが、どれだけ社会の未来に影響を及ぼすかと考えられるようになりました。よく、子どもにお金をかけるかどうか予算の話が出てくるわけなのですが、不幸な人だとか、被害にあった人をそのままケアをしないでおくと先々支障が出るという事は分かっています。アルコールの問題、生産性があまり高くない、心理的に問題を抱える、そういったことが分かっているので、問題が起きる前に予防する、または問題が起きても対応するということができれば、先々の社会のお金がよりかからず、より生産性の良い人を作ることができるということになります。 つまり採算性が出るのは、10年後30年後のことなんです。そのための投資なんだよという話をしても、政治家にとっては30年後自分が同じポストを握ってるわけではないので関心を持ちません。なので実際に行われていることとしては、大きな問題を「はい次の世代にどうぞ」とそのまま放置してしまうということが、政治家たちがとっている構造なんです。けれども子どもを守るというのは、将来を守るということにもなります。子どもを守れば、子どもがおとなになった時にその子どもを守ることもできる。その子どもたちもよく守ることができれば、その人たちがおとなになった時に、もっと子どもたちがいい状況になる。そういった考え方をしています。 安發: 補足なんですけれども フランスで言われてることは、社会で成功してる50人と社会の中で困難を抱えてる人50人を比べると、確実に成功してる50人の方が良い環境で育ってケアを受けている人たち。だったら全員のことをしっかりケアをすれば、世の中で成功する人がもっと増えると、フランスではよく言われています。 パボ: フランスでも子どもの福祉にお金をかけすぎていると批判をする人はまだいます。ただ、どれくらいその国の市民性が進んでいるか、育っているかということを示しているのは、一番弱い人たち、つまり不幸な目にあってる子どもだとか高齢者だとかがどのような扱いを受けてるかっていうのが、市民性を推し量るバロメーターになってるんではないかというふうに思います。それは億万長者がどれだけ儲けることができたかでは、市民性を見ることはできないからです。 採算性がとても短期間で見られてるからこそ、かなり短い期間でもうこの世界は終わってしまうんじゃないかと言われるようになってきてるわけなんです。経済力ではなく、国が、生きていて幸せかどうかっていうことを見ることが大事だと考えています。 [ パボと安發にとって日本語版の企画はどう持ち上がったか ] 質問者: 安發さんとパボさんがこの本のプロジェクトをやろうと思ったきっかけ、どんな経緯で出会い、これをやろうということになったのか。安發さんとパボさんは長年の付き合い、同じ職場で働いたことがあるですとか、支援の現場で会ったことがあるのか、そこを教えていただければと思います。 安發: 私は日本で生活保護ワーカーとして挫折経験を持ち、20代後半をうつ病になって過ごし、私にできることはないんじゃないかと打ちひしがれて過ごして、ただ当時からフランス、スイスの福祉現場と行き来していたので、だからこそ「フランスだったらあんなことができたのに」「フランスだったらこの子はこんな目に遭わなかったのに」って思っていたからこそ、日本の現状について受け入れがたい気持ちでもあったと思います。ただ日本から当時は休みのたびにこっちの施設に来てフィールドワークをしてたんですけれども、日本から「いいな、あっちだったらあんなことがあるのにな、あの子もフランスだったら大学に行けたのにな」と思うだけじゃなくて、もうちょっと、フランスでこんなことが可能になった背景など深く知りたかった。 特に私は生活保護員の仕事をしてたんですけれども、そのことに関心があっても大学の友達とかに熱く生活保護について語っても分かち合ってくれる人が多くなかったのがすごく寂しくて、フランス人だったらソーシャルな仕事についてなくてもまあ大抵の人が盛り上がってくれるんですよ。何かしらの活動に参加したことがあるとか、どんなドキュメンタリーを見たとかみんな関心があって、なので自分にとってはすごく居心地が良くて。一般のソーシャルな意識、その背景がどこから来てるんだろうってことにも関心がありました。 フランスに来てから様々な方法で日本に向けて書いたり講演をしたりフランスのソーシャルワークについて話してるわけなんですけれども、フランスのソーシャルワーカーさんの実際の言葉遣いだとか、どんなことを実際にしてるのかっていうことを伝えるのが難しくてですね、「在宅支援」とは言っても、「なんか市役所の人が家に来るなんてやだなあ」とかやっぱりその日本にあるものをもとに想像して拒否感を示されたりすることがありました。 なので、そんな中で去年の6月に初めてこの漫画を見た時、もう本当に夜中まで笑って涙を流して、ソーシャルワーカーってこんな仕事だよねって。大変な中でも子どもたちがすごくたくましく育っている。自分の若かった時代を考えても、例えば親子で喧嘩になることがあったりした時に、こんなワーカーの人たちに話せたらこじらせないで済んだだろうなとか、そういうふうに羨ましく思うこともたくさんあって。日本で過ごしてた時に、例えば痴漢にあったりしても「忘れなさいよ」ぐらいで、その時にどれだけ嫌な思いをしたかっていうのを十分聞いてくれる人になかなか出会えなかった。でもフランスはこんなに身近に周りにたくさんいるって、すごくやっぱり安心なことで、そのワーカーたちの動きを漫画だったら伝えることができるんじゃないじゃないかと「日本語版を日本で出すのってどうかな」っていう風にパボさんに言ったんです。 パボ: この企画についてはすごく驚いていて、明子は控えめだからきっとそのままちゃんと直訳はしないだろうけれど、そのすごく情熱的にですね、これを日本にぜひ紹介したいなっていう風に言ってくれた。きっとこれが日本の多くの人の力になるという風に信じてるっていうに言っていた。そのことについてまあすごく胸を打たれたということと、あとはその日本の文化については自分自身もすごくこれまで敬意を抱いてきたし、特に自分の子どもだとか日本文化にすごく憧れがあるので、この企画がぜひ実現して本当に日本の人たちに読まれてほしい。自分自身は日本語版を読むことはできないわけなんだけれども、誰かの力になることができたらそれは素晴らしいことだっていうふうに思っています。 [ 日本の子ども家庭支援をより良いものにしたい人たちを繋ぐ ] 質問者: 本当に日本の支援職の方、保健師だけじゃなくて福祉職の方もすごくやっぱり辛いことで心折れて去っていくっていう話聞きますので、ぜひこの漫画そういう方たちにも読んでほしいなと思いました。 安發: 私もこの企画をする中でぜひ支援してほしいと話す中で、どんなに多くの人が親子の支援に携わってるか、保育や障害や教育やさまざまな分野から、こんなことしたんだけどうまくいかないとかそういう話が届きました。児童相談所も福祉事務所も在宅支援をしていて、実際ピンポンしても何を言うかということ自体すごく難しいんですって言っていたり、職場の風土がちょっと威圧的で「こんな状況が続いたら保護になりますよ、もう叩かないでくださいね」とかそういった言い方がされてる職場で自分はどういう風に在宅支援をすればいいのかわからないという声があったり。あとはやっぱりどの職場にも熱い人、もっといいことをしていきたい、もっといい福祉にしていきたいというふうに思ってる人たちがいて、でもその人たちが孤立していることもあって、今回この企画で、そういった人たちが繋がっていくような勉強会を開いたり、この漫画を通じて自分が一人ではなくて同じような志を持った人がいるんだと、そういった人たちが集まるような機会を作っていけたらいいなと思います。 例えば在宅教育支援、フランスではですね、毎年1回全国の会議、そして毎月1回地域会議が行われているのですが、全国会議は毎年 1200人が集まるんです。同じ仕事をしてる人が1200人集まって、紹介する研究者も、在宅教育支援出身の人たちが研究者として新たな取り組みを紹介したり、研究成果を発表したり、そして例えば日本でいう厚生労働省の人みたいな人が出た時にですね、その1200人の人たちが、ここの部分はまだ不十分だろうって意見したりするんです。すごくみんなで力を合わせてこの職業、この仕事をもっといいものにしていこうという、そういった熱さが、私は生活保護を担当してた時に、あまりそういった連帯を感じられる仲間につながれていなくて。日本でも現場のことを知っている人たちが、もっと発信して、手を取り合っていくような機会の1つになったらいいなと感じています。私は10年前にフランスに来たんですけれども、来る前の日本では今ほど虐待についてテレビで報道されてなかったんです。今は報道されるようになったので大きな前進ですが、例えばコメンテーターの人たちが、親もすごく辛いことがあってこういったことになったので、親が悪いんじゃなくて親に十分支援が届いていなかった結果起きてしまっているということまでは十分世の中に理解されていないように感じています。なので日本の現場でどのように家族を支えているか、現場の人たちはどんなことをしてるのか、家族をどう支えられたらいいのかっていうことをですねもっと知られるよう広げていくということがすごく大事なんじゃないかなと思っています。 [...]
2023年03月10日コメント欄より 社会政策研究者 「パボさんの言葉はそうだよね、そうなんだよね、とうなづくことがいっぱい」「何度かお話をお伺いしたのですが、本当に色々違いすぎます。私たちの「当たり前」を見直すきっかけになるかと思います。」 自治体職員 「新しい考え方を知るのが議論における第一歩」 書籍編集者 「フランスの子ども支援、家族支援、お話を聞くたび、すごいな、おもしろいな、と思います」 地域子育て支援活動実践者 「日本でも、子どもの環境をより良くするヒントや、考えるきっかけになると思います。」 「一番大切なのはこれから育とうとする子どもたちで、そのために大人である自分たちに何が出来るのかを考えたいと思います。そのためには、外国から学ぶことも必要だし、自分たちの中から良いアイデアが浮かべば、それを実現するためにいろいろやってみるのも良い事だと思います。まずは、いろいろ知ることが大事です。」 弁護士 「安發明子さんのお話は大変興味深く、そして、とってもパワーをもらいました。共感しまくりでした! 助産師 「私はこんな支援がほしい。家庭の中に入り込んで、第三者として見守る、寄り添う。時には一緒になって楽しむ。それは中立な立場で夫婦をみてくれる人で、いつか子どもにとって親以外の頼れる人になる。そんな家族と一緒に伴走してくれる専門家が日本にもいたらいいなって思います。」 ウェルビーイングを形にするプロジェクト企画者 「どんな環境にいる子供たちも自分を生き生きと輝かせ自由に自分のやりたい事が将来できる環境にあることが、少子化の日本においてますます大切になるだろうな。みんなで子供たちを支えていきたいな、と思います。」 心理士 「一人のソーシャルワーカーとしてまだまだやらなければならないことがたくさんあることを、カルチャーショックとともに痛感しました。大きな気づきを与えてくださいました」 自治体職員 「フランスの家族まるっと応援する制度、こども一人一人を社会で尊重して支援する仕組み、そこには色々な示唆があります。」 研修講師 「漫画だからできる伝達があると思って、この出版も応援している。」 [...]
2023年03月09日目次 1 2 4 5 5 6 7 7 8 9 12 13 14 16 17 18 19 19 20 [ 発達障害、家庭にこもる子どもとソーシャルワーカー ] 質問者: 誕生後、入院していた子どもが家に帰って、発達障害があって、どんどん家から引き出さないといけないけど、小学校入学まで家の中にいて、騒がしかったりして虐待予備群ということが日本ではたくさん見られるのですが、フランスではいかがですか。 パボ: まず最初に入院をしていた。それはフランスでかなり気をつけています。なぜかというと、親が子どもとアタッチメント形成するっていうのは決して自動的に行われるものではなく、兄弟やお父さん、親戚を含めて、一緒に過ごす時間が少し後になるということはアタッチメントの形成にかなり影響があるとわかっているからです。入院中のアタッチメント形成という点でもっとケアが必要かもしれないというのが1つ。 2つ目の点が、家族が閉鎖的で子どもが外の、他の子どもたちと一緒に触れ合うことがないということについては、もうそれだけで「心配な要素」として報告するような内容です。フランスでは、「一人の子どもを育てるのに村一つ丸ごと必要」と言われるぐらい、家族だけでは足りないと考えられています。子どもが家族以外と触れ合わないということを閉鎖空間への閉じ込めと言います、近隣の人が訪ねてきているとも限らない、同じ月齢の子どもたちと定期的に会わせているとも限らない、そういった場合には積極的にそこに入っていって、アラートが必要な状況としてリストにあげます。子どもがよく叫んだりするとか、子どもが落ち着きがないとか、それは子ども自身が問題があるわけではなくて、この家族の中で問題があるということを子どもがサインとして発している状況です。叫ぶのは子ども自身が問題があるわけではなくて、今の家族の状況に対して子どもがサインとして発しています。 3番目の点は、発達障害は、「障害」という言葉を日本語で使っていますが、フランス語で障害という言葉を使わないので、障害と認識されていない。もちろん生まれた時から、歩けないとか障害があることはあるけれども、精神的だとか知的だとか発達だとか、子どもは真っ白なページで生まれてくるというふうに考え、一般的ではないような行動をしたり、反応をしたりするというのは子ども自身が「今自分が受けている教育について、うまくいっていないことがある」というサインを行動で示していると考えます。多くの場合は愛情に関することです。だけれども、発達障害、発達問題といった形で表現することによって「親は問題ない、問題なのはこの子ども」という認識を親がする可能性があります。子どもは全くの真っ白な状態で生まれてきているから、今サインを出しているということは、その子どもが受けている教育に何かしら変えるべき点があると考えます。 質問者: そういう捉え方、行動の問題っていうか、彼らは真っ白で、その中に環境が色々と加わって反応が出てしまうっていうところ、家族が孤立しないように周りが見ていくっていうこと、どんなに脳の障害とかそういう課題があったとしてもしっかりやっていけばかなりのところが改善できていくなっていうのは私も感じてるので、日本にはまだまだ孤立した家族があり、それを生じさせないための仕組みをどうしたらいいかと自分自身も発信というか考え直していけるように取り組んでいきたいと思っています。 パボ: 今現在では誰かに会ったり、誰かと人間関係を築くことなく、仕事をインターネット上で進めたり、行政手続きさえできるようになっています。けれども、この方向性は、自然な人間としてのあり方から反対の方向に向かっている部分があります。なぜかというと、人間というのは社会的な生き物で、エデュケーターが家に行って、その人の存在を認めて、その人に話しかけて、その人に関心を持って「一人じゃないですよ、困ったことがあっても話していいんですよ」と言う、 そういった人間味をもたらすということが、すでにそれだけで解決策の一つだと考えています。人の本来の姿により近づけるような関わり方ができるからです。孤立というものは人間にとって非常に破壊的な影響があるものだと私たちは考えています。 家庭に在宅支援という形でエデュケーターが通うことは、非常にシンプルに一般的な行動をしているだけで、それ以上のものではないかもしれないんですけれども、Netflixを見ることに慣れているような状況から、1日の終わりに、自分が疑問を持ってることや、やりたいことや、そういったことについて話し合うような時間をなくしかけてるような家庭もあるので、そこにそういった時間を取り戻す。そのことによって、もしかしたら、人間らしさから離れたような生活に慣れている家庭にとって、根本的な人間の結びつきだったりふれあいだったり、そういったものを取り戻させる。そういう効果があるのではないでしょうか。 [ フランスの社会的問題意識とソーシャルワーカー ] 質問者: 日本の子どもを相手にしたソーシャルワーカーと、エデュケーターの仕事の一番違う点は何ですか? パボ: 私自身が動揺していることがあります。それは、日本のみなさんとのやりとりをする中で、人間的なこと、人間の本性のようなものだと自分が考えてきたことは決してユニバーサルなどこでも同じことではなく、文化的だったりヨーロッパ的だったりするものなんだと気づかされたからです。人間がどのように動くか、反応するかということもおそらく国によって違うんだろうと気づく機会になりました。現在もうフランスで意識されることが減ってきているんですけれども、フランスは2000年もの間、キリスト教の国だったことを忘れてはいけないということに気づきました。それは、昔本を読むことや書くことができたのは教会の聖職者たちだけだったので、どの本を選んで残すのか、どの文章を残すのか取捨選択していたのがキリスト教の人たちだったわけです。彼らが取捨選択した考えや文化がメンタリティとして継承されてきたという背景があります。なので、例えばキリスト教は愛の宗教と言われていますが、叩かれたとしてもその人に優しくしなさいだとか、隣人のことを愛しなさい、どんな隣人であったとしても愛しなさいだとか、だけどそれは、自分が優しいから自分が寛容だからではなく、徳を積んだらその後天国に行ける、つまり現世よりも自分が天国に行くということの方が大事なので、今やってることは自分が優しいからではなく自分が天国に行くための準備。現在の人たちは「そんなことはない」と言うかもしれないけれど、それが根強く残ってるっていうことを(日本との比較の中で)感じました。なので、貧困や病気や高齢者について皆が関心を持つというのは人間の自然の行為だと思ってたんですけれど、おそらくキリスト教の背景から来たものだと思います。比べると、日本からの質問の中で「それは意味があるのかどうか」ということに関心があると感じるからです。フランス人はソーシャルワークに意味があるかどうかではなく、当然人間としてしなければいけないことだと感じています。そこが日本との対比として感じたことでした。 質問者: キリスト教が世俗的な職業であるソーシャルワーカーの行為の説明みたいなものになってくるとちょっと日本の場合にはもっと違う視点や方面から考えないとフランスと全く比較ができない。エデュケーターのモチベーションが、キリスト教の文化に基づいているということは本当に驚きです。もっとフランスといえば社会主義、ヒューマニズム、ヒューマンライツや子としての大切さとかかと思いましたが、そこはパボさんいかがでしょう。 安發: 路上エデュケーターにしても、なぜその活動がボランティアではなく全国の組織になったかというと、子ども専門裁判官や小児精神科医の人たちが立ち上がったからなんです。その人たちが、今でも、テレビに出て「この法律を改正しないと子どもたちの安全を保障できない」などと主張しています。日本は裁判官がテレビに出て制度の批判をしたり、県に対して要望書出したりしないじゃないですか、私自身関心がある点でした。法改正を進めたのも実際に現場を担っている人たちなんです。上からいい制度が降ってくるわけではなくて、現場を見ている人たちが自分たちで変えていかなければと国に訴えている。 パボ: もちろん人権や社会主義も現在に大きな影響があるのですが、石が積み重なっていったとしたら一番下の部分にキリスト教がある。ただ現在は、ソーシャルワーカーにしても民間団体にしても99%は無宗教です。社会主義に関しては70年代から多くの学者たちは社会主義的な考え方をしていて、連帯の意識を生んだということは確実です。ただ現在は、新自由主義や、何もかも経済的な効果やお金に換算するような人たちが出てきています。けれどもそれよりもフランスの社会の中に根強くあるのは、連帯感が横方向に強いということです。自分が所属している会社や組織の上司よりも、他の会社に勤めている自分と同じ立場の人の方を仲間だと思う。それはマルクス主義や、世界中の貧困者が一緒に革命を起こそうという考え方にも近いんですけれども、私自身例えばスペインだとか他の国に住んでいる労働者の方が、毎日顔を合わせている職場の偉い人よりも身近に感じているし、共感する。そういった意識があります。 [現場に即した養成課程、ポストごと採用、専門特化した働き方] 質問者: 児童福祉に関わるマンパワーについて日本とフランスではどのくらいの差があるのでしょうか。 安發: まず国家資格を取得するために3年間一週間おきに現場と座学を繰り返し、4つの職場で実習生として採用されなければならない。実習生には給料を支払うし一年近く雇用するので選抜がある。資格を取るのにかなりエネルギーが必要。入学するのにも6倍倍率があります。福祉についている人の専門性とコミットがかなり高い。 あとはポストごと採用なので、児童相談所にしても、県の規定はワーカー1人に子ども23人、そうすると十数家族、人気のないポストは人を採用できないので適正化されていきます。 さらに、日本の児相は虐待通報の対応や里親とのやりとりやいろんなことを同時にしていることがあるのですが、フランスはそれらが全て違う部署の仕事で、裁判官が保護を決定して初めて、子どもに合った施設や里親選びという時点で児相に役割が回ってくる。家庭を支援して調査をするのは別の部署、保護が必要か判断するのは子ども専門裁判官なので、児相に親が怒鳴り込んでくるということもない。保護が決まった場合に、その先の経過を継続的に見届けて親の支援もおこない一年後の裁判までの子どもの権利を保障するのが児相です。短期措置しか原則ないことになっているので、そこが大きな違いです。仕事自体も、日本よりシンプルに専門特化させています。 [決める人と支援する人の役割分担] 質問者: フランスの児童福祉の層が非常に厚いと噂は聞いていたんですけれど、子どもの精神科を20年近くやっているので児相の職員さんと交流する機会がよくあるんですけど、いつも本当にたくさんのケースを抱えて疲れ切ってらっしゃるような職員さんもたくさんいらっしゃいますし、私たちも子どもを保護する場面になると、親御さんから怒鳴られたりというようなこともあります。フランスは子ども裁判官がついてくれていて、司法面をそこが担ってくれてるんですね。日本だとそれも児相の責任みたいになって親御さんが児相を攻撃するっていう場面がよくありますし、私たち児童精神科医も親御さんから攻撃されることがあるんですけれども、その子ども専門裁判官っていうのがしっかり司法の枠組みで児童福祉全体の職員を守ってくれてるっていうようなイメージをつかむことができました。 安發: 子どもの権利が守られているか保障する役割があります。裁判官は毎回裁判の前に15分間は子どもと一対一で話をして、子どもも例えば裁判が近づいてきたら自分の信頼する人と一緒に手紙を書いて裁判官に伝えたいことをまとめたりします。また、この施設で子どもの調子が悪いとか、この在宅支援を受けてこのエデュケーターのもとで子どもの調子が良くなってるかどうか、そういうことを見てるので、裁判官が子どもと受け入れ先の変更を決めたり、担当エデュケーターや担当する在宅支援機関の変更を決めることもあります。なので、質の高いサービスのための競争にもなるし、質を保つ要因にもなっています。95%が裁判官の判断を経て保護されているので、親としては攻撃的な態度を専門職にとったりしたら親が不利になるだけで、安心の評価が得られにくくなります。なので怒る親がいるようなシーンを目にする機会はありますけど稀です。お母さん自身も裁判官に手紙を書いたりします。児童相談所だとか施設だとかに攻撃したところで、親にとっては施設に近寄ることが禁止されるくらいの結果にしかなりません。そういう点で、支援者は支援に徹することができる仕組みになっています。 [児相の負担を減らす工夫] 質問者 : 地域に、市町村に、基礎自治体に、住民の近くに、問題が大きくなる前にエデュケーターがいるといいのにな、と思いました。日本ってものすごく児相に全部降りかかってくるような感じで、多くの仕事になってるなと思ってます。今度令和7年から一時保護に関して司法審査が入ることになるんですけども、結局それも児童相談所が裁判所の方に書面を出さなきゃいけないということで、児相の仕事がまた増えるという。全然こう役割分担ができてない中で、児童相談所の権限ばっかりが大きくなってくるし、仕事が増えてくるというイメージがあります。結局、児童相談所は福祉の支援者なんですけれども、子どもと話をする時間ですとか、家族と話をする時間っていうのがどんどん減っていってしまうっていう現状に今なってます。そういうのを考えた時にも、フランスのようにエデュケーターという国家資格の専門家の人が本当に住民の近いところで子どもの声を聞いて、家族にそれを届けて家族と同じビジョンに向かっていくってところ、エデュケーターさんがこう介在してるっていうこの仕組み自体がとても素晴らしいなと思っています。 日本では市町村もミニ児相化しちゃっているところがあるので、そうではなくて、やっぱり市町村ですとか、児童家庭支援センターですとか、地域にいる専門の方が支援のスタンスとしてエデュケーターと同じようなスタンスで家族と接していくようになってくるといいのかなと思っていて、今回のパボさんが書かれている、ターラの絵本ですよね、この絵本にはおそらくエデュケーターのエッセンスというかマインドみたいなのが、きっと詰まってるんじゃないかなと思うので、漫画という形で多くの支援者に届くようになると共感を持って、エデュケーターさんと同じようなスタンスで地域で支援を展開できる人が増えてくれると嬉しいなと思ってこの活動に期待してるというところです。 安發: フランスの場合も、児相の負担がすごく多いという理由で例えば「シェルター」を作った経緯や、「ティーンエイジャーの家」という誰でも子どもたちが親とかの同意も必要なく心理士さんに話をしに行けるところも、やはり児相の負担を減らすためという経緯でできました。児相の一次保護所を経て、結局2週間以内に家に帰ってくるような子どもたちがたくさんいる、特にフランスは10代の子ども自身が望んで家を出ることが多いので、仲裁を受け戻ることが多い。そのために2週間児相の人たちが対応するよりは、手続きを簡易化して、子どもが家を出たかったらまずはシェルターに保護し、安全なところで子どもをかくまって、子どもは子どもでデュケーターと話して、別の場所で親もエデュケーターと話して、その間の調整をして、一緒に暮らせるかそれとも別々にしばらく暮らした方がいいか必要な支援は何か模索する。 [エデュケーターの必要性] パボ: こちらも同じ問題があります、フランスも全く完璧ではないですし、行政化が進んで書類が増えて、仕事が増えています。インフレーションの中で、エデュケーターの仕事は収入の少ない仕事になっています。ちょうど今朝のニュースでパリ近郊のエデュケーターのポストのなんと7%もが空きのままだと。地方に移動した人がたくさんいて、違う仕事についている人もいる。エデュケーターがいるっていうことが非常に大事だということを、お金を出している国だとか偉い人たちに十分理解されてないので、そのことを伝えていかなければいけません。私たちはあまりにテクノロジーに慣れていて、テクノロジーの中では生産性ということが非常に求められるわけで、どんどんみんな時間がなくなって、時間がなくなっている中で、例えば子育てをしていたり、人間と付き合っていたりしているわけなんです。 でも思い出してください、赤ちゃんたちは、最初は単なる消化器なわけです。何かを食べて何かを出す。そこから人間を作っていかなければいけない。でも人間を作っていくためには人間が必ず必要です。そしてこれは、文化的ではなくて人間的なことだと思うんですけれど、子どもに笑いかける人間が必要です。そして、そのことについては減らすことができません。人間をつくっていくためには、人間が周りにいる必要がある。子どもに笑いかける人がいる必要がある。それを減らすことができないということは、私たちが言い続けなければいけません。子どもと一緒に5時間遊ぶ必要があるのを、数分で済ませられるようなものではないってことも、言っていかなければいけません。つまり、エデュケーターの仕事は減らすことができないんです。なので、5時間家族と一緒に過ごすことを減らすべき、または5時間過ごしただけの効果があったのか?そういったことを言うような偉い人たちがいたとしたら、私たちが作っているのは機械でありません人間ですということを言い続けてください。 質問者 : 本当に必要な存在だと思ってます。 [ 親に伝えること ] パボ: 子どもと一緒に過ごす時間を減らすことができないという話をしたんですけれども、それは専門職だけではなくてもちろん親も同じです。エデュケーターとしてよく出くわす問題で、家族と話し合わなければいけないこととして、教育的な番組を見せてるからと言って教育役割を画面が代わりにしてくれるということは決してないということを話し合う必要があります。たまに顔を合わせ、挨拶をするぐらいで、親役割ができるというものではないからです。教育をするということは、自分の目の前にいる人間とお互い理解していけるためにやり取りをしていくということが教育です。目を合わせるだとか、相手の感情と自分の感情のやりとり、特に笑顔というのは脳の発達のまず基本、最初の部分は、笑顔を交わすことです。自分が笑いかけて子どもが笑いかけてくる。それを画面だったりテレビだったりで、代替できないということは、エデュケーターとして常にぶつかる問題です。 [ 公的機関、民間機関の役割分担とエデュケーター] 質問者: エデュケーターは国家資格だけど、全員が公務員ではないということでしたが、公務員のエデュケーターが民間のエデュケーターをマネジメントするような形での協業になりますか?公務員だけでなく民間のエデュケーターの雇用条件は一緒ですか? 安發: フランスの福祉は3分の2を民間が担っています。民間は専門的な団体で、施設だったり、在宅教育支援だったり、里親支援機関だったり、そして公的機関は児童相談所だったり福祉事務所だったり保健所だったり、コーディネートする役割です。なので、まずは公的機関が子どもたちのいるところ全てに配置されています。日本も同じなのですが、産科でまず親の調子がいいか、親が妊娠してることについて悩んでないかなということを見るのは産科のソーシャルワーカーと心理士です。それから先は、産科で心配があったら保健所が、妊婦と3歳までの全ての子どもの状況を小児看護師が把握しています。保育園の子どもたちの状況を見て回ってるのも、保健所の児相保護専門医。全ての保育園を回って毎週1回子どもたちに話しかけて子どもたちの心理だとか身体面で心配がないかを見ています。そんな中でちょっと心配だという時に、週何回か専門職が家に通って家の中の状況を支えてた方がいいよという時に初めてエデュケーターが出てきます。 公的機関、児童相談所や学校や福祉事務所は、民間も含めて全てのサービスをケアマネのようにコーディネートする役割です。そして専門的なサービスを提供するのは民間団体です。エデュケーターは児童相談所にもいるし、民間の施設や在宅支援機関にもいます。担っている役割は、コーディネーターと継続的支援で違いますが、看護師や助産師と同じようにどこで働いたとしてもエデュケーターはエデュケーターです。 [ ソーシャルワーカーとエデュケーターの役割分担 ] 質問者: 日本では県レベルの児童相談所が、市町村レベルの子ども家庭支援センターの方向、例えばケースマネジメントをする形になってると思うんですけれども、そこがうまくいってないような気がして、スクールカウンセラーとして働きながらうまくいってないように思っていたので、エデュケーターという形だとうまくいくのかなと伺ってみたかったんです。 それと雇用条件のことで、フランスでもあまりお給料的には良くないとおっしゃっていたのでなるほどと思ったんですが、日本でも結局スクールカウンセラーとスクールソーシャルワーカーはだいたい会計年度任用職員で1年ごとに契約が更新されるという形ですし、ワーキングプアを作ってるだけっていう感じがするのでちょっと聞いてみたかったんですけど。 安發: はい、ありがとうございました。エデュケーターというのは、児童保護と障害と成人の自立支援を担っているので、ソーシャルワーカーの中でより専門特化したというような形ですね。ソーシャルワーカー資格もフランスにもありますが、世の中にどういったサービスがあるのか、こういった場合にはどういったサービスが適してるのかを選ぶのがどちらかといえばソーシャルワーカーで、そして継続的に同じ家族にずっと関わっていくのがエデュケーターという役割分担になっています。ソーシャルワーカーは民間も含め家族に適した連携先をつなぎコーディネートします。日本もソーシャルワーカー資格の上にさらに家族と専門的に関わるような資格を積み重ねるという方法も考えられるのかなと思っています。しっかり継続的に家庭に入って子どもの権利が保障されていて皆の困りごとが解決されていっているかみることができるようにです。 フランスの場合は期間限定の雇用というのは、相当な、例えば産休代替とかそういう時にしかないので、基本的には無期限です。 スクールソーシャルワーカーだったとしても、必ずチーム制だというのもすごく大きな違いです。スクールソーシャルワーカーだったとしても、必ずチームの何人かで、ケースの対応は一人ではしないというのが大きな違いです。 [ 専門職としての距離、なぜ親子と一緒に旅行をしたりレストランに行くの? ] 質問者: エデュケーターが多いこととともに、食事をしたり、旅行に行ったりすることもあるという状況に驚きました。適切な介入が期待できることで、大事な時間を安心して楽しく過ごせることができ、素晴らしいなと思う同時に、リスクを予防するための対策もなされてるのだろうと思います。普段親子と連絡を取り合う時のルールがあると思いますが、個人の電話番号を伝えているのか、電話の繋がる時間を決めているのか。 安發: 仕事の電話と、パソコンはもちろん全員持っていますし、例えば施設から帰った直後だけれどもまだ安心ではない、そういった期間は24時間誰かしらが、担当を決めて電話に出られるようにしてるっていう所はあります。ただ例えば路上エデュケーターの人に夜中に電話がかかってくることがあるか聞いたら、相手にも相手の生活があるって事はどんな若者たちも知ってるから1回もかかってきたことがないという風に言ってたりはしました。あとは、ネットエデュケーターとかはいたりするので、必ずしも一人じゃなくて、他にも相談先を持ってるって事もあると思います。 質問者: 普段連絡を取り合う時のルール何ですか、教えてください。「今までよく生きてきたよね」っていう状況で高校生になってくる子たちと、公立学校なんですけれどもたくさん会ってるんですが、やっぱり心配だからということで、個人の電話番号を教えてしまうソーシャルワーカーがいることから、大変なことが結構起こっています。夜中にかかってくるからどうしても対応できなくなって、いきなりアドレスを変えてしまうとかですね、電話番号を変えてしまう。それって、命綱を投げておいて、それを握られた時に手を離すというとても恐ろしい行為だっていうことで、問題になっています。なので、枠組っていうのがある程度大事というふうに議論されているところなんですけれども、先ほど夜回り先生がたくさんいるっていうような状況だということは、個人の連絡先を教えることがあるのかどうかってことと、その場合「何時から何時までだったら電話に出られるよ、それ以降は出られないからね、それ以降だったらこちらの相談場所にかけるとつながるよ」と、そういうことを伝えているのかどうか。 パボ: 昔はある一定の専門職としての距離というのを保たなければいけないと習った時期がありました。その時期に教育を受けた人たちは「自分の子どもはどうしてるの」「自分の子ども時代はどうだったの、幸せだったんでしょ?」そういったことを子どもに聞かれた時にどう答えればいいのか戸惑うような時代がありました。現在は愛情を与える、愛情を相手からも与えられる、愛情を自分が注ぐということが非常に大事だと考えられるようになっていて、自分が愛情を与えたら、相手からも期待されるわけで、だけれどその中でしか関係性を築いたり何かが変わっていくってことはできないと考えられています。関係性を築く中で相手も変わるし、自分も変わる。そのことを受け入れなければいけない。何かしらが変わっていくっていうことはお互いにとって変わっていくことなので、自分は自分のままだけど、あなたは変わりなさいというようなことはありえません。例えばこの漫画の中のターラとの関係で私自身もすごく大きく変わった部分があります。 なので、距離の取り方について、例えば電話についてはただシンプルに話してみればいいんじゃないかと思います。夜電話してくるとしたら、夜は私は仕事時間外だということはわかるでしょって話せばいい、そしてそれでも明日の朝どうしても待てないような状況だったらそれはエデュケーターではなく警察に電話するべきことなんじゃないかと。私も昔は仕事の電話が徹底されてなかった時に、自分の電話番号を渡したことがあったけれど、夜中に電話をかけてきた人はいなかった、それぐらい人というのはある程度、節度があるものだと思います。そして、もしそれができないような人がいたら、話せばいい。おそらくあまりにしっかりした関係性を築いてしまうのが怖いから、どういった距離感であればいいかって悩むのではないかと思います。 自分が相手のことを心配したり愛したりしたら、相手からも返される。そしてそれを自分が受け取れるだろうかという心配があるのではないでしょうか。自分が愛情を注いだら相手からも注がれることが怖いから距離を取らなければいけないのではないか。相手とどうすればいいかってことを話せば解決できるのではないかと思います。 子どもや家族と食事をしたり、一緒にお出かけをするというのは口実に過ぎません。なぜかというと、やっぱり一緒に過ごす時間というのがすごく大事だからです。そして例えば向き合って座って「はい、何が悩みなのか話してください」という風に言ったところで、おそらく虚しいやり取りになるでしょう。けれど、子どもが食べてみたいものを食べに行ったり、子どもがしたいことをしに行ったり、美術館など無料なものはいくらでもある。子どもがしたいことを一緒にするっていう、その中で特に私が素晴らしいというふうに思っていたのは、車に子ども4人乗せて子どもたちがしたいことをしに行きます。その移動中の会話の豊かなこと。それはエデュケーターの私と、助けなければいけない子どもたちだとかそういったものではなくて、あなたと私は同じ人間としてすごく楽しい時間を過ごしてるよね、っていう今楽しみを分かち合ってるよね、で私自身がその楽しいって感じてるのも子どもと過ごすことをその楽しんでる風にしてるんじゃなくて、本当に今君たちといるのが楽しいんだよ、っていうことがすごく大事なんだというふうに思ってます。 その車の中で話が盛り上がるのは、やっぱり向き合ってるんじゃなくて、並んでいるから。そして一緒にその子どもたちがしたいことをして、いっぱい笑った後の帰り道の車だからだからこそ出てくる話があって、そしてその時、私は君たちと今日こんなことして、すごく楽しかった、すごくいい時間を過ごしたって。君たちと出会って良かったってこと、やっぱり伝えるって事は非常に大事だというふうに思ってます。子どもたちは常に、このエデュケーターは自分のことが好きなのかってことを疑問として持ってるからです。ターラちゃんの絵本の中でも何回も出てくるんですけれども「この関係性いつか終わるの?あなたも私のことを見捨てるの?私はあなたのこと本当に大好きになっていいの?」っていうようなことをターラがいろんな形でパボに問いかけるんです。 確かに施設の中で一日中子どもと遊んでそうすると子どもたちに「エデュケーターっていい仕事だね、遊んでるだけじゃん」っていう風に言われるんです。でもそれは、「遊んでるだけじゃん」って言ってる裏に実は隠された質問があって「お前は仕事だからここにいるの?それとも本当に自分たちといるのを楽しんでるの?」っていうようなことを実は聞きたくて、いつもこの質問を投げてくるんです。そのことについては、やはりオープンにしておく必要があって、必ず言わなければいけないのは、自分が今笑ってるっていうのは本当に心から嬉しくて笑ってるんだっていうことと、君自身がすごく愛嬌があって素敵なやつだから、自分は君と一緒に過ごすのが楽しいんだよってことは伝えなければいけないというふうに思ってます。なので、なんで食事をするのか、何でお出かけをするのか、何で旅行するのか、っていうのは教育的費用として確かに用意されてるんですけれども、その教育的な関係性を築くために非常に有効なものだというふうに考えられてるから、この費用が出るっていうことですね。 [ 支援者はどんな役割を担うことができる? ] 質問者: パボさんとターラちゃんとの関係作りっていうのが、なんだかただ単に仕事以上のものがあって、そこがこの漫画に現れてるっていうのがこの漫画の魅力だし、エデュケーターの魅力だなんて自分は感じてるんですよ。 安發: そうですね、私は生活保護ワーカーをしていた時に2週間に1回ぐらい子どもたちと会っても、家庭内でうまくいってなかったとしても知らないことも多くて、親が納得しないと施設にも入れられなくて、で知らない男性を頼って連絡がつかなくなって、どこにいるかわからなくなるっていう女の子たちがたくさんいて、2週間に1回話したぐらいじゃ、「あの人に話したらなんとかなる」という存在にはなれないし、家から出たくても行ける場所を提案することもできないくらい使えるカードも少なかった。 例えば5歳の女の子がいて、お母さんは精神疾患で調子が悪い時は全然話もちゃんと聞いてくれないような人でした。いつもポケットにプレイモービルの女の子を4体持ってて、その4体を出して人形遊びするのが、自分と、精神疾患のお母さんとエデュケーター2人っていうのがすごく印象的で、この子にとっては、自分を見守ってくれる大人が3人いるんだ、で、自分が何かあった時に3人が反応してくれるっていうような関係性なんだということが、やっぱり全然、距離感が違うなっていう風に感じました。その子の場合も、お母さんは精神疾患で、本当に調子がよくなくて、話もちゃんと通じない時があったんですけど、それでも子どもが安心して育つことができる中で、お母さんもリラックスして、お母さん自身も調子が良くなって、4歳ぐらいから支援が始まって、もう6歳7歳では完全に終了したんです。でも日本だったら多分、施設措置になってたんじゃないかなっていうふうに思うんですよ。でもお母さん自身も「子どもがいなかったら自殺する」っていうぐらい、すごく子ども以外何もないと考えている人だったし、子どもも「学校どうだった元気?」っていう風に聞いても最初に返すのは「今日はお母さん調子いいみたい」って本当にお母さんの心配ばかりして暮らしてたんですね。 そういった時にやっぱりエデュケーターの存在って大きいなと思いました。子どもとお母さんをつなぐ役割だったり、子どもとお母さんという家族を社会につなげる役割だったり、それが仕事なんだけど、仕事以上のもので関わってるのがパボさんだし、この漫画にエッセンスが詰まってるんじゃないかなって感じたんですよね。日本でエデュケーターの話をすると、「家庭内で教育のことだとか口出しをしてほしくない」というような反応がすごくあったので、関わり方によってはできることがあるよ方法があるよっていうことを、漫画だったら伝えられるかなという形で、今回紹介したいと思ったんです。 [在宅教育支援にどんな効果が期待できる?] 質問者: 今まで漫画を出してて、いろんなエピソードがあったと思うんです。その成果が、おとなにしろ子どもにしろ、パボさんにいろんなエピソードがあったと思うんですけど、それをちょっと発表していただきたいなと思うんですよね。やっぱり日本に出すにあたって、どんな成果が出るかっていうのを今までの過去の例として教えていただくとありがたいのかな。ちょっといろいろ自信持っていろんな人たちにも紹介できるのかなと思うんですよね。 安發: フランスでなぜ在宅支援を進めるかという背景にあるいくつもの研究のうちの一つなんですけど、結局、虐待を受けるという極端な経験をしてしまうと、それから先の影響が非常に大きくて、それよりはそのような経験をしない子どもを増やした方がいい、そういった状況を避けた方がいいっていうのが考え方です。この研究は、4歳までに保護された子どもを成人まで追跡を調査しています。129人を21歳まで調査する。そうすると1/4しか「良い経過」をたどってないんですね。1/4っていうのは、元気に育って21歳で自立して暮らしている。半分は「悪くはない」、つまり困難な点はあるが福祉が必要というほどではない、だけれども学業の継続は断念してたり、交友関係が非常に狭かったり、不安感や自尊心や、自信の低さがある。そして1/4、この黄色い人たちは「悪い経過」つまり 21歳の時点ではまだ福祉を利用してて、何重もの健康の問題があったり社会の不適応がある。良い経過をたどった4分の1の良い経過をたどった子どもに共通するのは、リスクにさらされた間が非常に短くて、10ヶ月以内には保護されている。つまり誰かが「この子のこと心配なんじゃない」って気づいてから保護するまでに期間が短いってことです。さらに、保護された時の親子関係の問題が深刻ではなかった。で、悪い経過をたどった1/4、つまり4歳で保護されてから21歳までずっとケアを受けてもまだ状況が悪い子どもたちについて共通する点は、リスクにさらされた期間が長くて深刻に悪化した親子関係を経験してる、つまり叩かれたとかですね、そしてケアからキュアに移れず支援者を攻撃し続けてる。そして良い経過とと中間の1/2に比べて2.2倍もの医療費と措置費が必要、つまり影響はかなり先々まで続いてるんだってことです。 このような研究はいくつもされてるんですが、1/4が良い経過、 1/4が悪い経過、1/2は不安定、ってのは一致しています。ちなみに日本の場合は、今都心部だと、措置費が1人当たり1000万円、年間かかっているそうです。且つフランスのように原則短期保護しかしないっていうわけではないので、何年間も1000万かかり続けるっていうこともあります。それに対してフランスの場合は、在宅支援だと月5万4000円、つまりエデュケーターが家に来たり一緒に何かをする時間だけです。比べて保護だと、月70万円なので、在宅教育支援が必要な期間全部足したとしても、数十万円というぐらい違いがあります。 *詳しくはhttps://akikoawa.com/prevention-is-better-than-cure/ 予防の方が保護に比べてコストが低いという部分も評価されていて、予防を十分すれば子どもが希望しない限り親子分離する必要がなくなるんじゃないかっていうのが、フランスの考え方です。 保護した時点でそれまで何を経験してるかっていうことを先ほどの良い結果と悪い結果について分析し直すとですね、心理的リスクぐらいの経験だったら良い経過をたどる子どももいるんですが、保護された時点で、例えば面前DVと身体的虐待の両方を経験している子どもたちは、良い結果を辿ってる子どもはこの調査では一人もいなかったんです。つまりそれから後でいかにケアをしても、かなり深刻な被害を被っていて後遺症を抱えることになったということです。なのでそもそも悪い関係を経験させてはならないということが、予防を中心にした福祉作りに至った背景としてあります。フランスの場合、中学校もセンター試験みたいなものに通らないと中卒にはなりません。一般の合格率が85%に対して、成長の遅れを一度でも経験しているような子どもたちは、15%とかなり低いです。 下の部分の心理トラブルについては、一度心理トラブルを経験してると数年間は治療が必要で、さらに3分の1は成人しても不安定な生活を送り自立できていなかったり、あと精神障害や犯罪傾向とかそういうことを経験することもある、そういった意味で、予防的に在宅で支援をするということは重要だとフランスで言われてます。 パボ: ソーシャルワーカーの専門誌に掲載されてるので、表紙を描いて、裏に毎週1ページずつターラが載っている。ソーシャルワーカーたちに言われるのは、自分たちがしてることについて書かれてるから、それを読むことで自分たちはいい時間を過ごせるし、一人ではないって思うことができる。さらにソーシャルワーカーに言われるのは、自分の子どもだとか奥さんだとか、家族も読んで、自分の仕事についてより理解されるようになったと言っています。ただ、ソーシャルワーカーを大きく超えて何百万人に読まれてるって訳ではないんです。でも、この雑誌自体は、非常に真面目な文章が中心的なんですが、漫画っていうのは笑わせることができるので、メッセージを伝える上で効果的であると思います。 ソーシャルワーカーたちがしていること、ソーシャルワーカーの仕事の意味を、私はこの漫画を通して守る、伝えることができていると思っています。 [ 一人ひとりが世界を変える ] 質問者: この漫画を見て、該当するおとなと子どもたちがどういう風に変わっていったかっていうのも、ちょっとお聞き頂けるとありがたいなと。この漫画に出てくる人たちとか、在宅教育支援を受けてる人たちです。支援を受けている子どもたちが見て、その親がこの漫画を見て、どういう風に変わったのか、っていうエピソードがあれば教えていただければと思っています。 パボ: 漫画が出たことによって、自分は期待していなかったんですが、意外と子ども、若者たちが読んで、「親っていうのも結構大変だな」っていうことと、あと頼りになる、話せるおとながいるって、やっぱりすごく大事だよねっていうあたりは、子どもたちに支持されてるポイントだと感じています。 ハチドリの伝説というのがあって、とても小さい鳥なのですが、山火事が起きている時にハチドリはすごく小さい鳥なのに、川から口に含めるだけ水を含んで、炎の上にかける。往復をして。その時に、「なんでハチドリはそんな意味のないことをしているの?」って言う人もいる。でもハチドリは「自分にできることをしているんだ」と答えるんです。私も漫画を書くことによって、世の中を変えられるとか、それぐらい効果があると思ってるわけではなくて、自分にできることをしている、そう考えています。 ハチドリの伝説についてhttps://ovninavi.com/798labo/ 質問者: 安發さんが、この本が日本で発行されることによって、全ての子どもが幸せな子ども時代を過ごせるための議論が日本で高まることが目標だと言ってます。クラファンを広めるために私が考えたのは、クラファンに賛同してくれた人が参加できる議論の場を用意してはどうだろうかということです。これに関しては、今日の参加者の方々にもご意見をいただきたいですし、ぜひクラファンが広がるために主体的に関わっていただけたらいいなと思ってます。パボさんにも、今回のクラファンが広がるために「こんなことをやったらどう?」というアイデアがあったら教えてください。 パボ: 自分自身を売り出すということがすごく苦手で、自分について考えても欠陥しか見えないので、どのようにしたらそれをうまく、多くの人たちにこんな面白いことができる、というようなことは言えない。さらにユーモアというものが、自分自身にとっては重大なこと、ショックなことを笑うことで乗り越えるっていうような部分があるんですが、それが日本に共感されるのかっていうことはわからないです。例えばアメリカのジョークは、フランス人は笑えないことがあります。 安發: ターラちゃんがすごくおしゃまなんですよね、おとなよりも賢くて、でもそれが日本でもあることなんですよ。親があまり頼れなくて、子どもの方がちゃきちゃき動くとか。だからそういった点は、心配ないんじゃないかなっていうふうに思ってるんです。 [ ソーシャルワーカーを人気の職種にする ] 質問者: 今日本の福祉現場は、社会保障社会福祉削減のもと、労働条件が悪いそれから恒常的な人手不足、それから専門性が発揮できなくて福祉の仕事にやりがいが実感できない、やりたい実践ができないことにより福祉の仕事の魅力低下による人手不足、という悪循環の中にあります。福祉を学べる学校も学生が集まらず、どんどん減っています。パボさんからエデュケーターもなり手不足にあるとお話がありましたが、どのような状況ですか。 安發: 人手不足はパリだけの話ですね、でもパリでもエデュケーター専門学校は、いまだに倍率は6倍です。 質問者: 新自由主義的な考え方が広がるなか、給与面以外になり手不足の要因はあるのでしょうか。特に若い人たちの中でも福祉に対する見方や考え方が変わってきてるような感じでしょうか。 パボ: フランスも全く同じ問題を抱えていて、ソーシャルワーカーは貧しい人や調子が非常に悪い人、そういった人たちを対象にする仕事で、フランスでも人気がすごくあるというわけではありません。だからこそ私がしたいのは、なるべく多くの人に話題にしてほしいということです。ソーシャルワーカーの仕事自体が十分知られているわけではないからです。ソーシャルワーカーの仕事が実際にうまくいくには、かなり発達したテクニックが必要。つまり、とても専門性が求められる。とても良い仕事ができない限りうまくいかない職業です。 だからこそ、世の中で一番美しい職業だと私は思っています。なのでこの職業の美しさを目に見える形で世の中に伝えなければならないと思っています。ソーシャルワーカーを人気の仕事にするために、こういう活動に取り組んでいます。 [ 教育は遠隔ではできない ] パボ: 質問の距離感について。以前、「ある程度のその距離感っていうのが大事」というようなこと言ったのは、結局その距離感っていうのはおとなを守るだけであって、言い訳であって、実際に自分たちの仕事は子どもを守るっていうのが目的なので、違うじゃないかっていう批判は常にありました。だけれども、結果的には何かしら事件が起きたわけではなく、自分たちの実践の中でやはり距離感ではなくて、しっかり人間関係を築くことによって成功するというような経験が積み重なっていた中で、考え方が変わったと思います。なぜかというと、距離をとった間柄で、または遠隔で、教育は決してできないからです。今は親しさ、「ちょうどいい親しさ」と表現が変わっています。数年前に出た本ですごく読まれた本がありました。「好きになるという動詞を使うことを許す」というタイトルの本で、かなり衝撃的でした。自分の子どもを好きっていうのと同じ言葉を関係が一時的になるかもしれない子どもに対して使っていいものなのかどうなのかという議論を巻き起こしました。けれど結局距離を取っていたところで何も効果を及ぼすことができないということは皆経験上感じてることでした。エデュケーターの仕事はエンゲージメントというのがあって初めて成立するものです。自分たちはエンゲージメントして相手に関わる必要があります。なのでエンゲージメントがあるということは、やはりリスクも起こさなければいけないし、自分自身に関係性を課すという面もあります。そのことについては、ターラから教えられたことがたくさんありました。 ターラとの出会いは、施設で働いてる時にまだエデュケーターになる専門学校に通ってる時に、自分のキャリアの最初の方にターラに会いました。その時にターラはもうすでに数年間兄弟と一緒に施設にいて、お母さんの統合失調の具合は非常に悪くて、お父さんはアルコール障害があってかなり昔に彼女の人生から消えていなくなっていた。当時まだ自分はエデュケーターの専門学校に通っていて、3週間仕事でターラと一緒に過ごして1週間学校に行くという行き来をしていました。彼女は非常に自分にとっても特別な子どもで、そしてターラは自分に父親代わりを無意識で求めているような感じでした。だけど、自分はまだ学生だったので、途中から5ヶ月間違う施設に働きに行かなければいけないので彼女の前から5ヶ月間突然姿を消すことになってしまいました。当時自分はちょうど一緒に住んでいた人と別れた時期でプライベートでも非常に厳しい時期だったので、ターラのいる施設に戻った時にターラからすごく長い手紙を渡されて、その手紙の中に書かれていたことは「どうせ当てになんてできないんだと、私がすごくたくさん大変な時があったのに、その時にあなたはいなかった」って書いてあった。当時まだ自分は子どもがいなかったので、おとなというのは責任がなければいけないんだと、おとなというのは子どもが必要な時にいなきゃいけない、その手紙を受け取った時に初めて自分はおとななんだということを意識させられました。彼女は小さい時からおとなのように過ごさなければいけないような人生を送っていて、子どもとして過ごすことができていなかった。でも自分がおとなじゃないと彼女は 子どもとして安心して過ごせないんだってことがわかりました。なのでそれから先は、自分はおとななんだから責任を持たなければいけない、相手が必要な時にいなくなるって事はできないと思うようになった。なのでターラが自分のことをおとなにしてくれたしエデュケーターにしてくれたと感じています。 漫画だと8歳なんですが、17歳で施設を出るときに一緒に撮った写真です。今も家族の新年のお祝いとかにターラは来てくれるし、子どもが小さかったときはベビーシッターが必要な時は、学生時代だったターラが手伝ってくれてた。 質問者: 子どもが生きづらさを感じている。親子でうまくいかなかったり、虐待があるとか。フランスの背景が私も全くわからないんですけど、その辺ってどうなんだろう。どんなことが原因で、日本と変わらない部分もあるのか、違う部分もあるのかと、思いながら聞いておりました。 [ 施設でも里親でもなく予防的な在宅支援と自宅措置 ] 安發: 短期措置しかないことになってるので、基本的には危険な状況がない限りは措置してもらえないのですが、一番多いのは、13歳以上で、子ども自身が家にいたらうまくいかないというようなことだったり、地方だとかで自分の自宅からだと行きたい高校に通えない、行きたい就職先が見つけにくいとか、そういった自分自身が望んで施設に来る場合が多いということと、パリ近郊だともう1/3は未成年の海外単身移民といって、難民として親戚がフランスにいないのに単身で海外から来てるような子どもたちです。なので基本的に危険がない限りは子どもが望む限り家庭内でエデュケーターも毎日通うとか、全体的な方向性としては危険があったとしても、子どもが家にいる時間にエデュケーターがずっと家にいれば危険は起きないということで、家庭内での支援を優先することになっています。施設にいると親の状況の改善への支援が十分できないんですよ。やっぱり親への支援が限られがちで、親自身が調子良くないままでは、子どもが戻ってきたら元のダイナミズムに戻ってしまうようなことがあったりする。 そして親子を離すことによって、やはり親自身も大きな挫折経験になったり、子ども自身も親のせいで自分がこうなったんじゃないかみたいに感じてしまうなど悪影響が多いから、今はもう自宅措置というような形で、危険があったとしても、子どもが自宅にいるままで、エデュケーターが子どもがいる時間ずっと家で一緒に過ごす、そのことで家族全員に関わるというな方向が取られつつあります。そういった方向性でやっていこうということになっています。 [ 虐待は親への支援が十分ではなかったということ ] 質問者: 親が、子どもに対してこう虐待をしてしまうっていうようなことがやはりフランスでもあるんですか。ごめんなさいちょっとその辺のことがわからなくて。 安發: 虐待っていうのは非常に極端な状況で、親自身が本当は子どもにもっと良く成長してほしいし、良い関係性を築けたいけれどもそういうことが叶えられてないという状況なので、親の負担、悩みが大きい順に、つまりワーカー側がこの人はこれが問題だって思う順番ではなく、本人自身が悩みと感じている順番に一緒にエデュケーターが解決する方法をとります。もしかしたら親の親との揉め事かもしれないし、近隣の人との揉め事かもしれないし、自分の家庭内ですごく大きな葛藤があるのかもしれない。そういった親自身の精神的な負担を取り除いていくと、親はもっと自分がしたかった子どもとの関係性を築ける余裕が出てくる。そういった考え方をします。 [ なりたい親になるのを支える保健省の「親を描いてみて」] 質問者: 子育ての時に、親がうまく子どもとの関わり方っていうのを学べてないというか、知らないというか・・・最近の日本の問題じゃないですけど、そういうところでまあ私は感じたりとかしていて、なんて言うんですかね・・・ 安發: 自分の親が自分にしたこと以外の親としての接し方というのは誰も学んでないわけじゃないですか。その時に、「どういう親になりたい」というのを実現するのを、専門職が支えていけばいいよね、というような考え方ですね。なので保育園とかもただ預かるだけじゃなくて、幼児エデュケーターだとか小児看護師だとかがいて、幼児エデュケーターの人たちは親としての役割だったり、親と子どもの愛情あるコミュニケーションだったり、そういったことを学んできてるので、はなから「親だからできるでしょ」といった言ったことを考えられていないということと、子どもが生まれれば母性だとかが出るって事も全く否定されてるので、「自分でやりなさい」じゃなくて、「こうしたいんだったらどうすればいいだろうね?」とやりたい子育て、なりたい親の姿を一緒に探す。「親をすることデスク」っていうのが保健省にあるんですけど、そこのキャッチコピーも「親を描いてみて」です。つまり親教育とかじゃなくて自分がなりたい親っていうのはどんなものか自分で描けるように支えようという考え方です。 [ 専門職の早期対応、評価されている点と批判 ] 質問者: 日本で教育と言った時に、いわゆる教科だったりそういうのがまだ大事にさていて本当にそういう幸福な親子であるみたいなところで今言われたみたいに産んだから親になれるっていうわけじゃないっていうところを学ぶっていうのがないまま親になってなんかこううまくいかないっていうのは、別に保護されてる親子に限らずいっぱいあるなと思っているので、どんなことができてるといいのかなと日々思いながらちょっとフランスのことを聞かせてもらいましたありがとうございます。 安發: 私とかは、保育園の先生にだいぶ叩きのめされて、自分なんてもう全然素人だし、自分のことばっかり考えてて子どものことを優先しない判断をたくさんしてきた、みたいなことを思い知らされて、だから自分がまた間違えるかもしれないからちょっとおかしいなと思ったりしたら相談してみようみたいな感じになってる。専門職だからこそ気付かせてくれて、自分が間違ってたなって思うことがたくさんあったので。例えば児童保護専門医っていうのが保健所にいて、全ての保育園を巡回してるんです。私の利用していた保育園の場合は金曜日の午前中にいつも来るんです。子どもたちの記録や状況を見てるんです。私は子どもがちょっと便秘気味だなとか、ちょっといきむ時に泣いたりするなと思ってたんですが、すごく忙しかったし、そのままになってたんですよ。そうしたら、ちょっとお尻が裂けたのか血が出るようになって、児童保護専門にめちゃくちゃ怒られて、「こんなになるまで放置したのか、赤ちゃんは毎日何回ももしかしたら苦しんでたかもしれないけれど、自分のことじゃないからいいと思ってたの?」と言われて、確かにそうだから、そういったことが何回も積み重なると、何て言うんですか、自分が間違った判断をたくさんしてきたわけなので、話を聞こうと思うし、全く知らない専門職であったとしても、あんまり抵抗感はなくなります。 もちろん批判もありますよ。例えば、3歳から落第もするし、今日も娘を6歳健診に連れて行ったんですけど、学習面とか心理面とかすごいチェックされるんです。私は別に今6歳で 12と21の区別がつかなくてもいいじゃないかって思うんですよ。そのうち8歳9歳とかで大体分かるようになったらいいんじゃないって思うんだけど、向こうはすごく細かく、「医療的にね何歳だったら何ができるはずだ」とかそういう基準があるんです。そしてすぐに、言語訓練士に行ってください心理士のところに行ってくださいと言われる。 娘が一時すごく怒りっぽかった時期があって、怒りっぽかったからと言っても心理士さんのとこ行ったりすると時間もかかるし大変じゃないですか。でも実際に連れていくと心理士さんに「周りのお母さんたちに比べて私がすごく疲れてる」と言う。娘は「自分がすごい悪い子だからママは疲れてるんだろう」と娘は思ってたらしいんですよ。そんなこと親子で話したことがなかったので、心理士さんのところに行って初めて「そう思ってたの」ってわかった。「私が悪い子だからママいつも疲れてんでしょう」って言って、それでフラストレーションからすごく私に怒ってくるっていう状況だったみたいなんですね。 でも話し合って初めてお互い分かることがたくさんあったので、やっぱり最初は行かなきゃいけないのだろうか?と思ったけれど、行って解決して良かったと思うことがたくさんありました。 日本の施設の子どもたちが、18歳で読み書きができないとか、明らかにすごく大変な状況なのに1回も病院に連れてってもらってないとか、そういう子どもたちに日本でたくさん会ったので、それに比べると、すべての子どもの成長をちゃんと確認し、権利を守ろうとしていて、子どもの平等な成長を守るためには意味があるんじゃないかなと思っています。 パボの本の紹介ページはこちらhttps://greenfunding.jp/thousandsofbooks/projects/6908 [...]
2023年02月18日全ての子どもが平等に成長でき、国の未来を作る市民になるためにフランスが努力していること~フランスにモンスターペアレントがいない、イヤイヤ期がない理由とは?~ 参加費:500円申し込み方法:下記URLよりチケットをご購入ください。https://peatix.com/event/3497248主催:幼児教育ラボ〜保育者のための学び場〜 https://peatix.com/event/3497248 [...]
2023年02月14日仲間と戦うフランスの在宅教育支援の専門職たち フランスでは学会や集会のときに笑わせてくれる人を雇い、休憩前や休憩後にみんなで笑う習慣がある。劇団員を呼ぶことが多く、彼らはそれまでの議論の内容をもとにみんなを大笑いさせる寸劇を披露して、参加者をいい気分で次の議論に臨ませてくれる。 在宅教育支援の全国大会は毎年3日間かけて開催され、1200人もの専門職たちが全国から集まる。例えば1つの支援チームが12人で構成されているとしたら、その中から大体毎年2-3人ずつが交代で参加する。もちろんそれは仕事の日数としてカウントされ、交通費や宿泊費、パーティー参加費に至るまで職場で予算が組まれている。大会中は、同じエコバッグに資料を入れ街を歩いているだけで誰にでも声をかけられる特別な期間だ。 「どこで働いているの?」「どんなことが課題?」と、すぐさま語り合える1200人と出会える。連絡先を交換し、「今度遊びに来てね!」「情報交換会しようね!」と言い合えるのだ。全国大会は毎年別の地域で開催するが、主催地域のワーカーたちは1年かけて自分たちで準備する。事務局を外注するわけではない。おもてなしのダンスで迎え、昼食は在宅教育支援の元利用者が経営しているケータリングで、現利用者の職業訓練中の子どもたちが食事を作る。元ワーカーが次々と発表をおこない会場は熱気に包まれる。このワーカーたちの一体感で、みんなで在宅教育支援をもっといいものにしていこう、課題を乗り越えようという気持ちが湧きあがり、自分に仲間が長年いなかったことに気付かされる。仲間がいるからフランスのワーカーたちは戦い続けられるのだろう。 2022年、この会場でみんなを笑わせていたのがパボさんだった。会場の入り口には元ワーカーが作った相互理解を進めるためのゲームや作品などが並び、その一角で『ターラの夢見た家族生活』をパボさんが山積みにしていて、サインを求める列には30人近くが休憩のたびに並んでいた。 「在宅教育支援を描いた漫画があるなんて..」その日は1冊だけ買って帰って読んだ。翌日も大会があるというのに結局夜中の4時まで、ページをめくるごとに笑ったり泣いたりした。ワーカーとしてできることよりできないことの方が多いこと、自分よりずっと賢くたくましい子どもたち、一生懸命やっていても笑われることの方が多いこと、けれど心が触れ合えたような瞬間がたまにあること。子どもと働く素敵な瞬間。ターラちゃんとパボの姿と思い出の子どもたちと心許ないワーカーとしての思い出が交錯する。翌日には出ている残り2冊、デッサン集、持ち金を全部使って買い集めた。 2000年代、当時生活保護を支援するワーカーをしていた私は、日本の生活保護現場でできることに満足がいかなかった。持てるものが少ない国だから成す術がないのではなく、持てるものが多い国なのに困っている人に提供できるものが少ないことが悔しかった。お金があればいくらでも治療法があるのに「あなたにできることはほとんどない」と伝えさせられているように感じていた。日本は国際協力に力を入れていたし、私の働いていた自治体はスポーツの国際大会開催にとてもたくさんのお金を使っていた。私はそれを横目で見ながら、道路に面したマンションの裏にある、陽の当たらない一軒家のわきのブロック道を進み、さらに裏にある、年中水溜りがなくなることのない泥道に囲まれた、外より虫が多く、壁一面カビが生えた家で、病気のお母さんが子どもたちと暮らす家を訪問していた。このような環境しか用意できないのに「元気になって働いてください」と言う福祉だった。 私はついにその後4年近くうつ病になり、精神科病棟に入院した。入院中は生活保護で担当していた利用者さんたちに「安發さん、あのお仕事は大変だよね、大変だったと思うよ、つらかったね」と励まされた。いつも窓口に文句を言いに来て私に怒鳴っていた女性は、夜間それぞれの看護師が何回部屋の前を通ったか知っていて、皆のスリッパの音を聞き分けていた。しょっちゅう入院していてほとんど会う機会のなかった男性は病院での生活の方が長いという。「世界の車窓から」の時間にいつも「安發さん行ったことある場所かもしれないよ」と呼びに来て一緒に見るのを楽しみにしてくれ、退院のときには「ここも甘い思い出になりますように」とピーチネクターをプレゼントしてくれた。 生活保護ワーカーをやめた私は、これまでに会った子どもたちの生き方を多くの人に知らせることで「どんな子どもにも幸せになってほしい」と思ってもらえるのではないかと考え、日本とスイスの施設で暮らす子どもたちのライフヒストリーを本にした。しかし、それでも企業で働く友人たちには「でも、教育の機会があったんだから苦労も乗り越える努力をするべきだったよね」と言われてしまい、関心を集めるには至らなかった。「アフリカの子どもとかは純粋にかわいそうだと思えるけど、日本の困っている人の話は暗くなるから聞きたくないし、むしろ本人や親がどうにかできなかったのだろうかと思う」こんな反応さえも多くあった。フランスでは、生活保護の子どもたち、利用者さんたちに元気になってほしいという話は人を選ばずできるのに、なぜ日本では福祉の話でみんなと盛り上がれないのだろう、なぜみんなは無関心なのだろう……。当時は疑問の答えは出なかった。 うつ病が治り元気が出て2011年に渡仏し、2年かけて大学院に入り、児童保護施設に通うようになった。そこでパリの父や母のような人たちにたくさん出会った。彼らの児童保護や福祉に対する燃えるような情熱は4時間話しても尽きないほどだった。なにより子どもたちが元気になって目をキラキラさせていた。けれど、そのときの私はフランスの学校の仕組みもよくわからない、保健所も日本とはずいぶん役割が違うみたい、と全体の構造を理解するのに3年かかった。さらに、それぞれよりよく知るため毎年100を超える機関や人に会いに行くのに2年を要した。その後、やっとフランスの福祉についてわかってきたと、今度は日本語で発信を始めるが、理解していれば書けるわけではなかった。日本にない概念の説明に苦しんだり、思ってもいなかった解釈をされたり、4年目になる今でもまだまだ四苦八苦している。フランスと比較して日本にとって有益なことを提言できるようになるにはまだ何年もかかるだろう。一方で、12年余り通訳としてさまざまなプロジェクトの成功を影で支える中で、自分自身の成し遂げたいこともいつか成就させたい、このままでは死ぬに死ねないという決意も固まっていった。日本の全ての子どもが幸せな子ども時代を過ごしてほしい、そのヒントがフランスにはたくさんある。まるで求められているとは限らない商品を1人で開発し、生産し、探求するような時間が続いていた。 そんなときに出会ったターラちゃんの漫画は実に衝撃的だった。きっと私が数ヶ月かけて書いてもうまく伝えられているとは限らない論文より、よっぽど日本のワーカーたちの力になるだろう。論文よりずっと『ターラの夢見た家族生活』のようにフランスの現場の哲学や理念や価値がつまったものを訳していった方が日本の後方支援になるだろう。 フランスの福祉だって20年30年前の話を聞くと「子どもの権利」という点では眉を顰めてしまうような話が出てくる。発展というよりも、失敗からの学びと言ってもいいくらいだ。だけど、いまではエデュケーター出身の映画監督、ラジオDJ、ゲーム制作会社社長、そしてパボさんのような漫画家までいて、彼らが世の中にいろいろな手を使って子どもを守ることの素晴らしさを訴え続けている。 私にも戦う方法がある。日本の現場では利用者の人たちの力にほとんどなれないまま戦線離脱した。私には素質がないと思っていた。みんなができることが私にはできず病気になった。けれど、今思えば解決する方法を知らなかったし、解決するための仕組みも十分ではなかった。今の私は、本人の素質の問題ではないと知っている。解決する方法や仕組みを整えることを提案することができる。 自分がワーカーのとき、子どもと隔週で会っても面談という形では十分相談してもらえないままだった。大人たちの車に乗せられるようになり、家には帰らなくなる少女たちもいた。パボさんがマジシャンなわけではないけど、ターラちゃんにとっては「パボがそばにいて、いつでも相談できる」というだけでターラちゃんを取り巻く世界は大きく違ってくる。パボは学校に迎えに行き、一緒にピクニックをして、ターラちゃんの人生の一部を一緒に歩いて支えている。 私が講演などで「信頼できる大人と成長していける仕組みがあれば、子どもの調子が良くなって、親とも協業することができる」と言っても日本の聴衆には「家族のことについて他人に口出しされるのは日本の文化に合わない」と返されることもしばしばだったが、漫画なら姿勢やしぐさ、言葉遣いなども読む人に感じてもらえる。 私はフランスの児童福祉の現場に通い、子どもたちが調子が良くなっていくのに勇気づけられているが、日本で出会った子どももこの制度があればもっと幸せに成長できたのにと、たくさんの子どもたちの顔が脳裏に浮かぶ。私自身もこんな大人がいる中で子ども時代を過ごしたかった。 パボさんは「人生はしたいことを全部するには短すぎる」と言う。私も夢の実現に一番近いことを常にしていたい。私がエンパワメントされたようにこの本は日本の子どもと働く人たちに力を与え、子どもたちをとりまく環境にきっといい風を迎えることになると信じている。私が元気づけられたように、今度は私がこの漫画を日本語翻訳し、皆さんを元気づける側に回りターラちゃんとパボさんの物語を多くの人に届けたいと思っている。 日本の仲間、戦友の皆さんへ 2023年2月14日 安發明子 支援する! [...]
2023年02月14日フランスはなぜ子育て政策に力を入れるのか? 日本で社会的養護の子どもは未成年人口の0.2%、それに対しフランスでは2%もの子どもが対象です。それはフランスで虐待が10倍多いわけではなく、「心配」を基準にすることによって虐待という極端な状況をそもそも防ぐことを目的としているからです。さらに保健省は成人の12%もが未成年のとき継続的な暴力の被害を経験しているとしており、そもそも誰も暴力の被害を経験しないように、経験した子どもは早期にケアを受け良い成長を保障できるように全ての子どもの育ちを守るため学校など子どもの通う機関に子どもの福祉の専門職を配置しています。目的を全ての子どもの教育と福祉とケアが守られることとしています。 日本でもフランスでも福祉の構造は大体同じです。ここでテーマとしている在宅教育支援は日本では市町村子ども家庭支援拠点が担っています。なので新しい仕組みや専門職を提案しているのではありません。同じようにあるものを、あるだけでなく行き届かせること、全ての子どもが幸せに育てるよう制度を生かせるように呼びかけたいというのがこの企画の一つの理由です。 フランスで実施されたSaint-Exという研究(2018)では、4歳までに危険な目に遭い保護された子どもを22年間追跡調査した結果、その後継続的なケアをしても1/4もの子どもは成人しても安定した生活をすることができておらず社会保障に頼る必要がある状況であることがわかっています。これはそれまでに実施されたいくつもの追跡調査と一致しています。1/4は良い経過をたどり、1/2は不安定でありながらも社会保障を頼らない状況、1/4はまだまだケアが足りず社会保障に頼る状況です。虐待が起きてからではその影響はかなり先まで及ぶということです。 一度成長の遅れや心理トラブル起きた子は治療しても後遺症が先々まで残ることがある 保健省の社会問題観察機関IGASによると親を支援することは、子どもが社会的養護が必要になることに比べ9千分の1のコストで済むとしています。パリ市での調査によると、児童相談所によるフォローが必要になると,平均的な支援期間で計算すると在宅教育支援で子ども1人あたり約67万円,施設(里親)入所になると1人平均約2700万円かかります。在宅教育支援は月5時間5万4000円で家族全員に関わることができるのに対し,保護の場合子ども一人あたり月70万円,さらに心理ケアなど治療費や親への支援も別にかかり、長期に渡り保護する必要がある子どももいるからです。 一度保護が必要になった子どもを調べると、重大な経験をしている場合保護してケアをしても回復が難しいことがある それゆえ、経済的な理由も含め、保健省は「親をすることへの支援デスク」をおき、「親をすることは,親としての機能の物理面,心理面,精神面,文化面,社会面といったさまざまな側面を結び生かすプロセスである.どのような家族構造の中においても,子どものケアと成長と教育を保障するために,大人と子どもの関係性に働きかける」としています。「親を支えることで子どもの不登校,精神的な問題,行動障害,注意力不足,暴力,リスクを伴う性行動を防げることが実証されている」 とも報告書に書いています(保健省 2018)。 法律上は社会福祉家族法 CASF Art. L.112-3「親への働きかけをおこなうことの法律」は「家族の持つ資源と子どもの置かれた環境についてまず働きかけをおこなう.親が直面している困難を理解すること,そして状況に適した安心して利用できる支援を紹介すること,紹介だけでなく実行し親が教育的責任を全うできるよう支える」と定めています。 これらの背景が、スクールソーシャルワーカーなどの専門職に費用を割くこと、在宅教育支援で専門職が家庭に定期的に通うことの有効性として共有されています。在宅教育支援が一定時点に支援している子どもは未成年人口の1%ですが、3年以内に終了することが多いので、未成年のうちに経験した子どもは3-5%いると言われています。 パリ市の統計では6-16歳の10%が学校のソーシャルワーカーの継続的支援を受けています(OPPE 2021).また法律で,健康面での不平等をなくすべく,身体面だけでなく,知覚神経,心理面愛情面,神経発達面,言語面での教育省に所属する医師による学校への巡回診察も行うように定めている.さらに,診察だけでなく,学校は教育省に所属する医師と連携して,診察結果適当とされている治療やケアを実現することを求めています(教育法541-1) 不登校についてはどうでしょうか。フランスでは月2日以上の医師の証明のない欠席から県の担当部署に報告し家族も含め対応することになっています。教育省のホームページには学校システムからの早期退出は「高校卒業資格または国が定めた職業資格を得ずに社会に出た者」という定義なのですが、学校システムからの早期退出について(中学校、高校卒業資格をとるのは難しいので日本との違いがあるものの)「⻑期失業、低給料で不安定な就労、健康面、自尊心の低さ、人生の QOL の低さ」のリスクを高めるとしています。本人たちの才能の価値を引き出さないことは社会的な損失であり社会の調和を揺るがすものであるため「現在に投資し、未来のコストを削減する。社会の調和を守る」ための予算が必要と記述されています。学校システムからの早期退出者の国にとっての損失は週 2865 億円(2,3milliards euro)、1 人あたり生涯平均 2740 万円から 2860 万円(220 000-230000euros)社会扶助費がかかる。全体で 1540 億ユーロ(154 milliards dʼeuro)の社会的コストである。それを、5 年間で学校システムからの早期退出者を半数にすることができれば、この半額ものコストを減らすことができるとして専門職による支援の正当性を説明しています。 日本においても、子どもが虐待を経験せず、より良い環境で育つことは経済面以外でもプラスがあると言えないでしょうか。例えば少年院での統計では、家庭内で虐待経験 がある子どもは79.6%、 家族以外の第三者からの暴力等の被害経験は60.1%、第三者からの性的被害経験は男子17.7%、女子61.4%。少年院入所者は被害当時してほしかったこととして、「話を聞いてほしかった」32.1%、「相手を止めてほしかった」29.8%、「つらい体験をしていると気付いてほしかった」28.0%、「逃げられる場所がどこにあるのか教えてほしかった」21.1%、「自分の話を信じてほしかった」15.6%、「かくまってほしかった」15.6%と答えています。(羽間京子、2017、少年在院者の被虐待体験等の被害体験について、矯正教育研究62巻、日本矯正教育学会) 被害者であった子どもたちが大半であることがわかっています。 子どもが幸せに育つことは、より良い社会につながる、みなにとってプラスの働きかけなのです。 日本でも予防は養育支援訪問事業、児童家庭支援センター、市町村子ども家庭総合支援拠点が担っています。フランスの在宅支援、在宅教育支援と同じような役割をしています。ただし例えばパリ市に5つある在宅教育支援機関の1つで、140人のスタッフで1100人の未成年の支援をしていて、県から約10億円の予算を受け取り運営しています。規模も手厚さも大きいです。より良い家族の支えが実現していくためにフランスの支援の方法も一つの検討の視点を与えてくれるのではないかと思っています。フランスの元支援者が書いた本の日本語版出版にご協力お願いいたします。 支援する! [...]
2023年02月11日このコーナーは『ターラの夢見た家族生活』をご支援いただいた方から届いたメッセージと安發のお返事を紹介しています。同じ現象に日本の福祉と、フランスの福祉はそれぞれどのように対応しているのか。 — 互助の活性化を目指している「地域の居場所」ができること フランスでは親族による子育てが難しい時は、エデュケーターという子ども支援の専門家が子どもの養育に関わるそうですね。 私は行政保健師の時に行政ができる限界を感じていました。また仲良しだった祖母の晩年を親族として1人で支えた経験から、地域住民の互助が活発になるように「地域の居場所さっちゃんち」を設立・運営しています。私たちが目指していることは、すでにフランスでは制度化されていることを知り、フランスの福祉をもっと知りたい!と思いました。 日本では、子育ても介護も世帯内あるいは親族内で行うには、限界を感じている方も多いのではないかと思います。そこで、住民が出会う新しい仕掛けを作り、必要な時は助け合える関係性を生み出したく、2016年に存命中の祖母宅でさっちゃんちを始めました。最初は、月1回の英会話サークル、1年後に地元の鎌倉野菜を販売する朝市を追加、さらに2020年からは、火曜・木曜日を家屋と庭を自由に使える自由利用日としました。今では、活動趣旨に賛同して運営のために働いてくださる方(無給のスタッフ)も増え、常時留守番役をしてくださる方や、特技や関心を生かした講座や集まりを開催してくださる方もいて、温かな時間が流れています。 最近、不登校の親の会を主催しているスタッフの1人が、息子さんの小学校の管理職の方に関する考えをnoteに記しました。その管理職の方は、「学校は社会の厳しさに耐える力をつけるための場所。たとえ低学年であっても、辛いことや苦しいことを頑張って乗り越えさせるべきである」というようなお考えをお示しされたそうなのです。スタッフが無力感に苛まれたのはもちろん、私もフランスの子育て支援体制を知った後でしたので、余計に、教育は何を目指しているのか、教育を受ける権利はどう保障するのか、日本において「市民社会」とはどういう意味を持つのか、などと考え込んでしまいました。 現在、スタッフの子どもが在住している自治体では、就学する学校を自由に選択することはできません。子どもが学べる場所の選択肢をもっと増やすべきではないかと思います。さっちゃんちには、教育の専門家はいませんが、棟梁(とうりょう)の叡智が注がれた空間と、自発性を尊重する人たちが紡ぎ出す温かい雰囲気はあります。学ぶ場所の選択肢を増やすために、フランスの支援体制をヒントに、さっちゃんちでも学校に行かれない子どもたちが来やすくなるように準備を始めようとしています。 地域の居場所さっちゃんち スタッフあささんnote — 安發お返事 フランスのある不登校支援校に調査で3年ほど通いました。県の予算で運営していて無料で通え11-18歳の子どもが来ていました。笑ってしまったのは、朝8時半に校門が開くのに8時から寒い歩道でたくさんの子どもたちがおしゃべりをしていることでした。君たち本当に不登校だったことがあるの??好きな学校だったら喜んで行くんですね!ここでは子どもたちは自信をつけ1年半-2年くらいで一般の学校に戻って行っていました。「クラスメイトが兄弟のようで、先生たちが親戚のおじさんおばさんのよう」と言っている子どももいました。 フランスの公立校についても批判的なことはたくさん言われています。子どもたちが勉強で忙しすぎる、少しついていけないだけで特別なプログラムや治療を勧められる.. 一方で、子どもに選ばれる学校でなければならないという考えがあります。 子どもはある程度学校を選択でき、必ずしも学区に限らず自分の希望の学校に通うこともできます。例えば私の区にはインターナショナルセクションがある幼稚学校、小学校があり、フランスの教育と日本の教育と両方受けられるので、学区でなくても勧められました。在宅支援を受けている子どもたちも、特別繊細だったり、小さいとき障害があり遅れがあったり学びに凸凹がある子どもが多くいるので、公立でも9-12人学級の少人数制のところに転校したりする機会にとても調子が良くなる子どもはたくさんいます。 いじめがあると加害者が転校処分になります。3歳から義務教育ですが幼稚学校から公立で全寮制の学校があって、子ども自身が全寮制で週末家に帰る生活を選ぶことも特に10代ではよくあります。 また、どの職業もポストごと採用で、つまり教職員は校長で自分の職場を選んでいます。希望しない限り異動はなく全国どこの学校に勤めることもできます。なので訪問すると校長と職員がチームとしていい学校にしようと取り組んでいる団結力があります。20年近く同じ学校で教えている人気の先生たちがいます。地元の住民も「ここの学校は素晴らしい」と誇りにしています。子どもたちに学校が押し付けられなければ、競争力が働きいい学校にして子どもたちと住民の人気を維持しなければならない。地元のアーティストを呼んで美術の授業をしたりオーケストラを呼んだり。 そして子どもの調子が悪いときは子どもと両親と一緒に方法を探します。家庭を丸ごと支えた方が安心な場合はターラちゃんのように在宅教育支援を受けることもあります。 24万人もの子どもが登校を積極的に選択していない、転換期にできることは何でしょう。子どもたちが生き生き楽しく過ごせる学校を子どもたちと一緒につくること、子どもたちの不調を家族丸ごと支え一緒に解決まで見届けるソーシャルワークなのではないでしょうか。 ーーー 『ターラの夢見た家族生活』はフランスの支援者たちの動き、家族との関わりを具体的に知ることができる本です、是非出版実現のご支援お願い申し上げます。 支援する! [...]
2023年02月10日ターラちゃんの漫画がフランスのソーシャルワーカーたちに知られている理由、それは社会的ニュース週刊誌ASH (actualités sociales hebdomadaires)に掲載されているからです。ASHは福祉事務所、児童相談所、施設、学校のソーシャルワーカー室などソーシャルワーカーがいるところの待合室や休憩室には必ず山積みにされていて、約束前に通されるソファには必ず置いてあるので一般の人でも何気なく手にとる機会のある雑誌です。福祉や社会問題全般を扱っています。私が日本のひきこもりや過労死などについて度々話題を振られるのもこの雑誌が扱ってきているからです。 1955年創刊、約20人のジャーナリストが編集部にいるそうです。年間購読160euro(約2万円)、年間購読契約数は35万件。 パボさんが描いているこの表紙の週は「親戚宅措置という選択」「知的障害、親であることの実践は監視下で」といったテーマを扱っています。最後のページがターラちゃんの漫画1ページです。この週はターラちゃんがお母さんに「いつから幻覚が見えるの?」「鳩と話せるようになったのはいつから?」「幻覚と想像はどう違うんだろう?想像上のお友達がいるかんじ?」と聞いています。 私がフランスで好きなところは、ソーシャルワーカー同士の団結です。13種類もソーシャルな資格があり、分野は医療から子ども高齢障害さまざまです。でも、このASHをみんな毎週読んでいる。職場に食べ物を買ってきてみんなで大きなテーブルを囲んで昼食をとる職場が多いのですが、週のASHの記事が話題になることはよくあります。職員会議の最初にケースに関連ある記事を取り上げ話し合うこともあります。 自分の直接関わりが薄い分野も含め社会問題は自分たちの戦場の状況を伝えるようなもの、社会問題と福祉全体の状況を常に見渡しながら日々の戦いに挑んでいます。ソーシャルワークの目的は社会問題を解決することだからです。 私が特に関心があるのは全ての子どもが幸せに育つための制度整備ですが、現場を知っている人々が力を合わせ、手をつないで大きな動きをつくっていく、社会を良くしていこうという気持ちを世の中に広げていくことをASHのように実現したい気持ちがあります。 支援する! [...]
2023年02月08日このコーナーは『ターラの夢見た家族生活』をご支援いただいた方から届いたメッセージと安發のお返事を紹介しています。日本の福祉現場の状況と、フランスの福祉から得られるのではないかという見識の接点を紹介します。 —- 私が毎月施設を退所した子たちへLINEをしてます。「元気かな?」「コロナはどうかな?」とか「桜が咲いたよ?」とか、季節のことなどを織り交ぜてメッセージを送ります。 そんな中で、昨晩、数年前に退所した中学2年からのお返事でした。 A『あのね、学園にもどりたいよ』 私『何かあったの?誰かに相談できてるの?保健室の先生とか?なんとなく、Aちゃんの苦しそうな感じは伝わってきますよ。誰かいるといいんだけど』 A『あんまり、いない。言ってもあんまり変わらないし、話しにくい。ママがよくわからなくて。Aと彼氏さんとどっちが大事なんだか?冬休みも警察沙汰になってるんだよ。しかもこっちの気持ちもちゃんと言ってるのに平気で彼氏に会ったり、嘘ついて家に帰ってこなくて。少し話聞いてくれてありがとう』 私からは、児童相談所のケースワーカーさんに繋げられたらと思いましたが、Aちゃんに伝えても返事がありません。Aちゃんは引っ越して管轄の児童相談所も施設のときとは変わってしまいました。こんなメッセージのやり取りだけで、私にはこれ以上のことができない立場にいます。このようなSOSがあった場合、なんとかその子が学校の先生等に相談するように仕向けます。これが日本です。 後日 A『心理士の人にたまに話したりするけど、そうすると施設の話が出てきたりするよ。でも 今からまた新しく誰かと関係持っていかないといけないのは嫌 だし、まだ13年しか生きてないけど(笑)、今までで1番楽しかったのは学園にいた時だと思ってるからさ、他のとこに行きたくないんだよね。』 私『学園をそんな風に思ってくれてありがとう。』 A『難しいよね。こんなこと言ってごめん笑』 子どもが守られなくてはなりません。 しかし、今も子どもたちは苦しんでいるのではないかと。Aちゃんは、今日はどうだったのか?今、この時を一生懸命生きていると思いますが、なにもできないことが切ないです。 — 安發お返事 親がいても、学校にいても孤独な子どもたちに、やはり親でも学校でもない児童保護の専門職がいて家庭のことをなんでも話せたらと思います。虐待で悪いのは子どもではありません。親へのケアが十分ではないことです。なので親のケアをしなければ子どもを家に戻せばまた同じ脆さを抱えたままの環境です。心配な状況があったらまず親をケアする。施設か家の二者択一ではなく、必要に応じて1泊から施設などに泊まれ、その間に集中的に親との関係の調整ができるようにする。子どもが「ここに住みたい」と思える場所なのか施設や里親に会いに行って決められることも大事だと思います。せっかく関係性が築けたのであれば県外の施設に戻っても良いのではないでしょうか。子どもの教育と福祉とケアが一番尊重される方法を子どもと一緒に探せたら良いのに。 日本でも何人も同じような女の子に会いました。女の子と連絡がとれなくなったあと、男性宅を転々とする仕事をしたり中学生でキャバクラで働いているという話も聞きました。対応できなかったばかりに、子どもが教育を受ける機会も福祉もケアの機会も、なんと公的機関が奪っていました。今でも子どもが「他に方法ないの?」と言っていた顔が浮かびます。 フランスが好きな理由は必ず解決策を探し出すことです。ベストではなく、「最悪ではない」方法しかないということがあったとしても。けれど必ず何かいい方法を見つけ出し状況が良くなっていくのを見届けることができることが、子どもだけでなく専門職にとっても社会にとっても救いになっているのではないかとも思います。 フランスのエデュケーター国家資格は国の規定で「エデュケーターの職業的姿勢は感情移入、傾聴と親身さを土台とする。相手に合わせるということは相手が必要なときに時間とエネルギーを割くことができるということである」と定めています。このような子どもがいたら家庭を支援できる立場の機関の職員が子どもにとって安心して成長できる場所が見つかるまで見届けてほしいです。日本でもおこなわれている在宅支援、よりよいあり方について話す機会が増えることを願っています。 ーーー 『ターラの夢見た家族生活』はフランスの支援者たちの動き、家族との関わりを具体的に知ることができる本です、是非出版実現のご支援お願い申し上げます。 支援する! [...]
2023年02月08日このコーナーは『ターラの夢見た家族生活』をご支援いただいた方から届いたメッセージと安發のお返事を紹介しています。日本の福祉現場の状況と、フランスの福祉から得られるのではないかという見識の接点を紹介します。 —- 児童養護施設施設長Tさんからのお便り 児童養護施設に勤めています。4歳から18歳の子どもたちが35人施設で生活しています。 児童福祉法の改正で、児童養護施設も小規模化、家庭的養育と言われ、ユニット化しました。1つのユニットに6人定員で、職員は交代制勤務で子どもたちの支援をしています。 お伝えしたいことはたくさんありますが、 子どもたちが満足できる生活とはなにか? 職員が疲弊しないで、子どもたちの支援にあたるためにはどうしたらよいか。 なぜ親元を離れて施設で生活をしているのでしょうか。子どもたちは家庭の中でしっかりしたルールを教わらずに成長してきています。そしてその上で満たされていないのです。何をやっても不満を持った生活となってしまっているのです。 そのため、施設の中で、職員に対して、「うるさい!」「そんなのイヤ」「私のことをわかってくれない」と反抗的となります。その子の背景を考えながら職員は時間をかけて、子どもの気持ちを汲んで子どものことばを受け止めて、説明を繰り返しています。 施設の中で、見本となる子どもがいないところで、子どもたちは自分の悩みを際限なく職員にぶつけてくるため、職員は必死に受け止めていますが、虐待を理由として入所している子は、職員の気持ちを逆撫でしたり、わざと怒らせたりしてしまいます。虐待を理由とする子どもたちの特徴です。若い職員は、相当メンタル的に落ちています。 子どもも素直になり、相手の気持ちを受け止めて、落ち着いて相手との関係を保てるようにするための支援に苦慮してます。ユニットとなり職員が責任を持たされすぎてしまってます。 安發からのお返事 フランスにおいて在宅支援は戦後からおこなわれてきましたが、特に2007年からは「予防」の在宅支援を中心とし、子どもがそもそも被害に遭わないようにするようにしています。 都内では子どもが施設措置されると1人あたり1年で1000万円、地方でも500万円かかると言われています。一方フランスの在宅支援は国家資格を持ったエデュケーターが週一回家族全員に働きかけしても月6万円ほどです。 フランスは分離することは親子にとってデメリットも大きいことから、親子分離は危険がある状態のときに限り原則半年から1年の短期措置しかしないことになっています。もちろん親の精神疾患など状況が許さない場合は延長されます。そもそも子どもが調子を崩すような環境を放置しない、子どもにとって頼れる大人である専門職をおくようにします。子どもにとっては初めて自分の話をしっかり聞いてくれ、自分の価値を認めてくれる人であることもあります。 以下の図はフランスのダニエル・ルソーという小児精神科医が施設措置された子どもたちを20年間に渡り継続調査し発表しているものです。一度被害に遭うととても大きな影響を先々まで残すことを示しています。他にも様々な研究がされていますが、一致しているのは、一度未成年のとき被害者になると1/4は継続的なケアにも関わらず成人後も良い経過に至らず後遺症を抱えているという点です。 図:ダニエル・ルソー小児精神科医、翻訳:安發 全ての子どもが幸せな子ども時代を過ごすことは、より良い社会を築くために重要であり、そのために、支えが必要な時期はしっかり家庭を支えることがもっと重視されてほしいと考えています。 『ターラの夢見た家族生活』は具体的に家族まるごとどのような支えになれるのか、子どもにとって何が力になるのかイメージを刺激してくれるはずです。 支援する! [...]
2023年02月07日精神疾患を抱える母と暮らす8歳のターラは親になかなか頼れない分在宅教育支援のエデュケーターと毎週会い、完璧からは遠い環境の中でも自分の人生を築こうとしている。希望したら施設で暮らせるがターラは気を落とす出来事が度々起こる中でもお母さんと家で暮らしたい。 夏休み、エデュケーターのパボがターラとお母さんをキャンプに連れてきた。「教育的外出」という予算がつく児童保護分野の活動の一つ。親子の絆の補強、日頃お互い抱える葛藤をゆっくり話し合う機会、一緒に過ごす中でエデュケーターと家族の関係性を構築する機会、そして親が計画を立て旅行を実施できないときに家族が文化的活動を実施できる機会。 パボが親としての役割としてできることを母と話すシーンが度々出てきます。 そして翌日まだ昨日の出来事についてがっかりしているターラの隣に座ります。支援者は言葉だけではないことを表したページです。 エデュケーターについて国のガイドラインには「 エデュケーターの職業的姿勢は感情移入、傾聴と親身さを土台とする。相手に合わせるということは相手が必要なときに時間とエネルギーを割くことができるということである」と書いている。 (出版の際はタイプで打った文章、スキャンではなく美しい原画をもとに作成いたします、今回お見せするのは安發がさしあたり手作りで作った日本語版です) 支援する! [...]
2023年01月30日2023年1月27日『ターラの夢見た家族生活』原作者トークライブ内容 安發自己紹介: 私は日本で生活保護のワーカーをしていました。その時に母子家庭が多かったんですけれども、子供たちの状態があまり良くなっていかないことについて、フランスだったらもっとこんなことができたのにというようなことがたくさんあって、10年前よりフランスでフランスの子ども家庭福祉について勉強したり現場に通ってフランスの支援方法を日本に伝えようとしてきました。でも、書いたり口で説明してもなかなか伝わらないような気持ちもあって、この漫画を日本語版で紹介して、どのようにエデュケーターの人たちが家庭を支えてるんだよ、子供のことだけではなくて親の力にもなることができるんだよっていうことを伝えたいと思っています。今80人の方にご支援いただきました、どうもありがとうございます。こちら先行予約が出版に必要な費用の100%集まったら出版できるというものです。ぜひ読んでみたいという方、ご支援いただけるとありがたいです。 原作者パボさん自己紹介: 20年間エディケーターとして働き、今は漫画家をしています。 安發: エデュケーターというのはソーシャルワーカーの資格の一つで、ソーシャルワーカーの資格がフランスに13種類国家資格がある中でエデュケーターは児童保護と障害、成人の自立支援の分野を3年間かけて学んで国家資格を受けます。 パボさんはまず施設で働いてその後在宅支援といった形で親子を支える仕事をしてきました。 進行松岡: ターラちゃんはすごく大人びていますよね。 安發: 8歳なのですが、お母さんを頼れない代わりに、このエデュケーターがいることでお母さんに言えない悩みだったりお母さんとのことで困ってることだったりを話すことができるというシーンが出てきますね。 松岡: エデュケーターというと教育というイメージがあって、こうしなさいっていう立場の人かな、というふうに思ったんですけど、そうではないんですね。 パボ: ああしなさいこうしなさいで済めばいいんですけれど、そうではなくて実はもっと複雑、あれをしなさいこれをしなさいと人間に言ってうまくいくものではないからです。 関係性について私たちは関わっていきます。つまり親と子どもと一緒に、どういう方向で親子の関係性が変化していけばいいかということについて親子と一緒に探します。何かしら子どもが困難を抱えている家庭に入るので、子どもが困難を抱えているというのは何か家庭の中でうまくいってないことがある、不満なことがある、そういった時に家族のそれぞれがみんなより過ごしやすくなるために私たちが入っていきます。 安發: 私は在宅教育支援の調査をしているのですが、ほとんどの子どもが、学校で例えば勉強に遅れがあったり、学校でうまくいかないことがあるといったことを理由に在宅教育支援という親も子も支える支援が始まっています。 松岡: パボさんはどうしてエデュケーターになろうと思ったか教えていただけますか? パボ: 最初は中学校高校の歴史の教師をしていたんですけれど、その時にそのうまくいってる生徒たちにとっては自分を特に必要としていない、必ずしも自分じゃなくていいんじゃないかと思う部分があった。一方で学校でうまくいってない生徒たちにとっては週3回授業するぐらいでその生徒たちの力になることができないと感じていた。その子どもたちが抱えてる問題というのは勉強に取り組めないとか学校に来るのが辛いとか、それよりもずっと広いことで、そして家について悩みを抱えてることが多かったからです。子どもが抱えている悩み全体に取り組むには、学校でできることはとても限られている。学校というのは子どもがうまくいっていないことがある、その症状が目に見える形で現れる場であっても、それを解決するための場は学校ではないと感じていました。 歴史の先生をしたあと大学に4 年間戻りエデュケーター国家資格の勉強をし直して、今度は被害にあっていたり危険に瀕している未成年を対象とする児童保護の世界で働くようになりました。 人間というものをもっと包括的に捉えたいと思いました。人間というのは生物学な面だけではなく心理面そして社会面その3つから成り立ってるわけです。その社会の部分は人間関係です。私は人間科学をアクションに移すということがエデュケーターの仕事であると考えています。人間科学というのは歴史や人類学や社会学、哲学、そういったものが全て合わさった中で、人間が不幸になったり人間が加害者になったり被害者になったりしているわけです。なので、そういった「うまくいかないことがある」「うまくいかないことがあってこの子どもがその症状を発している」としたら、人間科学でその子どものためにできることは何だろうかということに取り組むのがエデュケーターだと考えています。 松岡: エデュケーターはどういう家庭に派遣されるのですか?一人で何家庭を担当しますか? 安發: 私の調査から言うと、支援最初のきっかけは学校ということが多く、例えば夫婦喧嘩の声が聞こえたっていう通報がきっかけであったとしても、学校で子どもの調子が悪いということがわかると支援の対象になるということが多いです。例えばレゴで遊ぶ時にいつも「助けてー!」と叫んでいる人がいて、誰か助けに行くという遊びをしているということが支援開始のきっかけだった子どもがいました。エデュケーター一人で子ども26人と県で決まっているので兄弟がいたりするから1人十数家庭を担当することが多いです。私は同じ家族を継続的に2年間近く調査してるのですが、1年半から2年ぐらいで支援が終わる家庭が多い一方で、もっと長期間、例えば親の精神疾患が改善しないなど長期間支援が必要な家庭もいます。 在宅教育支援は親が希望して、例えば子どものことで手を焼いていますとか子どもが反抗期でうまく関係性が築けませんとか、別れた両親の関係性が良くなくてそのことを子どもが気に病んでるけどうまく子どもと話せませんとかそういう場合もあります。 ターラちゃんが受けているのは、親が望んだわけではなく、子ども専門裁判官という児童保護を専門とする裁判官が、今の状況では子どもの権利、子どもの安全や健康が守られていないから在宅教育支援を命令しますと裁判官の命令によって始まっている支援です。そして 1年後に、支援の結果改善したかどうか確認します。 子どもは現在、危険な状況ではないけれども、心配な状況で、しかし危険な状況まで放置してしまったとしたら子どもを親元から離して施設だったり里親だったりに措置しなければいけなくなるので、そうではなく、親子の状況をもっと良くすることができないか、子どもの状況を改善させようということで在宅教育支援が始まります。もちろん親は最初は望んだわけではないので難しいのですが、信頼関係を築くためにエデュケーターの人たちが、私たちが何かを批判したり、罰するためにいるわけではありませんと、親のことも子どものこともその支えるためにいるんですっていうことを伝える必要があります。 パボ: 支援の方法はオーダーメイドです、家族によって、暴力的な父親だったり、すごく優しいけれど子どものことにうまく取り組めていない親というのでは違います。中には子どもに対して暴力的な言葉を使う親もいますし、アルコールの問題がある親、精神疾患の被害に遭っている親、そういった状況があると、子どもにとっては世の中、外の世界とつながっていくことに難しさが出てしまいます。例えば子どもが学校に行かないということについて親がどういうふうに対応すればいいかわからない、これも「危険」として私たちは捉えます。なぜかというと、子どもの将来を危険にさらすような状況だからです。子どもが学校に行けるだけ十分安心できるためにはどのような準備が必要なのか親と一緒に探します。「親をすることの支援」といった言い方をします。そして1年後にまた子ども専門裁判官のところに「これから先まだ在宅教育支援を継続する必要があるのかどうなのか」と話しに行くのですが、いい仕事ができた時にはほとんどの親が「あと1年お願いします」と、最初は望んでいなかった親だったとしても、エデュケーターがいることが家庭にとって危険ではなくて、親としての役割を補強してくれる存在なんだということが伝わって「もう1年お願いします」と言ってもらえることが多いです。 松岡: ターラちゃんは学校に行っていますか?学校に行けていない状態なのでエディケーターが入るのでしょうか? 安發: フランスの場合は月2 日以上学校を休むともう不登校の扱いで親子共に、状況を確認して 支援しなければいけない、また全寮制の学校に入るか施設から学校に通うか検討されます。 ターラちゃんの場合は、お母さんが幻覚が見えるということで、かなり小さいうちから施設措置されていて、そして家に帰るにあたって、お母さんに精神疾患があるので、2人で暮らしていくには心配があるから在宅教育支援という条件つきで家に帰っていいよと施設から出られたという状況です。 松岡: 学校制度についての質問で、日本の学校制度はかなり画一的で学校に行くことでとても狭い価値観を植え付けられていますがフランスの学校制度に日本の学校のような課題はないのでしょうか? 安發: 学校はすごく厳しくて3歳から義務教育なのですが、その学年の内容を履修できていないと落第してしまいます、なので、学校で落ち着きがないとか宿題ができていなかったとかそういうことについて早いうちから専門職が入っていきます。 パボ: 義務教育は16歳までなので、16歳までは学校に行きます。もし一般的な学校が合わない場合は職業コースの方を勧めてその子どもに合った学び、例えば高校の職業科など、その子どもに合った教育が何なのか探します。どのような集団の学びにも合わなかったとしたら、その家庭に誰かが通って教えるというような形もありますけれど、それは非常に極端な話です。ただ不登校という現象は日本に比べてそういう症状を示す子どもはフランスは少ないのではないか。一方で学校で反抗するような子どもはいます。一日中座って話を聞くことについて十分教えてもらうような機会がなかったら、そういうことができなくて反抗的な態度に出るということもあるからです。エディケーターの仕事としては学校に行って学校の様子を聞くということもありますけれども、中心的な仕事は学校のことではありません。 安發: 私自身が調査の中で、例えば学校でいつも笑いを取りにいって授業を妨害する子どもがいました。でもエデュケーターが、お母さんがちゃんと病院に通ってお母さんの調子が良くなるように介助の人が毎週病院に連れて行くということを手配したらもう授業中に笑いを取るような行動をしなくなり、子どもについての心配はなくなったということもありました。そういった意味で、家庭の状況を良くしたら子どもの症状は改善するという考え方がフランスではされていると思います。 松岡: エデュケーターは公務員ですか?という質問も来ているのでその後続けてエデュケーターの仕事を説明していただきます。 パボ: エデュケーターの仕事というのは、どのようなメソッドを使えばいい教育ができるというようなものではありません。テクニシャンではありません。アドバイスをすることはできます。しかし、私たちが対象にしているような子どもたちは暴力の被害を経験していたりトラウマがあったり、でもその起きていることについて理解できないというような状況にいる子どもが多いです。なぜかというと、子どもは自分の親は、両親のことは好きなわけです。人間の子どもは20年間は親のことを愛せないと独り立ちできないわけで、親のことを愛する気持ちがないと生きていけないわけです。なのにもしその両親が暴力的だったりした時に、その自分が愛する両親から身を守るということがどういうことなのか、考えが整理がつかないということがあります。なので、私が大事だと感じるのは、その子どもにとって自分の人生がどういったものなのか、その説明を自分で見つけ出すということです。 安發: エデュケーターは児童相談所など公務員として働くこともありますけれども、在宅教育支援というのは民間団体です。 公務員のソーシャルワーカーは必要なケアをコーディネートする係で、民間団体にいるエデュケーターやソーシャルワーカーの人たちがより専門性のある継続的な支援を提供します。公的機関から委託をされて、施設や里親や在宅教育支援サービスを民間団体が県のお金で実施します。 パボ: 親にとっても子どもにとっても、人間にとって難しいのは、理解ができないことです。例えば自分の子どもがなぜ家から出ないのか、なぜ学校に行かないのかっていうことが理解できない、または子どもが親のことを理解できない。「うちの子は普通じゃないのか」「親がこういう行動を取るのは何でだろう」ということが理解できないことはすごく難しいことです。子どもが学校に行けない場合はエデュケーターが一緒になんで学校に行けないんだろうと考えます。自信がないのか、それとも彼自身に何ができる、彼にどんな価値があるといったことを十分支えてもらうことができていなかったのか、自分に何ができるということについて自信を持つような機会が十分なかったのか。 私たちがまずすることは親がどのように自分の子どもを見ているのかということ、子どもがどのように自分の親を見ているのかということについて働きかけをしていくことです。子どもはよく親との関係がうまくいかないのは自分のせいだと考えます。子どもは親のことが好きなので、自分のせいでこうなった、うまくいかないんだと考え、自分をより苦しめるような行動をとります。それが不登校だったり引きこもることだったり自殺だったりするわけなんですけれど、これから先、親が新しく人生を生き直す、子ども自身も新しく生き直すためにはこの親が子どもを見る目線、子どもが親を見る目線ということについて働きかけて変えていく必要があります。変えていく中で、これまで起きていたことについて違った態度をとり、違った姿勢で生きていくことができるようになるからです。やり直しをこれまでと違った形でしていくことができるからです。そのためには自分自身が変わるという こと、関係性を変えるということが「許可される」状況にしなければいけません。私たちが「こうあるべき」ではなくて、親自身そして子ども自身が「どのようになりたいのか」っていうことを実現するための力をつけていけるように支えるということがエデュケーターの仕事です。 パボ: エデュケーターにとっては何が真実か知ることではなく、その子ども自身、親自身にとってそのライフストーリーと共に生きていくことができるという自分の歴史のストーリーを一緒に作ることです。なので最初その家族にとっては「めんどくさい」と思われるのは、「さあ皆さんテーブルの周りに集まって座ってください、たくさんの質問をお互いにしてください、それに答えてください」っていうようなことをします。中に子どもが何で親がこの家族を作ろうと思ったのか、自分が生まれたのは望まれて生まれているのかそれともなんとなくこうなったのか、そういったことさえ何も知らない子どもたちがいます。日本文化の中では羞恥心だとか、起きたことについて、あまり都合がいいことではない場合は話さないといったことも文化としてあるのではないかと私は思っているんですけれど、サイレンスつまり話さないということは、結果的に加害者を守り被害者を守らないということが多いです。誰も何も言わない状況で弱い人は耐え続けていて、危険にさらされ続けるということが起きる。誰も話さない、うまくいってないことがあることについて話さない結果、子どもが学校で症状として、例えば学校に行かない、学校で勉強に取り組むことができない、そういった症状を示します。私たちエデュケーターが子どもと親の心の、お水がいっぱいになってしまった花瓶を、一度お水を流して空っぽにする、溢れ出ないようにすることができます。自分の人生について理解することができる、なんで親が暴力的なのか、それは親自身が暴力的な環境で育ったのか、それとも何かすごく嫌なことがあったのか、そういったことを理解することができるということが安心感につながるからです(自分が悪い子どもだったから暴力的な態度をとられたわけではないとわかる)。 松岡: 日本では虐待のケースに介入する支援に入るというとエスカレートしてしまうケースがよくあるということで、フランスではエデュケーターが家庭に入ることで一時的にでも虐待がエスカレートしてしまうことはないのですか。 パボ: おそらく日本の家庭を支援してる人たちにどうしてより暴力がエスカレートすることがあるのかということを聞いてみる必要があるというふうに思う。エデュケーターは家庭に対し敬意を示し、家庭のことを守ろうとしているのに、その反対の反応が起きるのはなぜなのか。もしかしたら日本では家族の誇りという考え方があるかもしれない。 フランスの場合は革命の時に王様の首を切ったっていうこともあって「難しいことがあったりうまくいってないことがあったとしたら、そのことについて話さないと」といった考え方はあります。最初父親が怒ったり泣いたりというようなことはありますけれども、子どもが外、路上で被害に遭うよりも、家庭内で暴力に遭うことの方が多いわけなので、親が怒るからと言って入らないわけにはいきません。父親が怒ったりすることがあったとしても、私たちは子どものために動いてます。子どもがもしかしたら危険な状況にあるかもしれないのに、怒らせるから行かないという選択はできません。もしそれで子どもの状況がより危険にさらされるようなことがあるとしたら、それは裁判官が子どもを家庭から離すということを検討しなければいけません。ただ、私たちが在宅教育支援という形で入っていくのは子どもが家で暮らし続けることができるように問題解決するということを裁判官から頼まれたからです。 パボ: フランス人に自分の漫画が読まれていることだけでもすごく驚いてるのに、日本人にまで読まれるかもしれないというのは、すごく自分にとって大きな冒険で、特にこの小さなキャラクターが日本の人に読んでもらえるというのは驚きなんですけれども、アーティストとしては、エデュケーターという仕事についていなければ、私たちは似ているような人と出会う機会が大半なのですが、エデュケーターは自分とは全く違った人に出会う機会があるとても素晴らしい仕事です。社会のために戦っていくっていうことについても、エデュケーターの仕事はとても大事な学校だと感じています。違いを受け入れ合うだとか、誰もが弱みを持っているわけで、お互いの弱みを互いに受け入れ合うということについても、素晴らしい 職業だと感じています。そして誰かに助けを求めるというのは一番勇気がいることです。そういったことについてもエデュケーターという仕事はとても素敵な仕事だと感じています。 安發: 質問の中に離れて暮らしたい子どももいるんじゃないかということについて、フランスの場合は離れて暮らしたいと言ったその日から離れて暮らすことができるので、離れて暮らしたくないけれど家庭で難しい状況だという時のこの支援があります。エデュケーターはもともと戦後に仕事帰りにいわゆる浮浪児ですね、メトロの出口にたまっているような子ども若者たちを社会人ボランティアグループが家に連れて帰ってお風呂に入らせて家に寝泊まりさせて近くの商店とかで仕事を与えたりしていた。そんな中で子ども専門裁判官と小児精神科医の人たちが少年院の中だったり精神病院の中ではなくて地域にいるにうちに子どもたちを支えるべきだと主張し国にこのエデュケーターの仕事の必要性を伝えたという経緯がありました。私は日本でワーカーをしていた時に、してあげたかったけれどもできなかった、ということがすごく多かったり、子どもたちに「他に何もないの」って言われたことがあったり、日本で十分できなかったことがたくさんあって、後方支援と思ってフランスのこういった「いいアイデアがある」といったことを発信していきたいと活動しています。今回の企画についても、これからもフランスの支援について私自身が話すような機会などホームページにアップしていきますのでこれからもご支援どうぞよろしくお願いいたします。日本もみんなみんなが手を取り合っていけば、すごくいろんなことが改善していくん じゃないかと思っています。 支援する! 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2023年01月30日27日に実施したオンラインイベントは既に500回視聴されていて関心の高さを感じています 27日に実施したオンラインイベントは既に500回視聴されていて関心の高さを感じています この内容は5日夜まで視聴可能です ご支援も21%に到達しました。口コミが一番効果があるそうなので、どうかたくさん話題にしてください。 トークライブの質問の回答 エデュケーターの仕事について: エデュケーターは1948年よりある資格です。 公的機関はコーディネート役、民間機関が専門的な支援を実施します。パリ市では5つ在宅教育支援を実施している民間機関があって、県から子どもごとに委託費が支払われます。私の調査先機関ではパリ市と近郊で900人の従業員で一年に1万1000人の子どもを支援しています。 家庭の生活レベルではなく児童保護の「予防」目的で市民法375条「子どもの健康、安全、精神面が危険やリスクにさらされているか、子どもの教育的、身体的、情緒的、知的、社会的発達状況が危険やリスクにさらされている場合」において「心配やリスク」がある子どもが対象です。「危険」がある場合は保護の対象になります。親や環境ではなく「子どもの状態」、子どもの権利が守られていることを確かにしようとしています。7割が子ども専門裁判官という裁判官資格の上に2年間児童保護と非行の専門訓練を受けている裁判官の命令で支援が決定します。非行の場合は非行分野の在宅教育支援エデュケーターがいます。支援命令が出ているのに支援を無視する親がいたとしたら、子どもを守ることができないので保護することも考えられますが、説明すれば支援が子どもにとってより良い状況を作るためと理解されるので実際に無視するようなケースは見たことがありません。子ども自身がエデュケーターに出会い、この家では難しいから全寮制の学校に入りたいと言うことは多くあります。また、母は毎日相談の電話をするくらいエデュケーターを頼るようになっても父とは連絡がとれなくなるということも残念ながらあります。 学校からの「心配」な判断が契機であることが多く、夫婦喧嘩の通報など他の契機であっても、学校で心配があれば支援の対象となります。学習の遅れや心配な行動などです。 エデュケーターは1人で子ども26人、約十数家庭を担当しますが、2-3人担当者がつくことも多くあり、さらに多職種チームで家族を担当します。例えば1つのチームを構成するのはエデュケーターを中心に、ソーシャルワーカー、社会家庭専門員、学習エデュケーター、幼児エデュケーター、心理士2人(週2日)、小児精神科医(週1日)、異文化メディエーター(週1日)といった具合です。方針はチームで決定します。家族にとっても内容によって話しやすい相手がいたり1人の担当との相性に左右されずに済みます。 1年ごとに状況の再検討がおこなわれ、7割は3年以内に終了すると言われています。 Q:日本にエデュケーター制度がないことについてどう思いますか →日本はソーシャルワーカーになんでも解決できることが求められていますが、フランスではソーシャルワーカーに13職種あり、3年間1週間現場実習1週間論理という学びを積み重ねても実際現場に出ると現場ごとに利用者が必要とする専門的知識や技術は異なるので、最初の年は7-8種類研修を受けることが必要になります。医療で例えると実際はかかりつけ医だけでなく専門医が必要な分野だと思うので、専門性について日本も見直す必要があり、かついくつもの専門職によるチーム対応も重要であると考えます。さらに、実際毎週一緒に時間を過ごす中でしか家庭内のダイナミズムを変えていくのは難しいということも検討されてほしいです。 Q: エデュケーターは、どんな「職種の人」「(国家)資格を持つ人」と連携をとりながら、職務を進めていきますか? →例えば精神疾患のお母さんと娘の周りにはこのようなコーディネートがされていました。 エデュケーターについての記事 路上エデュケーター ネットエデュケーター シェルター シェルターと親支援 在宅教育支援についての記事 ある家庭への在宅教育支援の例 学校について: 3才から16才が義務教育で3才から落第があります。義務教育機関は教育とケアと福祉が全ての子どもに行き届いていることを保障する期間と位置付けており、その役割を専門職に担わせています。ただ、学区の学校に限らず子どもに合った場所を探すという柔軟な方法もとられています。 学校についての記事 1 学校についての記事 2 学校についての記事 3 発達段階に合わせ国で用意している仕組み 他: Q: 一時的にでも虐待がエスカレートしてしまうことは無いのでしょうか?もし、そのようなケースがある場合には、どのような対応になるのでしょうか? →児童保護分野の支援であるゆえ、電話でいつでも子ども専門裁判官とやりとりできる状況にあります。危険があれば即日保護されます。専門職は「親のことを支えたいと思っている」ことがちゃんと伝われば、どの親も子どもにはより良い成長をしてほしいと思っているので協力体制を築けると言われています。パボさんも最初は親が望んで支援が開始するわけではないが一年後の裁判では親の方から「あと一年お願いしたい」と言ってもらえると話していました。虐待は「望んでしているわけではないけれど他に方法がとれないくらい行き詰まっている」という状況なので、親の優先順位通りに一つずつ解決を手伝います。大家さんともめている、家の水漏れが解決しない、歯の治療をしなければいけないけど手続きができていない等.. こちらのリンクご覧ください Q: 子ども自身が、エデュケーターに親から離れて暮らしたい、ということはありませんか?「子どもが親を愛するもの」というのは幸せな家庭に育った人が決めつけている、という考えはないのでしょうか? →未成年が望めば即日保護されます。実際10代は子ども自身が希望する場合の方が多いです。在宅教育支援の途中に保護を希望する子どももいます。親に対する気持ちの整理をエデュケーターが手伝います。パボさんによると未成年で親とうまくいってほしいと願わない子どもはいないのではないかということです。 Q : 「親としての役割を保証してくれる」その横にエデュケーターがいるというのが、印象的でした。3歳以前の子ども達への配慮はまた違う方々が行っているのでしょうか? →在宅教育支援は学齢期である3才以上であることが多いです。それは、3才未満は保健所にあたる組織が家庭への定期的な支援や、社会家庭専門員という「家事支援+家庭支援+ソーシャルワーク」をおこなう専門職を週2時間x2回など派遣したりもしているからです。 Q : 先ほどのお話にあった民間団体とは、例えば、NPOのような組織ですか? →フランスではアソシエーションという組織が担います。利益の分配以外の目的のためにその有する知識と活動を共同のものとするグループと規定されています。 NPOとの違い (clair HPより引用) 契約性1901年法は、アソシアシオンを「制度」としてではなく、諸個人の意志の合致である「契約」として捉えた。従ってアソシアシオンは、最低2名の構成員で設立することができる。ドイツの登録非営利社団が最低でも7名以上、ベルギーやルクセンブルグでも3名以上の構成員を必要としており、この個人主義的な組合的構成の貫徹は、1901年法の重要な特徴の一つであると言える。日本のNPO法人は、10人以上の社員が必要である(NPO法第12条第1項第4号)。 非営利性・利得の不分配アソシアシオンは、その事業による収益を構成員の間で分配することができない。しかし、その本来的な目的追求のために、手段として収益を目的とする経済活動を行うことはできる。またアソシアシオンの目的は公益に関連している必要はなく、構成員の共益のみを目的とした団体もアソシアシオンである。従って、活動内容に関する規定は存在せず、公序に反しない限りいかなる目的のアソシアシオンを結成することも可能である。これに対して日本のNPO法人は、営利を目的とせず、不特定かつ多数のものの利益の増進に寄与することを目的としている(NPO法第2条)。また活動内容は、法別表に掲げられた16の活動及び団体の運営又は活動に関する連絡、助言又は援助の活動とされている。これらの活動に係る事業に支障がない限りにおいては、「その他の事業」を行うことができ、この場合において収益を生じたときは、これを本来の活動に係る事業のために使用しなければならない(NPO法第5条)。 知識・活動の共有アソシアシオンは、知識・活動を共有することによって、ある目的を達成するために設立される。その目的達成のためには、物質的手段・資源も必要となることがあるが、財産の所有はアソシアシオンにとって必要条件ではなく、知識・活動の共有を通じた人的な結びつきによって、その目的を達成するということに重点が置かれている。この点は税法上も反映されており、優遇措置の基準として法人格そのものよりも活動目的が優先される。 アソシアシオン契約に関する1901年7月1日法(Loi du 1er juillet 1901 relative au contrat d’association) http://www.clair.or.jp/j/forum/pub/docs/344.pdf Q: 日本では何かしらの福祉の支援を受けることに対してスティグマが強く、支援を拒否したり、隠したり、困っていても助けてと言えない雰囲気があると思いますが、フランスでは、何かしらの福祉支援を受けることに対するスティグマ、ハードルは日本より低いでしょうか? →転居したらかかりつけ医とソーシャルワーカーにまず会って安心という人はいますが、高所得層は困っても福祉事務所や児相に相談するのではなく優秀な家庭教師を雇ったりするそうです。地方では特に、家庭教師よりは国家資格のあるエデュケーターを個人的に雇って自分たちの子どもの教育を任せている親がいるという話も聞きます。 パボさんの話で印象的だったのが、在宅教育支援のエデュケーターは家族にとっては新しい親戚のおじさんができたようなかんじであり、エデュケーターができることは「子どものことを好きになる、そして親のことを好きになること。そこから愛が広がっていく」と言っていたことでした。エデュケーターの養成学校でも何度も「子どもを親を大好きでい続けることが第一」「自分に何ができるか聞く」と教わったのを思い出しました。 支援する! [...]
2022年10月05日Au Japon, l’accouchement sous secret n’est pas inscrit dans les mœurs. Cette année, un hôpital a reçu des femmes qui souhaitent accoucher sous secret, ce qui a conduit le Ministère de la santé et le Ministère de la justice à publier un premier document relatif à cette question, “Protocole en cas d’accouchement si la mère ne choisit de ne pas communiquer son nom à l’ensemble des services” le 30 septembre 2022. Voici quelques commentaires : Point positif 1° : L’État ne recommande pas l’accouchement sous secret. Cependant, il a permis la rédaction des dossiers avec un pseudonyme, ainsi que la possibilité de rédiger un acte de naissance de ces enfants sans parents. Point positif 2° : Ces enfants seront orientés vers un processus d’adoption, et il y a une liste de 23 institutions privées qui encadrent ces adoptions. Donc l’enfant ne sera pas pris en charge par l’ASE (Aide Sociale à l’Enfance), ne va pas y rester pour une durée trop longue et il n’y aura pas de recherches réalisées pour connaître les grand-parents du bébé. Manque 1° : Il n’y a pas de mention sur le besoin d’aide de ces femmes, ni aucune indication pour les renseigner sur les aides existantes. À aucun endroit, le soutien psychologique ou social de la femme n’est évoqué. Manque 2° : Qui prendra en charge les frais hospitaliers et de l’accouchement (environ 4000€) ? Qu’est-ce que les hôpitaux doivent garder en tant qu’informations nécessaires sur les parents ? Il devrait avoir une règlementation sur la gestion de ces données. Qui va faire le suivi de ces enfants accueillis chez la famille adoptive ? Risque : En 10 pages, le mot “persuader” revient à 15 reprises : le personnel de l’hôpital doit persuader les femmes de donner leur identité. Les hôpitaux peuvent comprendre que l’accouchement sous secret est une pratique déconseillée par l’Etat, et donc être incités à persuader les femmes de donner leur identité. Cela peut provoquer une situation difficile pour les femmes. Il est écrit que dans une optique de laisser la possibilité à l’enfant de connaître ses origines, et pour aider la femme et l’enfant, il faut tenter de persuader les femmes de donner leur identité. Pour obtenir l’information de l’identité de la mère, plusieurs personnes peuvent faire pression : non seulement le personnel hospitalier, mais aussi le personnel du département, par exemple.Cette année, un cas s’est présenté d’une femme qui a souhaité garder le secret lié à la maltraitance subi par ses parents, contrairement à l’hôpital qui a expliqué à la femme que ses informations identitaires seront réservées exclusivement à son enfant et en cas de demande, l’ASE a mené des enquêtes pour retrouver les grand-parents de ce bébé, niant le souhait de la femme. Les données censées être confidentielles ne le sont en fait pas, la problématique du traitement de données de manière confidentielle n’étant pas du tout réglementée.Le nouveau guide est publié avec un intérêt de contrôle pour que cette pratique reste minoritaire : cela fait peser l’opération sur l’hôpital et ne constitue pas une proposition ouverte, neutre, à l’attention des femmes. L’hôpital doit en effet prendre en charge toute la procédure, y compris la tenue des dossiers des femmes et faire la liaison entre les femmes et l’enfant pour une longue durée. Cette actualité illustre le manque de soutien avant l’accouchement au Japon. Contraception : Les recherches montrent que c’est le préservatif qui est utilisé dans 82% des cas, contre 4,2% pour la pilule. L’accès à cette dernière n’est pas simple : la consultation chez le gynécologue revient à 50€ en moyenne, il faut pouvoir faire valoir d’un justificatif de la sécurité sociale, la pilule revient à environ 24€ par mois…etc. La pilule de lendemain est encore plus difficile d’accès.Avortement : il faut la signature du père du bébé et pour les mineurs celles des parents, et l’opération coûte environ 1200-2000€. Seul l’avortement chirugical est possible. C’est pourtant un cas fréquent que le père disparaîsse après la nouvelle de la grosse, et que la femme se retrouve seule sans les ressources suffisantes pour régler cette somme. Protection de l’enfance : en France, 1% des enfants vivent séparés de leur famille dans le cadre de la protection de l’enfance. Au Japon, c’est seulement 0,2%. Comme la loi dit que la protection est applicable seulement dans le cas de maltraitance grave, il faut que ça soit prouvé et comme il n’y a pas de Juge des enfants, cela implique une négociation avec les parents. En réalité, cela conduit à une situation où un certain nombre d’enfants sont maltraités sans pouvoir être protégés. Beaucoup d’entre eux se refugient dans l’industrie du sexe et deviennent l’objet de pratiques risquées. Pour les majeures aussi, comme il est difficile de bénéficier du service social, elles peuvent être dirigées vers l’industrie du sexe. Le métier le plus “choisi” des sortants de l’ASE est aussi ce secteur. Consultation pendant la grossesse : elle coûte environ 100€ chaque mois, et si on ne consulte pas de manière régulière, les hôpitaux refusent d’accueillir la future mère. L’accouchement coût environ 4000€. Conclusion : Si la femme a le sentiment d’être respectée dans ses décisions, elle pourra retourner demander de l’aide, mais si le message qu’on lui transmet est qu’on ne respecte pas son souhait, la perspective d’accès aux aides sera nulle.Même si les femmes refusent de donner leur identité, elle devraient être éligibles à toutes les aides.L’information que l’enfant souhaite dans le futur n’est pas juste les informations identitaires : en France, tout un corpus d’informations sont collectées et mises sous scellées, à la disposition de l’enfant seul et sur sa demande uniquement. Au Japon, seule l’identitée concentre l’attention, et même cette unique information n’est pas protégée.Cette problématique doit être traitée en plusieurs étapes qui précédent l’accouchement. #accouchementsousx #japon #travailsocial #protectiondelenfance https://www.mhlw.go.jp/content/000995585.pdf [...]
2022年10月03日Au Japon, cette année, un hôpital privé catholique a commencé à accueillir des femmes enceintes qui ne peuvent pas garder leur bébé. Mais une forte opposition sociale s’est manifestée, une journaliste d’un journal local de cette région a publié un livre en présentant des propos comme celui-ci : “s’il n’y avait pas de système qui tolèrait l’abandon, la femme aurait nourri cet enfant”. J’ai présenté aux députés le système français de l’accouchement sous le secret. En espérant que le débat ne reste pas seulement à une opposition “pour ou contre” aider ces femmes, mais aussi sur le soutien psychologique et social de toutes les femmes enceintes et encore plus, d’avoir un soutien et un lieu d’accueil pour les femmes qui n’ont pas de lieu en sécurité pour vivre. (AERA 3 octobre 2022) [...]